未知

田村凛

未知

 「この世で最も怖いものは何だと思う?」


 彼は、人差し指をピンと立てて言った。

 人気の無い住宅街を、不気味なほど明るい満月が照らしている。


 「人でしょうか。幽霊やお化けも怖いですが、理性を持ちながらも、初対面の人にも残酷な事ができるのですから。テレビでも猟奇的な事件がよく報道されていますよね。理解し難いですよ、犯人の思考は」


 動画でエセ心理学者が、得意げに語っていた内容をそのまま流用した。

 もっとも、人が怖いというのは嘘ではない。


 「花村さんは人が怖いのか。意外だな、毎日たくさんの人に囲まれて楽しそうにお喋りしているのに」


 小馬鹿にしたような言い草に、ムッとする。


 「それとこれとは話が別ですよ」

 「あはは。そうかもね」


 長い前髪に隠されて、彼の顔はよく分からなかった。着ている黒ジャージは、小柄な体型に似合っていない。


 「人の字の由来は、人が二人で支え合ったものじゃないそうなんだ。古代に遡るけど、人が体を屈折させた姿を横から眺めた形らしいよ」

 

 単純だよね。ま、真実なんてそんなものさ。

 彼は唇の端を上げた。


 「ネス湖のネッシーや雪山のイエティ、ツチノコも全部嘘。合成写真や勘違いに過ぎないのさ」


 スコットランドのネス湖で一九九三年に撮影された未確認生物、ネッシーの正体については様々な説が提唱されてきた。巨大ウナギや霊体、太古の恐竜の生き残り。だが、撮影者本人が死の間際に、写真がトラックであったことを暴露した。

 ヒマラヤ雪男のイエティは、登山家の十数年にわたる調査によりクマの一種である事が発覚。

 一九九ニ年に農家で発見されたツチノコらしき死体は、鑑定の結果マツカサトカゲと呼ばれるオーストラリアに住むトカゲだと判明。

 少女時代、本気でUMAや宇宙人を信じていた私には、これら事実はロマンを破壊する強烈な鉄球だった。


 「でもさ、嘘でよかったじゃないか。想像してごらんよ。マリアナ海溝に百メートル越えの怪物が、餌を狙って海底に潜んでいるのを!二度と海に近づけなくなるよ」


 海は好きじゃない。

 サメ映画を観てからは、特に。


 「つまり、俺が言いたい事は、この世で一番怖いのは"分からない"ってことさ」


 この人は、案外的を得たことを言う。

 読心術が使えるのかもしれない。

 街灯にユスリカが群がっていた。二十匹はいる。


 「これまでの人生を思い返してごらん。人が死を恐れるのは何故?人が夜の森、山、海に恐れを抱くのは何故?人が神に畏怖するのは何故?分からないからだ。知れない、見えない、感じられないからだ。そうだろう、花村さん」


 彼が前髪をかきあげると、虚な両目がこちらを凝視していた。目を爛々とさせている。

 思わず後退りすると、両手で腕を掴まれた。

 私では、絶対に振り解けない力だ。

 

 「あ・・・・・・あの・・・・・・」

 「どうかしたの、花村さん」


 静かな夜道。この空間だけが、世界の中心になって回っている。回転を止める方法は一つだけ。


 「あなたは・・・・・・誰ですか?」

 

 唐突に話しかけてきた、見知らぬ男。バイト先のパート仲間でも、大学にいる友人でもない。

 

 この男は、誰。

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未知 田村凛 @11010417

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