ハイウェイ地獄変〈1〉
高速道路にエンジンの音が鳴り響く。吹き荒れる風の音にようやく慣れてきた。姫華の操るバイクにはカウルがなく、風が直撃してくる。
出せる限界の速度を出していた。
真夜中だった。ヘッドライトが行き先を示すように伸びている。
交通量は少ない。たまにポツポツと目の前に現れる車を姫華は追い越す。
マローダーとのカンフーデスマッチの後、山道を出て中央自動車道を走り続けていた。
今は八王子に入ったあたりだろう。
「……」
姫華は痛みに耐えていた。
ハンドルを握る手に網目形に血管が浮き出ている。血管が絶え間なく疼く。姉の言によればカンフーロボ達を相手にするため、骨を強化してるのだという。鋼の身体を相手取るには相応の準備がいるらしい。
骨の芯が火で炙られているようだ。
《もうすぐ終わるから》
「早くしてよね」
《わかった》
「……っ!」
痛みがさらに強まった。熱した針で手が貫かれるような感覚だった。
「……そろそろ教えてくれない」
《なに?》
「覇金グループってなんなの」
姫華は別の話題に変えた。
《今あなたの視界に見えてるものよ》
目の前に軽自動車が走っている。
「車?」
《車ももちろん、覇金の技術で走ってる。それにこの道も。設計したのは覇金グループよ》
「なんでも作ってるんだ。姉は?」
《私はDX推進室で研究をしていた》
「どんな研究なの?」
《脳の研究よ。記憶をデータに書き起こすの》
「カラテチップもその技術を使って出来てるの?」
《そう。私はあらゆる空手家の技術をデータ化してこのチップに埋め込んだ》
「じゃあ、あのカンフーチップも」
《おそらくそうでしょう。けど、人に耐えられるものじゃない。私はカラテチップを人が使うように設計している。カンフーチップは無茶をしてる。身体の修復が出来ない代わりに、秘められた能力を使えるようにしてるんでしょう》
姫華はマローダーとの戦闘を思い出した。巨拳を降らせるあの能力もカンフーチップによるものだ。あれほどの力を人で使うとなれば、負担は計り知れない。
「これからあんな奴らが何人も?」
《タロットカード通りいるなら……あと10体以上はいるでしょうね》
姫華は目を回した。気が遠くなる数だ。一体でもあの強さだと思うと、途方もない戦いになる。
それでも、龍斗のためにはやらなきゃならない。大金で一日で龍斗のナンバーをひっくり返してやるんだ。
何もできない自分ができるのは彼を輝かすことぐらいしかない。そう思うと、いくらか楽になった。
「ねえ、いい加減、高速降りてドンキ寄ってもいい?」
ポケットのスマホをチェックしたかった。マローダーの一件以来、電源が切れていた。
《待って。覇金の本社はまだ先だから》
「本社ってどこ」
《港区》
「遠いって。どっか寄ろう」
姫華はさっさと高速道路を降りようとしていた。最も近い降り口はどこか目で追っている。
《今は覇金の本社まで近づいたほうがいい。いつ増援がやってくるか分からない》
子どもが落ち着かせるような態度で、姉は言った。幼い頃の母親そっくりな素振りだった。姫華はそれが気に入らない。
「よし、よし」そこで姫華はひとつ思い立った。
「いいよ。原宿までなら行ってあげる」
《……?》
「目的地まで近いんだから文句ないでしょ。その代わり、あんたの金で心ゆくまでショッピングさせてもらう」
《私のお金で?》
「暗証番号くらい覚えてるでしょ? あたしはこんなボロ布のまま、ターミネーターと殺し合うの? 姉は妹思いだね」
姫華はどうもやる気が起きないと思っていた。担当へ連絡が取れないこともある。それよりも服装だ。血まみれの病院着ではテンションが上がるわけがない。
《覇金を倒すのが最優先よ》
姫華は鼻で笑う。
「違うね。派手に着飾って派手にボコすのが最優先なんだ。こんなざまじゃ、担当だって墓参りに来てくれない」
《私そんなこと言ってない》
「あたしが言った」
《……姫華ちゃん、昔から変わんないね》
小さい頃の呼び方だ。
「ずっと会わなかったくせに。知った風に言わないで」
姫華は無意識に棘のある声色になっていた。
《お互い知ろうとしなかったのは同じでしょう?》
姉はなんの気無しに言う。
「は? 何その言い方……」
《本当のことじゃない。私もあなたのことを知ろうとしなかった》
忘れていた記憶が蘇った。
「あんたさ。小さい頃、あたしのこと嫌いだったでしょ」
《何の話?》
「父さんも母さんも姉のことばっかり可愛がってたじゃん。テストであたしは100点なんか一度もとったことない。賢いねって母さんがケーキ買ってきてくれたのは姉だけだよ」
姫華は覚えている。
夜に目が覚めた時だ。トイレに向かおうとしたら、リビングの扉から明かりが漏れていた。扉の隙間から覗き込んだ。母と姉がいた。机の上にはショートケーキが一つ載っていた。
「母さんは内緒だよって言ってた」
《……そう》
「あたしに興味なんてなかったでしょ。当たり前だよね。あんたと違って馬鹿だし。ずっと下に見てたんでしょ」
《それは違う》
姉の語調が強くなった。
姫華はアクセルを握り、さらに加速する。耳元で風が騒いでも、姉の声が消えることはない。姫華は黙ったままだった。
《ねえ、聞いて》
姉が会話を止めた。
《後ろから誰か来てる》
背後でエンジンが、けたたましく唸った。バックミラーを姫華は見た。
一瞬だけ追いかけてくるヘッドライトが映った。
後ろから走ってきたバイクが、姫華と並走した。
フルフェイスのヘルメットを被り、ライダースーツを着ている。真っ黒のバイザー越しから姫華は視線を感じた。
「よう」
不思議な感覚だった。風が吹きつけていても声は明瞭に聞こえる。ヘルメットに遮られているのに、大声というわけではない。
《カラテチップに通信してる》
「今からボスが採用面接を始める」
声色から男だと分かった。
黒いバイザーが明滅すると、ホログラムが映った。
胸を開けたスーツ姿の男が映っていた。白い縁の眼鏡をかけた色黒の顔がアップになる。オールバックにした髪は墨汁じみた黒さだ。顔の皺から推測する年齢と比べて髪はいやに黒かった。
《覇金恋一郎……!!》
姉が声をあげた。
「よくぞマローダーのカンフーを切り抜けたな。さすがは如月博士の妹だ」
「あんたがカンフーロボの王様?」
恋一郎が笑った。ホワイトニングされた歯が輝く。
「はっはっは。そんな大したものじゃない。……先に映像を見てもらおう」
ノイズが走って画面が切り替わる。「覇者グループ」の文字が映し出された。
「これは……」
《覇金のプロモーションビデオよ》
世界地図とあらゆる数字が出てきては消えていく。東京タワーとスカイツリー、高層ビル群がいっぱいに広がった。
白地の明朝体で「年商30兆」の文字が大きく浮かび上がった。太くみっしりとしたフォントだ。
「今のは……」
《『超人たれ』は覇金の企業理念よ》
最後に、大きな拳が地球を包んだ。カメラが引いて恋一郎が笑みを浮かべている。
「いかがだったかな? 君を我が社に迎え入れたい」
「あたしはあんたの商品をぶっ壊した本人なんだけど」
前方の車を避けながら、姫華は答えた。
「だからだよ、君。私は実力で採用したいのだ」
ワックスで髪の毛がぎらついていた。整髪剤の匂いが画面越しからでもしそうだ。
「カラテチップが頭に埋まってる女が、一般社会で金になるのか? 覇金には君の居場所がある! 君も私と世界を手に入れるんだよ」
野太い声が姫華の頭蓋に響く。画面内の覇金恋一郎は姫華を見た。
「見たところ……飯もろくに食えてないのだろう。若い女っていうのは自分に金かけてなんぼだ。せっかくの見た目なんだ。うちの年収で最高の女になればいい」
「……はぁ」
「ウチに来い。社会を見下ろすのは気持ちがいいぞ」
この男は自分の中で世界が完結しているらしい。姫華はこのような手合いを何人も見てきた。無意識にため息が出ていた。
「……やだ」
「私と交渉か? 殊勝な心がけだ。報酬かな? それとも年休? 君の交渉力を採点──」
恋一郎の言葉が止まった。目の前にいる少女の行動を目にしたからだ。
姫華は中指を立てていた。
「お前から全てを奪えば丸ごと報酬になる」
「……ほう?」
「それに、あんたからはおぢの臭いがする」
「な"っ」
姫華の言葉に恋一郎が固まった。一分、いやそれ以上だったかもしれない。恋一郎は何も言わずにホログラムが消えた。
男はヘルメットを脱ぎ捨てた。
「……交渉、決裂だな」
ヘルメットの中から機械頭が現れた。ナトリウムランプに異形が照らされる。
「やっぱりあんたもか……」
「俺はHG-10、マクセンティウス。マローダーの撃破、この目で見たぞ。見事だった!」
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