第10話 あくまでも確かめるだけ

「え、はや」


 相変わらず足は絡ませてままの俺がコードを抜けば、不審がる瞳を向けてくる美結。


「ちゃんと全部乾かしてるよ。自分の手で確かめてみろ」

「別に疑ってはないけど……私が乾かすよりも圧倒的に早い気がする……」

「俺と話すのが楽しかったんだろ。9割言い合ってたけど」

「……自分で言ってて恥ずかしくないの?」

「冗談な?真に受けんな」

「…………ほんっと性格いいね」

「ありがとう」

「皮肉よ……!!」


 ふいっと顔を逸らす美結は、またも太ももを叩くかと思われたが……反省でもしているのだろうか。


 腕を組むだけの美結は挟まれた足から脱出を試みるわけでもなく、俺がドライヤーを置くのを座して待っていた。


「それで?さっき言ってた続きはなんだ?『子どもじみたこと』がなんちゃらって言ってたけど」

「言わない」


 気合で手を伸ばしながら隣の机にドライヤーを置いて紡ぐ俺に、美結は冷淡に紡ぐ。


「なんでだよ」

「だって言いたくないもん」

「理由になってねぇ……」


 ため息混じりに吐き捨てる俺は腹筋で体を起こして元の位置へと戻る。


 さすれば、なぜか顔を伏せた美結は流し目に俺を見やり――


「……一線に関わることだから……」

「あー……。おっけ。うん。今始めて気まずくなった」

「今始めては嘘でしょ」

「まぁ、うん。嘘だね」

「それは後から聞くとして……とりあえず!このお話は終わり!私たちは一線を越えない!いい?」


 パチンと糸を切るように手を叩いた美結は首を回してこちらを見据える。


「……どの口が言ってんだか」

「うるさいわね。あれは浮気じゃない。祐希も同意したでしょ?」

「まぁそうだな。の浮気のラインはあそこじゃないし」

「そう。のラインはまた別なところにあるからね。ってことで話を戻します!」


 笑みすら感じられるその顔から言葉を紡いだ美結は不意に俺の足を掴み、脱出できるほどの隙間を開けたかと思えば――クルッとこちらに体を向けてきた。


「……なにしてんだ?」


 鼻の前にあるのは背筋を伸ばした美結の鼻。


 少し前に体を倒せば赤い唇と唇が当たってしまうほどの距離で、美結は顔の間に人差し指を立てた。


「この距離に私の顔があっても気まずくならないのはなんで?」

「気まずくない……ことはないんだが、さっきも言った通り美結が気まずそうにしてないから」

「私も今、この状況が気まずくないのは祐希が気まずそうにしてないからだよ?」

「……つまりなにが言いたい?」

「別に?」


 人差し指を落とした美結は不意にほほ笑みを浮かべ、「ただ」と言葉を続ける。


「ただ、私たちって結構って思っただけ」

「それはまぁ、あるな。中学の頃だってお互いに合わせすぎた節はあるし」

「んね。初めてハグした時覚えてる?私が力弱めるまで離してくれなかったんだよ?」

「覚えてるけど……逆じゃね?美結が離れようとしないから、あえて俺が力を弱めて離させた記憶なんだが」

「え?私の元カレすっごい嘘つくんだけど」

「どっちのセリフだよ」


 あの頃の記憶なんていっときも忘れたことがない。

 夢に出てきてしまうほどに深く心に根付き、後悔が溢れ出ている。


 だから間違えるはずがない。

 まだ未練がある俺が、もう未練の欠片もない美結に騙されるわけがない。


 睨みが交じり合う数センチの目と目の間は、きっとこの瞬間だけは俺たちが住んでる地域のどこよりも激しい葛藤を繰り広げていることだろう。


「……試してみるか?」


 先に口を開いたのは俺。

 けれど、先に美結。


「……この期に及んで考えること一緒なのちょっと釈然としない……」

「やめる気ないくせになに言ってんだ」

「……バカ」


 背中に回る美結の腕に体を委ねると同時に、美結の顔が肩に埋まる。


 そんな美結を俺も腰に手を回し、すっかり痛みが引いた顎を美結と同じように肩に乗せた。


「……体重預けても良いんだぞ?」

「言われなくてもそのつもりですぅ……!」

「んで怒ってんだよ……」


 ドンッと耳に耳をぶつけてくる美結は腕に込める力を強めた。


「なんだ?離したくないのか?」

「勘違いしないで。あくまでもだけだから」

「なるほどな。これはあくまでもだけか」

「……うん。確かめてるだけ」

「…………んなら、もっと力込めてもいいってことか?」


 耳元でコクっと頷かれたのが分かる。


 そうして更に強まる美結の腕に答えるように、俺も力を強めた。

『本当に離したくない』と言いたげに。『確かめてる』という言い訳を罪悪感に言い聞かせながら。


 ――ボフッ


 そんな音を立てながら枕に倒れたのはどちらからともなく。


「この枕、若干祐希の匂い残っちゃってる……」

「……直に匂ってるだけではなく……?」

「んーん。枕から匂う。昔っから変わらない匂いが」

「……そうかよ」


 なんでこいつはそんな勘違いさせるような言葉を平然と紡ぐのだろうか。


 熱くなる頬を隠すように美結の肩に顔を埋めてやれば、なにを勘違いしたのか美結はクスッと含み笑みを零した。


「残念だけど私の匂いは前と変わってるよ?」

「……別に嗅いでねーよ。自意識過剰すんな」

「じゃあなんで埋めたの?」

「気分」

「嘘くさ〜」


「ふふっ」どことなく嬉しそうに言葉を零した美結は俺と同じように顔を埋め、グリグリとおでこを押し当てた。


「一応さっき私の髪乾かしたじゃん?」

「一応もなにも乾かしたけど、それがどした?」


 小さな籠もった声が部屋どころか、ベッド全体にすら響かない。

 けれど、これだけ距離が近ければ声どころか、相手の心音すら聞こえてくる。


「一応私、髪切ってるんだよね」

「一応もなにもずっと気づいてるけど、それがどした?」

「……女子褒めたことある?」

「あるよ。瑞月が髪切ったときとかよく褒めてる――って痛い痛い!?力込めすぎだって!!」

「あのね、今話題に上がってるのは私なんだよ」

「それがなんだよ……!」


 グググッと骨の節々が悲鳴を上げてるのにも関わらず、美結の力は増すばかり。

 それどころか肩に押し付けていたおでこまでもが痛い。


「私、髪切ったんだよね」

「知ってるって!というか半年前から切ってるんだから嫌でも分かるわ!」

「私、感想言われてないな?」

「言ってないからな!」

「なんで言わなかったの?」

「過去形なの悪意あるだろ……!分かった!分かった!!似合ってる!美結はセミロングも似合ってるよ!!」


 不意に力が弱くなる。

 そうして開放された全神経と骨たちは一斉に呼吸を始めた。


 体が楽になったことで安堵のため息を付いた俺なのだが、そんなのを他所に足までもを腰に回してくる美結はギュッとそこそこの力を込めた。


「……瑞月はロングだもんね」


 刹那、俺の体はピシャリと固まった。


 物理的に身動きが取れないからではなく、その言葉の意味を察してしまったから。


「……美結。多分だけど、勘違いしてる」

「勘違いってなに……」

「俺は別に――」

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