ハイウェイ地獄変〈3〉

 弾丸のような頭が姫華の元に迫ってくる。姫華が間違えるはずがなかった。だが、見たものをすぐには信じられなかった。

 ライダースーツの鉄人が走ってきているのだ! 時速150キロで飛ばす姫華に己の脚で追いつこうとしていた。

《私はカンフーチップを侮ってたみたいね》

 笑いを噛み殺すように姉は言った。

「こんなときに何笑ってんの!」

《蒔いた種がこんな風に育つと思わなかったんだもの。科学の進化は果てしないね》

 姉の戯言に構っていられる余裕はなかった。

「さあ、ロードファイトと行こうか!」

 バイクが言った。電子音を組み合わせた人工的な音声だった。

 背後から爆走するタクシー、ワンボックスカー、セダン、あらゆる車種からクラクションを鳴らしはじめる。それは獲物を追い立てる獣の遠吠えに似ていた。

「すごいだろう」

 隣にはマクセンティウスが並走してきていた。

「お前っ……!」

「カンフーの必勝法を知っているか?」

「一体なに?」

「一人にカンフーマスターをぶつけることだ!!」

 マクセンティウスの頭に埋め込まれた機械が動き始めた。

ガコン、プシュー……

 圧縮された空気がまた吐き出された。ガラスのカバーが開くと、中からチップが吐き出された。

「俺のカンフーは多勢に無勢をつくる」

 前方からサイレン音が聞こえてきた。赤いパトランプを回しながら、対向車線からパトカーが迫ってきていた。

「よく見ていろ」

 マクセンティウスがコピーチップを対向車線に投げた。

 サイレンが鳴るまま、両側のドアが全開になった。パトカーは翼が生えたようになり、飛んだ。獣が跳躍するようにして、前輪を高く上げ、こちらの車線に合流したのだ。

 当然、警官は投げ出され夜闇に消えていった。

「コピーチップは乗り物にカンフーを覚えさせるのだ」

 今度は、対向車線に赤いスポーツカーが走ってきていた。

 さらに、マクセンティウスはコピーチップを投げる。

 突然、スポーツカーはネズミ花火のように暴れはじめた。タイヤが金切り声をあげて飛び上がる。

「あああっ!」

 ドアが開いた。スポーツカーに乗っていた男が、人命を無視した車の動きで振り落とされる。あっという間に車の流れに飲まれていった。

 スポーツカーは、バンパーが壊れるのも構わず、背後のヘッドライト群に加わった。

《運命の輪のもう一つの意味は変化》

「乗り物たちがカンフーマスターに変身するわけね。とんでもないものを作ってくれたよ!」

 姫華は舌打ちする。

「本気で行こう」

 バイクが電子音をがなりたてて笑った。速度を緩めず、前輪を横なぎにぶん回す。とんでもない質量の一撃だ。衝撃で身体がバラバラになるなんてごめんだ。

 バイクは絶妙なバランスで回転する。

 さらに後輪を回し蹴りの如く振り回してきた。

《左っ》

「今度は何!?」

 左から圧迫感があった。白色のセダンが速度を上げて距離を詰めてきている。

《右っ》

 バイクがセダンに合わせるように右から迫る。挟み撃ちだ。

 クラクションが鳴る。上空からはトラックが落ちてくる。左右を挟まれ、上からの圧殺。今まさに簡易殺人プレス機が、高速道路に完成した。

「好き勝手にやりやがって……!」

 姫華はアクセルを振り絞る。エンジン音が轟いた。間一髪で姫華は前に出た。

《どうするの》

「逃げるんだよ! あんな化け物とやれるわけない」

「覇金は逃げを許さない」

 マクセンティウスは車線を越えてコピーチップを挿し続ける。時間が経つにつれ、鉄製の弟子が増えていった。

 さらに加速させる。メーターが振り切れかけていた。自分のバイクが出せる限界だ。頬に当たる風が冷たい。風圧が命の危険を知らせるように強くなった。

 クラクションがけたたましく鳴った。鉄の狼たちは姫華を追い立てる。

 背後には列いっぱいに車両が広がっていた。絨毯だ。ヘッドライトが眩しい。

《カンフーチップは全て潰さないと》

「黙ってて……」

 姫華の心臓は早鐘を打っていた。

「やろうか」

 バイクの動きはもう掴んだ。あとは自分の覚悟だけだ。

 いや、これは献身だ、

 担当への献身で、姫華は承認欲求を貪っていた。金を燃やしてホストを照らすことが気持ちよかった。

 この炎に命も投げ込んでやる。

 息を鋭く吐くと、姫華は片方の足をバイクのシートに乗せた。わずかに車体のバランスが崩れる。

 鉄の狼は牙を尖らせ、肉薄していた。後輪を小突きかけた時だ。

「おりゃあっ」

 姫華は両足でバイクを蹴った。カラテチップで強化された足は驚異の跳躍を見せた。

 自分の身体が綿になったようだ。

 重力がひっくり返って夜の闇に吸い込まれた。姫華は身体を捻る。空中で一回転、二回転と回る。

 姫華の足はボンネットの上についていた。

 赤いスポーツカーの上に、姫華は立っている。

「やるじゃないか」

 マクセンティウスは拍手していた。

「だが、このカンフー車両団に勝てるとでも」

 カンフーバイクがエンジンを唸らせた。目の前に吊り下げられた餌に堪えきれないようだった。

「マクセンティウス。まさかこんな軍を率いてくるとはね」

「俺自身も初めてだ。このカンフー軍をさらに増やせば覇金にも匹敵する」

 「姉」姫華は続けた。

「奴のカンフーチップがカラテチップに通信できるならさ、コピーチップにもできるね?」

《多分》

「今から言う言葉を伝えて」

「貴様の姉は本当に天才だ。感謝しよう。さあ、決着をつけてやる」

 マクセンティウス自身の蹴りが、姫華に飛んでくる。姫華はボンネットの上で後ろに下がった。

 追撃の機会だ。カンフー車両の餌食になるかと思えた。

「どうした、お前たち」

 カンフー車両たちの動きが鈍かった。まるで、マクセンティウスの命令に従うか迷っているようだ。

 ガラスの頭にもろに正拳突きがぶつかった。亀裂の入る音とともに、たたらを踏んだ。カンフーチップを造る機構がうまく作動しない。

 マクセンティウスは姫華を見た。

 姫華は笑っていた。

「貴様の仕業か!」

「あたしはただ、コイツらに自分が使い捨ての駒なんだって分からせてやっただけだよ」

「なんだと」

「ひとつ、面白い話をしてあげようか」

 姫華の頭の中には、ひとりのホストがいた。決して超高級シャンパンが入るわけでもないのにナンバーに入っているホストだった。

 そのホストの売上は多人数の姫から成り立っていた。一人の客単価は小さい。それでも、人数が集まればまとまった額になるのだ。群れをつくって彼はクラブ内を生き抜いていた。

「そのホストはNo.2までたどり着いたけど、結局、頂点には登り詰められなかった。あんた、なんでか分かる?」

「その男より遥かに強い男がいたからだ」

 姫華は口を開けて笑った。夜の乾いた空気によく響いた。

「カンフーロボは分かりやすいね。違うよ。姫たち同士が、ホストを信じられなくなったんだ。自分よりあの子が大事なんだって互いに思ったのさ」

「バカな! その程度で……、おい、やめろ!」

 ワンボックスカーが後輪をマクセンティウスにぶつけた。左脚のライダースーツが車輪の回転で破けた。

「あんたには分からないだろうね。今からそれを味わうことになる」

 言うが早いか、パトカーが宙を舞った。それを越えるように、2台目のパトカーが飛び上がった。縦に並んだ車両たちは、マクセンティウスめがけて落ちる。車輪蹴りだ。総重量4トン超が降りかかる。

 爆発したのはパトカー2台だった。

「チィィ! 余計な真似をしてくれたな!」

 爆炎の中からマクセンティウスが飛び現れる。上半身の革製のスーツは焼け落ちていた。研磨した鋼が、赤い炎を受けて炎の化身に見えた。

 マクセンティウスは、車両たちよりも高く飛び上がっていた。パトカーと交差した瞬間、マクセンティウスは、蹴りの振動でガソリンタンクを破裂させていたのだ。

「貴様はここで殺す」

「あたしたちのいる地獄を教えてやるよ! カンフーの足しになるといいね!」

 姫華も跳躍していた。空中で姫華の足刀と、マクセンティウスの蹴りがぶつかった。自由落下のまま、穿掌を鉄の戦士は突き出す。姫華は腕を曲げて穿掌を挟み、捻る。マクセンティウスは体勢を崩しかける。咄嗟に脚を回転させ、姫華を蹴り飛ばした。

 両者がボンネットへ着地した。マクセンティウスの手指は破壊されていた。

「俺のカンフーが負けるわけがない」

「マローダーもそう言って死んだよ」

「抜かせ!」

 ふたりは打撃の応酬を繰り返す。本来、機械の動きが人間に負けるはずがない。ましてや、足技の優れたマクセンティウスが遅れをとるはずがない。

「なぜだ……!」

 鋼鉄のカンフーが押されている。要人の首を捥いだ回し蹴りが精彩を欠いていた。姫華は打撃の嵐の中、笑っている。

「あんた。裏切られるのは初めて?」

 マクセンティウスは答えない。

「辛いよね。あたしは何回もあるよ」

 ふたたび、クラクションが耳を聾する。

 トラックがヘッドライトを点滅させながら、マクセンティウスを狙う。

「俺のチップが無ければ貴様らは!」

 マクセンティウスは気づいた。怒りが湧いているのだ。渾身の後ろ回し蹴りが、正確にトラックの側面を打ち抜いた。トラックは横回転しながら、車両群に激突した。

 爆発の連鎖が起こった。山吹色の花が道路に咲き乱れている。歴戦の鉄の戦士の目にはそう映った。

「ああ、美しい……」

 マクセンティウスの声には悔しさがこもっている。その首は宙を舞っていた。姫華が一瞬の隙を突き、断頭していたのだ。

 マクセンティウスの身体が爆発に飲み込まれた。

 姫華は道路標識にぶら下がっていた。鉄柱を片手で掴んでいる。爆心地までは距離があった。それでも爆風の熱を顔に感じた。

 姫華は道路に受け身をとって着地した。

 目の前には道なりに炎が続いていた。炎の河ができていた。炎を纏って燃え続ける黒い残骸たちは黒曜石を思わせた。

《無茶しすぎ》

「これでしか、あたしはやれないから。後悔しても遅いよ」

「それよりも……」

 姫華が立っているのは、高速道路の真ん中だ。覇金グループのビルがある浜松町まではまだ遠い。

《地道に歩いてくしかない》

「ふざけないでよ……。ちょっと休ませてよ」

 身体が鉛のように重たい。ここまでの戦いは姫華へ確実に疲労を蓄積させていた。絶え間ない生死のやり取りで精神的にも限界がきていた。

「足がないのかい」

 頭の中で電子音が聞こえた。チップへの通信だった。姫華は即座に構えた。炎の向こうから、こちらにバイクがやってきたのだ。炎をカウルが反射した。

《奴は……!》

「もうやり合う気はない」

 バイクはくるっと弧を描いて後ろを向いた。

「どうして信じられると?」

「俺はただのコピーだ。カンフーチップの力で軍を作ることは出来ない」

「無理だね。あんたが急停止したらあたしはバラバラだ」

「ははは。標識に掴まってあの爆発を切り抜けたお前が言える論理ではないと思うが」

「うるさい」

「覇金グループは俺の敗北を知っている」 

《……覇金の増援がやってきてる》

 爆発で痺れていた耳が聴力を回復し始めていた。遠くでローター音が聞こえていた。

「こんなところで駆け引きするより、乗るべきだ」

 姫華は舌打ちして、シートに跨った。

うぉおおん

 エンジンが唸り声をあげた。速度が上がる。姫華が乗っていたものよりも、最高速度に達するまでが早いようだ。

 目の前に炎の河が近づいた。

「ちょっと」

「動きに合わせてくれ」

 マクセンティウスが瓦礫に対して斜めに走り込んだ。前輪を持ち上げる。機体が立ち上がり、姫華はシートの後ろ側に足をかける。立って乗る形となった。

「行くぞ」

 瓦礫を乗り上げる。炎が身体を炙る前に、跳躍した。

 対向車線を区切る壁を越え、着地した。騒ぎを聞きつけて交通量を制限されているのか、向かってくる車はいなかった。

《あのケーキを私は食べられなかった》

 姉は唐突に話しだした。

「え?」

《イチゴ嫌いだったんだ。母さんは知らずに買ってきてた》

 初めて聞いた。内緒で母がケーキを買ってきたところで、姫華は自分の部屋に戻っていた。

「あたしにくれれば良かったのに」

《そうだね》

「……あたしたちは、互いのことを知らなかったのかもしれない」

「お前たち、このまま覇金グループまで行くぞ。いいな」

 マクセンティウスが割り込んできた。

《原宿に向かって》

 姉はきっぱりと言った。

「そうでなくちゃ」

 姫華はハンドルを強く握った。マクセンティウスも呼応するようにスピードを上げた。

 夜風はさらに冷たくなっていた。

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