51 死に物狂い
とっさに覆った両手に血がこびりついていく。
指の隙間から血が溢れていく。
強く抑えても血が止まらない。
彼女の血が止まらない。
「馬鹿野郎! 早く立て!」
強い言葉と共に腕を強く引っ張られる。
そのまま肩を持ち上げられて、彼女から離される。
彼女の頭が地に伏せる。血だまりに沈んでいく。
カヤさんが、しんでしまう!
「しっかりしろ!」
強く頬をぶたれた。
痛みで思考がリセットされる。正気に戻る。
「彼女は俺が診る! 守りを変われ!」
気付けばエンデさんは彼女の身体を引きずって、下がっている。
そうだ。俺も状況を察しろ。今俺がやるべきことを、考えろ。
すぐそばに1体だ。その奥に十数体。
剣を握れ。敵を見ろ。顎の長い狼だ。
彼女を、守るんだ!!
◆◇◆◇◆
一瞬飛んだ意識の中に、視界が戻ってきました。
私は今、仰向けで、何かにもたれているのでしょうか?
身体の感覚は朧気ですが、目の前の光景は理解することができました。
身長と同じ丈の大きな刀を、狼の巨大な口へ叩き込み、そのまま切り飛ばしている少年の姿。
見間違い様がありません。あれは……
「ヨウハ……さん」
彼は次々と迫りくる狼たちを、一太刀で切り伏せ続けています。
両手持ちの大きな刀を手に、狼の爪を、牙を、突進を避け、すれ違いざまに仕留め続けています。
「はは……かっこいい」
なんて勇猛なのでしょう。なんてかっこいいのでしょう。
そんな彼の姿とは裏腹に、かなり前の方で戦ってくれている三人の人影は、随分と苦戦してしまっているようです。
「クソッ、やれるだろエンデ。このくらいの傷、塞いで見せろ……」
ヨウハさんよりかなり前方。エンデさんの仲間たちは、次々と迫りくる狼の大群に少し押されているように見えます。
今、一対多の形を取られた男性が盾を取り落としたのが見えました。
今、狼を仕留めた長槍が、別の狼の突撃で折れてしまったのが見えました。
そして今、三人の冒険者さんの内一人が、狼に組み付かれたのが見えました。
「ッ……すまない。これが精一杯だ」
突然、私の身体が、後ろ向きに倒れてしまったのがわかりました。
直後に、映る後ろ姿。あれは……エンデさんでしょうか?
彼は腰に携えた二本の剣のうち、一本を仲間に投げ渡し、もう一方を携えて前に出ていきます。
冒険者さんに組み付いた狼を蹴り飛ばし、そのまま一太刀で切り伏せています。
私も、何かしなければいけません。
「……あれ」
そうして杖を握ろうとしたところで気づきました。
私の杖が、ありません。どこにいってしまったのでしょう。
手先で探り当てようとしても、それらしいものは見つかりません。
というか、手先の感覚が……。
「ああ、そっか」
やっと、状況を理解しました。
私は今、傷を負っているんですね。
それもおそらくは、かなりの深手。
今すぐに治療しなければ、きっと死んでしまうほどの深手。
「死にたくないな」
やがて、狼の群れに押されて、口々に何かを叫んだエンデさんたちの姿が、離れて行くのが見えました。
どうやら、私は置いて行かれてしまったようです。
助かる見込みがないと、そう思われてしまったのでしょう。
もっとも、この状況では仕方がないですが。
「……まだ、やりたいことあるのにな」
途切れなく押し寄せる狼の群れは、やがてエンデさんたちの方へ向かうのを止め、こちらへ向けて押し寄せて来ました。視認できるだけで、五体。後ろに控えているのも含めれば、その倍はいるはずです。
きっともう、助からない。
不思議と涙は出ませんでした。これが、自分で選んだ道だからでしょうか。
今はただ、エンデさんと、彼を巻き込んでしまったことを申し訳なく思うと同時に、せめて私以外の皆には助かって欲しいと願うばかりです。
そう思う私の目の前に、狼は迫ります。
私はダメでも、せめて。
彼らだけは。
彼だけは。
ヨウハさんだけは。
「らあああっ!!」
そう思う私の目の前に。
まだ、彼は居ました。
◆◇◆◇◆
彼女だけは死んでも守る。あなただけは死んでも守る。
俺が死んでも死なせやしない。絶対にこいつらに殺させやしない。
絶対に生きて連れて帰る。絶対に生き長らえさせてみせる。
狼の横腹に剣を叩き込み両断する。返す刃で首を切り飛ばす。
前から来た顔面を蹴り上げる。横から来た鼻っ面を拳で打つ。
背中への組み付きを外套ごと投げ飛ばす。前へ飛び顔面を踏みつける。
片手だけで剣を振り叩き込む。両手に持ち替えた剣を薙ぎ払う。
下がった敵をもう一度薙ぎ払う。腕を目一杯振ってもう一度薙ぎ払う。
血ですっぽ抜けた剣が一体の顎を割く。
胸元の固定具を外して手斧を抜く。
あなただけは、絶対に守る。
飛びかかる前足を切り飛ばす。開いた顎に腕を突っ込む。
喉奥を掴んで首を折る。片腕の死骸を投げ飛ばす。
避けた横っ面を蹴り飛ばす。逃げる背に手斧を投げつける。
飛びかかる狼を殴りつける。狼へ飛びかかり蹴り飛ばす。
狼へ飛びかかり殴り飛ばす。狼へ飛びかかり殴り飛ばす。
狼へ飛びかかり殴り飛ばす。組み付いた狼に頭突きを見舞う。
もう一度狼に頭突きを見舞う。地に伏した狼を掴み上げる。
掴み上げた狼の顎を割く。
あなただけは、絶対に、守る。
やがて、血にまみれた視界の中に、狼が飛び込んで来なくなったのがわかった。俺が赤黒く染まった剣を拾い握り直すと、奴らは酷く腰を引いて、こちらへ向けて吠えながら下がっていく。
足音が遠ざかっていく。
血の海になった草地の中に、いくつもの屍が転がっていた。
「カヤさん……」
俺は右手の剣を引きずりながら、踵を返して彼女の元へ向かった。
彼女は布巻の乗った背負い袋を背もたれに、座り込むようにしてこちらを見ていた。
彼女は眼を震わせながらも、その口元に微笑を浮かべて、こちらを見ていた。
彼女はまだ、生きていた。
「ヨウハさん……ひどい傷」
か細い息で、辛うじて発せられた言葉。
一瞬。あなたの方が酷いと言いそうになって止めた。
足元に落ちた金属製の杖を拾い上げ、彼女の手に握らせる。
「ああ、本当にひどい傷だ。だから、治療してほしい」
それは、ただの思いつきだ。
俺には魔法の仕組みがわからない。
だから、うまくいくかどうかわからない。
でも、可能性はあると思ったから。
「ほら、この杖を握って」
彼女に杖を握らせて、彼女の傍に体を寄せて。
彼女の身体を軽く抱きながら、短く持たせた彼女の杖を、俺の脇で挟み込むようにして。
杖の先の宝石を、彼女へ向けた。
「わかりました……」
魔法の詠唱が終わるまでの間、彼女の身体を抱き締め続けた。
血のこびりついた布鎧越しに感じる彼女はとてもか弱くて。
それでもまだ、確かに生きていてくれていた。
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