オリエンテーション〈1〉

 港区に居を構える覇金ビルディングに夜はない。

 タイピング音、電話の着信、怒号。さらに怒号。それらが止むことはない。

 新卒社員が卒倒してしまいそうなストレス環境は、使いきれない給与によって黙殺されている。

 だが、覇金グループの雰囲気はさらに輪をかけて異様だった。怒号やタイピング音に混じって、鉄の軋む音や、朴人拳の打撃音がオフィスの環境音として聞こえてくるのだ。

 音の出所は、DX推進室本部の修練室からだった。

 修練室にソファやシャンデリアなどの調度品は一切ない。代わりに砂袋、バーベル、煮えたぎる鉄桶などが置かれていた。

 カンフーロボ達は、各々の鍛錬を続けていた。

 鉄のカンフー戦士たちが一糸乱れぬ動きで套路を行なう。

 広々とした空間は熱気に満ちている。LEDの冷たい光が、滑らかな動作に影をつくる。

 その向こうでは、打撃音と金属音が響く。

「セイッ!」

 掛け声とともに、カンフー戦士が打撃を放つ。チタン製の朴人拳がひん曲がった。

 カンフーロボの一部は、人体を加工した練習道具を使っていた。人間と同じ硬度の身体のパーツが鍛錬場の至る部分に置いてある。ロボはぶら下がった頭蓋骨を難なく蹴り砕いた。すぐさま頭蓋骨のモデルが補填される。ロボは反対の足で蹴り砕いた。

 新入社員にはこの悪魔的な光景に、異常をきたす者もいた。そうした人材を総務はすぐに解雇した。超人ではないからだ。

 社訓である「超人たれ」への執着は狂気といえた。

 修練室には男がふたり、女がひとりいた。

 男のひとりは覇金恋一郎。白縁の眼鏡をかけ、黒々とした髪を後ろになでつけている。背は2メートル近い。山のような男だった。肩が球体と言って良いほど筋肉が発達している。美容手術と表情筋によって、年齢は見た目では判別がつかない。仕立ての良い高級スーツは男の肉体に沿って美しいシルエットを作っていた。覇金グループを一代で興した王とも呼べる存在だった。

 もうひとりは、白衣姿の機械頭だった。

 男は瘤川教授といった。袖の長い白衣を着ている。背は低く、頭は戦闘機の鼻先のような見た目だった。黒く滑らかな流線型の頭部にはメガネを乗せていた。

 ある時、メガネをかける理由を尋ねられた。

 瘤川はおずおずと「怖いのでございます」と答えた。機械で体を置き換えても人間としての自我を取りきれずにいた。

 分厚いレンズの向こうには眼と分かるパーツはない。超人とは言えない心意気でも、見放されないのはDX推進におけるカンフーチップの技術は確かなものだからだ。

 女は、覇金紅といった。覇金恋一郎のひとり娘である。DX推進室室長として、カンフーチップの製造から、作戦行動まで仕切っていた。

 紅は恋一郎に頭を下げている。

 ショートカットとモノトーンで統一したファッションが気品を漂わせる。金属光に似た双眸は激情を抑えている。目の奥に悔しさが煮えたぎっていた。

「申し訳ありません」

「心配はいらない」

「ですが、我が社のカンフーロボが二体も……ハガネシリーズが負けるなど!」

 紅が呻くように言った。

「問題ない」

 恋一郎に焦りなど微塵もなかった。

「ですが、お父様!」

 恋一郎が紅の肩に手を置いた。

 紅が顔をあげると、恋一郎はタロットカードを取り出していた。太い指が山札から一枚目をめくる。

 恋一郎は一瞥もせず、紅に見せた。

「大勢に影響なし!」

 正位置の太陽のカードだ。太陽は希望と成功を表すものだった。

 タロットカードは、覇金グループでは特別な意味を持っていた。

 支配者が古来から占いを決定要素に加えたように、覇金グループでは重要な決定は恋一郎のタロットカードが決めていた。恋一郎がタロットをめくれば運命が捻じ曲がり、吉報を招くのだ。

「お前が研究を重ね、練り上げたカンフー部隊だ。小娘ごときに敗れるなどあり得ないのだ」

 恋一郎は莞爾と笑った。曇りに晴れ間が差したような安心感があった。

「見ろ。お前と私の業績だ」

 目の前ではロボ達が変わらず修行をしていた。カンフーロボのひとりが、重い瓶を両腕に吊るして持ち上げる。熱い溶岩に掌打を打ち込むロボ、スクワットをするロボなど、それぞれ鍛錬を積んでいる。瘤川教授と紅が造り上げた風景だった。

「誇りにせよ」

「はい」

 紅の目には決意が滲んでいた。

 「瘤川教授」と恋一郎が呼んだ。

「順調にいっているな。進捗を」

「かしこまりました」瘤川教授が大きな頭を下げる。

「カンフーを見ていただければ一目瞭然でしょう」

 瘤川が手を叩く。

ずず、ずずずず……

 鎖を引きずる音が聞こえた。修練室の扉が開いた。カンフーロボたちが鎖を引いている。

 その先には頑丈そうな金属の箱が取り付けられている。大きさからして、人ひとりが入れるサイズだ。

 鉄の棺桶は、合わせて五つ運ばれてきた。

 部屋の真ん中に置かれると、修練室の空気が変わった。中からは物音ひとつしなかった。

 カンフーロボが棺桶を開いた。金属扉が軋み、もぞりと起き上がる。棺桶に収められていたのは、5人の男だった。鎖で繋がれている。

「皆、選りすぐりの囚人です」

 瘤川教授が言った。

 囚人たちは剣呑な雰囲気をはらんでいた。獰猛な獣のごとく周りを睨みつける。全員が格闘家もしくは素手での武勇がある男たちだった。

 覇金紅は、囚人たちを見定める。

 片目の潰れた巨漢が立っている。背丈は恋一郎と同じくらいだが、質量が圧倒的に上回っている。耳が潰れていた。柔道家から力士になった男だ。身体は脂肪と筋肉の戦車だった。

 その脇には、頭に傷跡のある男が不敵に笑う。敵対した組長の顔を剥いで男は捕まった。刀傷は日本刀が原因だろう。鋭く断ち割られた皮膚の下からは、白い頭蓋骨が垣間見えている。

 長髪の顔の似た兄弟は、物珍しそうにカンフーロボ達を見つめていた。賭けボクシングでは余程名を馳せたのだろう。背筋の盛り上がり方がより合わせた縄のようだ。異様なのは歯並びだ。普通の人間より歯が異常に多い。櫛のように並び、彼らのタフネスを支えているのは目に見えた。

 紅は眉を顰めた。溶け込むようにして老人がいた。胡座をかいてちょこんと座っており、置物のように動かない。殺気だっている周りの男たちと比べて場違いに思えた。

「話は本当だな」

 頭に傷跡のある男が凄む。

「貴様らの一人でもハガネシリーズに勝てば、身元の安全を約束しよう!」

 瘤川教授が言った。いかなる手を使ったのか想像もつかない。覇金グループは法律を超えてこの取引を成立させていた。

「あんたたちは、俺たちを雇うべきだな。格闘技が機械に取り代わる日は来やしない」

 紅の眼光が男に向いた。カンフーロボは恋一郎とともに作り上げた傑作だ。それを軽んじる男を許さない。

 男は紅を一瞥すると鼻を鳴らした。

「屑鉄になったらよ、高く買い取ってくれるだろうな。ファイトマネーはそれでいいぜ」

 長髪の兄が肩を揺らした。

 弟の方は、瓶を持ち上げるカンフーロボに興味を持ったようだった。

「中身は?」

「砂鉄だよ」

「なっつかしいな。僕もこれでトレーニングしたもんだ」

 ロボから瓶をひったくる。瓶を縛り上げる紐に指を入れた。腕に血管が浮き出ると、弟は指一本で持ち上げた。

「馬鹿だなぁ。楽してんじゃないよ。手ェ出しな」

 兄が近づいて瓶をふたつ重ねた。弟が手の甲を地面と平行に出した。

「そら」

 兄は弟の手の甲に瓶を載せた。弟の額に、血管がみりっと浮き出た。

「効くだろ」

「いいねぇ……」

 それは拷問にも見えるトレーニングだった。兄弟にはそれが日常なのだろう。弟には悪魔じみた笑みが張りついていた。

 「あーいいかな」とロボは言い出しづらそうにして兄弟の間に入った。

「君たち、それは鍛錬用じゃないよ」

 瓶を持っていたロボが言った。

「それはプロト用の遊具。私たちは娯楽にも飢えてるんだ。打撃の鍛錬が終わったらお手玉にして遊ぶんだ」

 そう言ってロボは瓶を受け取る。両手で器用に投げ遊びはじめた。瓶が宙を舞った。

 はははは……

 ロボ達は一斉に笑った。

「面白くねぇ」

 弟が短く息を吐く。足の動きはほとんど見えなかった。

 宙を舞っていた瓶が割れ、中身の砂鉄が降り落ちた。弟が不敵に笑った。

 それと同時に兄が動いていた。

 もう片方の瓶を兄が拳で叩き割った。

 ロボは兄弟を見て首を傾げる。それが囚人たちには馬鹿にしているように思えた。

「一丁前に笑ってんじゃねぇ。機械のくせによ。人間の真似事しくさりやがって」

 兄がロボを睨めつけた。

「私はHG-17、ホワイトドワーフだよ。君は?」

 そう言った時には、兄は動いていた。それよりも先にホワイトドワーフは動いていた。

 兄の胸骨を貫通して機械の手は心臓を撃ち抜いていた。

 技の起こりはなく、背中にホワイトドワーフの手が一瞬にして現れたように見えた。

「ごお……」

 兄の喉から唸り声が出た。心臓が転がり落ち、床でぐしゃりと音を立てる。兄の喉から潰れたカエルの声が出た。生きているのではない。人体から捻りでた生理現象でしかなかった。

 ホワイトドワーフは間髪入れずに頭に一撃を当てる。くぐもった弟の声が室内に響く。

 弟の口が赤いもので埋まっていた。

 心臓だった。兄の心臓を頬張らされ、窒息しかけていた。

「あの男……」

 紅は目を見張った。弟の戦意は消えていなかった。

 ほとんど白眼を剥きながら、弟は鋼の戦士に一矢報いようとする。ぎこちなく一歩踏み出す。拳を握っていた。

「じゃあっ」

 ホワイトドワーフのモーターが唸りをあげた。風を切る音、肉を切り裂く音がこだまする。機械の両腕が血に染まっていた。指先からぼとっと血が滴った。

 弟が仰向けに倒れるのと、血が床面に落ちるのは同時だった。胸には血染めの八芒星が描かれていた。灰色の囚人服の隙間からは血が溢れ出てきた。瞬く間の決着だった。

 地響きと獣のような雄叫びがした。巨漢の体当たりがホワイトドワーフにもろにぶつかった。機械の身体が、ゆるりと床に受け身を取る。

「こいつらはよ……兄弟でチンピラ殺し回ってただけなんだぜ。こんな目に遭うなんておかしいよなぁ!?」

 巨漢が吠えた。それが合図となった。

「デカいな。俺の出番か……」

 巨漢に負けず劣らず大きいロボがいた。山のような肩をぐるりと一周させて息巻いた。右腕に内蔵された回転機構が回り出す。

 それを遮るカンフーロボがいた。他の機械頭たちと違い、パンダの着ぐるみじみた見た目をしていた。車椅子に座ったスーツ姿の機械頭を連れている。

「スパインテイカー。本社の移転は勘弁願いたい」

 パンダが言った。

「パンパンダ。加減はできる」

 巨大な身体をいからせ、スパインテイカーが言った。

 回転機構が唸りを上げる。スパインテイカーが一歩踏み出そうとすると、身動きが取れなくなった。腕が巻きついていた。蛇のように長い。パンパンダが、回転機構を縛った。ぎちぎちと音を立てている。

「仕方ない……」

 スパインテイカーはこうべを垂れた。

 その隣を鈍色の風が吹いた。

「室長。あとはおれにやらせてくれ」

「ヴァーユ。良い結果を期待しているわ」

 ヴァーユと呼ばれた小鬼は、ヤクザ死刑囚の周りを回った。腕が空気を裂いた。ヤクザはただ翻弄されるがままに首をあちこちに向けた。

「ちょっと頭を冷やせよ」

 小鬼の鉤爪が光った時だった。

 ヤクザものから、鳥のような悲鳴があがる。

 死刑囚は、服を脱がされたように上半身の皮膚が剥けていた。

「はああっ」

 赤黒い肉となった囚人が無様に動き回っている。筋肉の繊維から時折、血が滲むのが痛々しい。

「やっぱり人体こそ良い鍛錬になるな」

 ヴァーユがくつくつと笑う。両目は怪しげに発光し、カンフーチップを起動させていると分かった。

 小鬼は両手の鉤爪を振った。べちゃっと音を立てて赤黒いものが落ちた。髪の毛が絡まっていたのだ。

「ちくしょう……。こいつは親分の赤ん坊を煮て食っただけなんだぜ」

「そうかい」

 残った巨漢が小鬼に突進した。走るたびに床が揺れる。暴走トラックに似ていた。当たれば鉄屑に変えてしえる破壊力を持っている。

 体格差は歴然だった。

 囚人が涙を流しながら轢き殺そうとする。

 小鬼は視界が肉に埋まっても、くつくつと笑っていた。巨漢が轢き潰す。

ぎょおおおっ

 小さな竜巻が巨漢の眼前で発生した。巨漢が最初に感じたのは胸の痒みだった。高速で箒を擦られているような気分だった。竜巻は肉を掃いた。胸骨を掃かれたときには遅かった。

 激烈な痛みに立ち止まろうとするが、己の巨体に乗った慣性は、囚人の決断を許さない。気に入らない奴を殴った腕は塵となった。刑務所の飯に慣れきった胃と腸は、ぶりぶりと掻き出され粉微塵となった。

「ああ……」

 囚人は小さく言葉を漏らした。それが最後の言葉となった。

 小竜巻はきゅるきゅると音を立てて静止した。小鬼が黒い鉤爪を振ると、元の冷たい光が刃に戻った。

「あんたたちがたまに羨ましく思うぜ。死ぬ時にアッという間に肉微塵になったら痛みもなく天国だ」

 小鬼は得意そうにぴょんぴょんと飛んだ。

「あとは、あんただけだ」

 残ったのはこの老人だけになる。老人は沈黙したまま胡座を崩さずにいた。紅には不気味に思えた。

 恋一郎はどう思っているのか。変わらず泰然自若の態度を崩さない。

「ビビっちまったか」

 小鬼が鉤爪を翼のように広げる。片足で立ち、沈み込む。首から下、腰までの上半身が音を立てて回り始めた。爪の刃が風を切り、不穏な音をを撒き散らす。

 巨漢を粉微塵に変えた殺人竜巻だ!

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