10 また会うことがあれば


「迷惑なんてありませんよ?」


 私が思ったままそう言うと、男の子はまた困った顔になってしまいました。


「命を助けられ、貴重な食料まで与えて貰った。あいつからあなたを救えたのは良かったが、それ以上俺に出来ることは何も無いんだ」

「それでも……あっ」


 そこまで言って、私は気付きます。


「食料……確かに……」


 貴重な食料という言葉。

 はっきり言って、彼にあげたスープに入っていたのは、格安の黒パンに、捨て値で売られていた狼の干し肉と、あらかじめ森で採り、乾燥させておいた薬草程度です。

 普通の食事をしている人から見れば、貴重でもなんでも無い、安い食事でしょう。


 ですが、今の私にはお金がありません。

 それこそ、私一人でも数日持たないくらいに。

 今回の依頼ももう達成したようなものですから、報告すればお金も入るでしょう。

 それでも、今年の冬を越すには全く足りないはず。


 私は、彼に泊まって行きませんかと言いました。

 彼は記憶を失っているのですから、一日だけというわけには行かないでしょう。

 そうなれば当然、彼の分の食料も確保する必要があります。

 今の私には難しいことです。


「安心してくれ。剣の扱い方は、なんとなく思い出してきた。野宿の方法も、知っている気がする」


 私が考え込んでいると、男の子はそう言いました。

 見ると、男の子はいつの間にか右手に剣を持っています。

 私の右腕では引きずって運ぶのがやっとだった剣を、当たり前のように片手で。

 私が考えている間に、荷車の後ろから下ろしていたようです。


「気がするって……」


 それは、不確定で、ひどく頼りない言葉でした。

 はっきり言って、信じられるものではありません。


「そうだ、この近くに川はあるだろうか」

「ちょ、ちょっと待って下さい。本当に野宿するつもりですか?」


 私はそう言いましたが、男の子の目は至って真剣です。

 川の位置を聞いた理由は、水を確保するためでしょうか。

 おそらく、私がこのまま何も言わなければ、本当に行ってしまうのでしょう。


「ああ、川さえ見つかれば、人の集まる場所まで、一人で行ける」


 その言葉で、私は思い出します。

 そう言えば、彼に出会った時に、私はエイビルムの位置を教えています。


「方角はわかりますか?」

「太陽を見ればわかる」


 確かに、太陽を見れば、エイビルムのある南西がどの方向かもわかるでしょう。

 ここからエイビルムまでは、そう遠くありません。

 十分に、彼一人でもたどり着ける距離です。

 エイビルムにたどり着けば、少なくとも獣に襲われることはありません。

 私もエイビルムには頻繁に行きますし、困っていれば助けてあげることもできるでしょう。


「でもそれなら、今晩は私の家に泊まってもいいんじゃ……?」


 よくよく考えてみればそうです。

 私の家に泊まってから、明日一緒にエイビルムに行く。

 それが一番安全なのでは無いでしょうか?


「……正直に言うなら、女性に連れられて、家に泊まるのはな……」

「あっ……」


 私は、そこでようやく彼が断っていた理由を察しました。

 彼からすれば、とても受け辛い申し出だったでしょう。

 彼から見て、私の家に家族がいれば、女性が夜に男性と帰ってきて、しかも泊まって行くとなった場合、どう見られるかは想像がつくはず。

 彼から見て、私の家に家族がいなければ、それはそれで気まずいものなのかもしれません。


「……分かりました。ただし、これだけは約束して下さい」


 おそらく、これ以上引き留めても、日没が近付くだけです。

 それなら、伝えておくべきことは簡潔に行きましょう。


「このまま海岸沿いに進んでいけば、川があります。ですが、向こう岸は危険なので、絶対に川は越えないで下さい」

「わかった」


 川を越えた先、北の森には魔物が棲んでいます。

 例え一晩だけ立ち寄る川でも、これだけは絶対に言っておかなければいけない事でした。


「それと……これを渡しておきます」


 私は背中のカバンを下ろし、いくつかの物を取り出します。


「これは……火打ち石か」

「正確に言うなら、火打ち石と火打金、それと火種を燃やすための繊維が入った袋です。火の起こし方は分かりますか?」

「ああ。すごく助かる」


 私は魔法で火を起こせますから、無くても問題はありません。

 ですが、この寒い時期、彼にとっては必要になるはずです。

 男の子は、腹に巻いた帯の中に、火起こし道具をしまうと、こちらを向いて小さく微笑みました。


「結局、助けられてばかりだな」

「今のは私のおせっかいですから、気にしないでください」


 そうは言ったものの、男の子の声色は穏やかです。

 おせっかいではありますが、彼の反応を見て、渡してよかったと思えました。


「さて、そろそろ俺は行こう」

「日も落ちますし、そうですね」


 日は落ちかけ、西側にある森の上からは、赤い空が覗いています。

 彼と過ごした時間は、そう長くはありませんでしたが、別れを惜しく感じてしまうのは、やはり、協力してあの魔物を倒せたからでしょう。


「本当に助かった……また会うことがあれば、俺にできる限り、力になる」


 そう言って彼は背中を向け、歩き出しました。

 少し変わった言い方ではありましたが、それは、再会を約束する言葉のようで、私は少し、心の中が暖かくなりました。


「私だって、何度でも力になりますよ」


 私がお返しにそう言うと、彼は少しだけ振り返って、頷きました。

 見間違えでなければ、振り返った一瞬、彼は柔らかく笑っているように見えました。

 私はしばらく男の子の後ろ姿を見送った後、荷車の前に立ちました。


「あっ」


 荷車を引き始めようとして、大切な事を伝え忘れていた事に気が付きます。


「あの!!」


 私が大声を上げると、遠くに見える男の子が、立ち止まって振り返ったのが見えました。


「私、カヤって言います!! もし街に着いて困ったら、私を探して下さい!!」


 力になりますから。

 さっき言った通りの事です。

 男の子の表情は見えません。

 うなずいたのかも、わかりませんでした。

 ただ、男の子は、振り返って、しばらく止まった後……


「わかった!!」


 そう叫んで、再び砂浜を進み始めました。


「……よし!」


 少しの間、男の子を見送った後。

 一人でそう言ってから、荷車に手をかけます。


「うん……?あれ……?」


 荷車を引こうとして、違和感。

 軽く前に進もうとしても、進みません。


「ふんっ!あっ……」


 車輪が砂に埋まってしまったのかと思いましたが、そんなことはないようです。

 かなりの力を入れて引くと、荷車は動き始めました。


「思ったより……重い?」


 彼が軽々と引いていたので気が付きませんでしたが、小舟と魔物が乗った荷車は、かなり重たくなっていました。


「…………やっぱり、家まで手伝ってもらうべきだったかも……」

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