48 あの海岸で
いくつかの天幕をつなぎ合わせて造られたのだろう、随分と広い日陰の中には、カヤさんの予想通り、怪我人を運び込むためであろう寝台がいくつか並べられていた。
実際に、寝台の上に寝かされている人々はまばらに存在するが……勘違いでなければ、その誰もが安らかな表情で眠っているように見える。
「……治療が必要な人は、いないように見えますね」
「わかるのか?」
「ええ。なんとなくですけど……この天幕の中全体が、癒しの魔力で満たされているような気がします」
「癒しの魔力……マスターの使っていたあれか」
ついこの間の試験の際、マスターの使っていた魔法。あれと同じ効果が、今この天幕の中で発揮されているということか。
となると、今現在寝台にいる人々は、ケガの治療というより、疲労の回復を目的として寝かされているのだろう。
「こうなると、今できることは……なさそうですね」
「……そうだな」
俺たちは今、天幕の隅に置かれた腰掛けに並んで、ただ中の様子を眺めつづけている。
手が空いているということは、状況が切羽詰まったものでない証明でもあるのだろうが、状況が状況なだけに、もどかしい気持ちは生まれてしまう。
事態がエイビルム全体を巻き込んだものであるということも理由の一つではあるが……
「今なら、救出に行っても……」
無意識に注目していたせいだろうか。
おそらく、俺に向けられたものではない呟きを拾ってしまって、カヤさんの気持ちが俺にまで伝わってしまう。
彼女は関わったこともない冒険者の安否を、本気で心配し続けている。
全く関わりのない人物のことを、心の底から思いやろうとしている。
「あの、カヤさん」
そんな彼女の様子を見てふと、思う。
今、純粋に聞いてみたいと思ったことが、口から出て行ってしまう。
「カヤさんはなぜ、見ず知らずの人を進んで助けられるんだ?」
言葉にしてみてから、それは少し意地の悪い言い方だったかもしれないと思う。
それでも聞かずにいられないほどに、俺は気持ちを抱えすぎてしまった。もう今更、後戻りはできない。
「それはずいぶん……難しい質問ですね?」
「ああ……すまない」
こちらへ振り向いたカヤさんの顔には、苦笑いが浮かんでいる。
やはり、軽々しく口にしていいような話題では、なかっただろうか。
「まあでも、私にとっては簡単ですけど」
「え……そうなのか?」
「ええ」
俯きかけて、意外な言葉に引き留められた。
反射的に見合った彼女の顔には、柔らかい微笑が浮かんでいる。
いつか見た表情だ。この表情には、おぼろげながら見覚えがある。
「私は今まで沢山の人に助けられて生きてきました。いえ、今だってそうです。私はずっと、誰かの助けで生きていて、誰かのおかげで救われてきた。それでも……いつだって、誰かを救う側にはなれていなかった」
そんなことはない。と、言葉が出掛かりそうになったところで、彼女の言葉の意味を理解した。
カヤさんは今、昔の話をしているのだ。
おそらくは、俺と出会うよりずっと前の……一人で生きていた頃の話を。
「だから……」
そうやって、言葉を伸ばしたカヤさんは、視線を外して俺の手を握った。彼女はそのまま俺の指を拾い上げるように――向かい合った視界の中へ――持ち上げる。
「初めてだったんです。自分の意志で人を助けて、その人に助けてもらえたのは。そうしてお互いに助け合って、お互いに感謝を述べ合えたのは」
瞬間、心の中で腑に落ちるものがあった。
「……あの海岸で」
「ええ。あの海岸で」
あの時、俺たちはお互いに命を預けて、お互いのために戦った。
そうして共に困難を乗り越えて、お互いに喜びを分かち合った。
「ヨウハさん。私はあの日、あの海岸で、あなたと仲間になれたのが……他のどんなことよりも、嬉しかったんですよ」
そうして彼女は……カヤさんは、俺に向かって歯を見せて笑った。
まるで輝く太陽のような、快活な笑顔が俺の目の前に咲く。
俺に向けられた、笑顔が……目の前に。
「……あ」
そうか。彼女は、そうだったのか。
「なあ、カヤさん」
「はい。なんでしょう」
カヤさんは、薄暗い天幕の中でもよく映える、綺麗な眼をしている。
それは、こんなにももどかしい状況の中で揺れても、決して光を失わない眼だ。
いつかの海岸からずっと変わらず、人を思いやる心に溢れた、優しい眼だ。
「もし、カヤさんさえよければなんだが――」
そうだ。思えば彼女は、最初からそうだった。
そう思えば、俺が今やるべきことも、理解できる。
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