31 グルーマー診療所


 控えめに焚かれた古めかしい暖炉から、木造の床板に熱が伝わる部屋の中。対照的に新品らしく見える白い壁に温かみを持たせてくれています。

 奥には数台のベッドと、カーテンで区切られた四角いスペースがありました。そして何より重要なことに、微かに開いたカーテンの隙間には、白く濁った甲殻のようなものが見えています。


「君たちに会えてうれしいよ。ささ、入ってくれたまえ」

「失礼します」

「えっと……お邪魔します」


 ずっと、気になってはいたのです。マスターの言っていた依頼主……私があの魔物を運んで行ったことで、大喜びしてくれた方は誰だったのかと。おそらくその正体はこの方々、アーフルさんとシャラさんだったのでしょう。


「ほら、お茶ができたよ。二番煎じだけどね」

「そういうことは言わなくていいのよ」


 シャラさんの持つお盆から人数分のお茶が振る舞われ、私たちは今、入口近くのローテーブルの前に座っています。

 横長のソファは私と男の子、そして師匠が座ってもまだ余裕がありそうです。対面にあるソファは二人分が別々に区切られているので、元々こうして面談のようなものをするためのスペースなのでしょう。


「改めてようこそ。冒険者さま方」


 そう言って、アーフルさんは脚を開きつつソファに腰掛け、身体を倒して白衣の中から、何かカードのようなものを取り出しました。

 続いてローテーブルの上に差し出されたそれには、アーフルさんの名前が記されています。


「私はこのグルーマー診療所の院長、アーフル・グルーマーだ」

「んで私はこの診療所の院長じゃない方、名前はシャラだよ」


 二人が名乗ってくれた通り、ここは何らかの診療所であるようです。

 今のところ、患者さんらしき人々の姿は見当たりませんが、ベッドの数から推察するに、冒険者やその他一般の方々を誰でも診ているというわけでもないのでしょう。


「診療所といっても本職は研究者。それも、エイルスクレイ専門の先生よ」

「エイルスクレイ?」

「勘違いしないでくれ、私は別にあの湾自体に関心があるわけではないんだ」


 話を聞く限り、おそらくエイルスクレイとは地名のことなのでしょう。

 それも、この近くで湾となれば、以前私が訪れた場所。

 湾曲した海岸線の続く、あの海のことだと察しが付きました。


「私の興味はかつて栄華を誇った文明と、そこに住んでいた人々に向いているだけだよ」

「その割には、エイルスとは似ても似つかないカニに随分お熱なようだけど?」

「ヤツも貴重な手がかりさ。エイルスのいた場所にいたわけだからね」

「えっと……」


 またしても知らない言葉が出てきました。

 話の流れからして、かつての文明というのは、東の遺跡群のことをいっているのでしょうが、エイルスとは一体なんなのでしょうか。

 おそらく、その文明とやらに住んでいた人々のことなのでしょうか?


 聞いてみても良いですが、アーフルさんはその分野の専門家だと言っていました。

 これは勘ですが、生半可な覚悟で聞いてしまったら、話が随分と横道に逸れてしまいそうな気がします。

 下手に知識欲を満たそうとするより、黙っていたほうがいいかもしれません。


「あねさんとうちの院長がごめんね。二人とも置いてけぼりでしょう」

「いえ、そんなことは……」

「まあ……そうかもしれない」


 私にこの辺りの知識がないことや、男の子に記憶がないことなど、いろいろと前提になる事柄はあるにしても、話についていけていないのは事実です。

 男の子の方は、出されたティーカップにも手を付けず、いたたまれなさそうに押し黙ってしまっています。

 正直なところ、私も似た気持ちかもしれません。


「ああ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど」

「ふむ、まあそろそろ本題に入るべきじゃないかな」


 とはいえ、悪気があったわけでもないのにあまり気にするのも良くないでしょう。彼らも改めて話を区切ってくれたようなので、私はしっかり耳を立てて集中します。


「端的に言えば、そこの子の身分を証明するために、紹介状を書く必要がある」


 そう言って、アーフルさんが手で指したのは、私の隣に座る男の子でした。


「ほら、冒険者ギルドに登録するにも、流石に全く素性が分からないんじゃ、いろいろと手続きがめんどくさいでしょ?」

「だから私がカウンセリングしながら、書類を用意しようというわけだ」

「なるほど」


 そうしてアーフルさんが紹介状を書けば、その辺りの面倒ごとをすっ飛ばしてしまえると、そういうことなのでしょうか。

 確かに男の子は自分のことも良く分かっていない様子ですし、記憶の整理という意味でもいい機会かもしれません。


「……そういうことなら、お願いしたい」

「いい返事だ。であれば、差し当たって一つ提案があるんだが……」


 男の子とアーフルさんの間で、そんなやり取りが交わされている途中。アーフルさんは突然その穏やかな顔で口角を上げながら、私の方を向きました。


「ひとまず仮に、この子の名前を考えよう。できればカヤ君も手伝ってくれたまえ」

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