3. 私は浜辺で貝を売る
3-1
朝から天気が良くなかった。雨は降っていなかったが、空は雲におおわれている。
アニーは空を見上げて思った。雨が降り出す前に、少し海岸に行っておこう。
家を出る前に、たんすの引きだしを開けた。中を見る。大したものは入っていないが、その中にシリルからもらったベレムナイトがあった。アニーは迷った。
これはシリルがくれたもの。雷よけだって、言って。今日は――雷がなるかもしれない。持っていくとよいかもしれない。
でも。アニーは思った。なぜか、それを身につけたくないという気持ちもあった。
あの日、シリルときれいなお嬢さんたちが仲良くしてたのを見てからだ。こんなふうにもやもやすることが多くなったのは。ばかみたい。シリルとあたしが違う階層の人間で、向こうはお金持ちのお坊ちゃんで、あたしは貧しい家の娘で、全然違う世界の人間だってこと、最初からはっきりとしてたことなのに。
思い悩むのもばからしいな、とアニーは思った。アニーはベレムナイトを取り出し、それをポケットに入れた。お坊ちゃんの優しい気まぐれ。ありがたく受け取っておくことにしましょう。
「おいで、アモン」
アニーはアモンを呼び寄せ、外に出た。
――――
「アニー!」
自分を呼ぶ声に、アニーは振り返った。振り返る前から誰かはわかっていた。シリルだ。
アニーはアモンとともに海岸にいた。シリルが近づいてくる。シリルはアニーにほがらかに声をかけた。
「久しぶりだね。といっても、一週間くらいか」
「そうね」
あなたはその間、きれいなお嬢さんたちと楽しそうにしてたわね、とアニーは思ったけれど言わなかった。
「客が来てたんだよ。その相手をするのに忙しかった」
「そうなの」
きっとあのお嬢さんたちがそうなのね。アニーは特にその話をしたいとは思わなかった。シリルの背後を見る。おくれて、こちらにやってくる二つの人影。
エリザベスとエヴァンスだ。
エリザベスはともかく、エヴァンスは意外だった。エヴァンスはやせた長身をしゃっきりと伸ばして、大股にこちらにやってくる。いつもは憂鬱そうなのに、今日は陽気そうだ。この天気なのに? とアニーは曇り空を見て思った。まあ、天気はあまり関係ないかもしれない。
「こんにちは、化石少女」
エヴァンスがアニーに声をかけた。「ついそこで、ヒース姉弟と会ったのです。海岸に行くというから、私もついてきましたぞ」
「そうなんですか」
エヴァンスのことは嫌いではないが、さりとてすごく好きというわけでもない。仲間になって嬉しいわけでもないし、嫌なわけでもない。アモンは人が増えたことに喜んで、しっぽを振っていた。
「あまり長くはいられないかもしれませんね」アニーは空を見上げて言った。「雨が降りそうですから」
雲はさらに厚く、重たげになっていた。昼間だというのにうっすらと暗い。エヴァンスはアニーの言葉を聞いてはいないようだった。
「シリルくんと楽しい話をしておったのです」目を輝かせながら、エヴァンスは言った。「ドラゴンの話ですぞ」
「はあ……」
アニーはあいまいに返事をした。またそれか。
アニーの表情があまり楽しそうでなくても、エヴァンスは一向に気にしていないようだった。
「ドラゴンのすみかがあるそうではないですか」
「なんなんですか、それは。初耳です」
「洞窟のことだよ、アニー」横でむじゃきにシリルが言った。「ほら、クラークさんが入っていった」
「ああ……」アニーは気乗りのしない様子で返事をした。そしてシリルに尋ねた。「あれって、竜のすみかなの?」
「僕がそうじゃないかって、エヴァンスさんに言ったんだよ。そしたらエヴァンスさんが張り切って、たしかめに行こうって話になったんだ」
「洞窟を探検するならそれなりの装備がいるわよ。灯りとか」アニーはシリルを見て言った。「あなたたち、何も持ってないじゃない」
「たしかにそうだけど」
「それにしてもわくわくする天気ですなあ!」いきなり大声で、エヴァンスが言った。アニーはおどろいた。わくわくする天気? この暗い、今にも雨が降り出しそうな天気が?
「邪悪なドラゴンたちにふさわしいことですな……」しみじみと、エヴァンスは言う。「空はくもり、光は奪われ、海も暗くなるのです。その暗い海がわきたちそこからドラゴンが現れる……。うろこにおおわれとげをはやし、するどい牙を持つドラゴンが、同じく邪悪な同朋に向けて、大きく口を開ける――」
どうしてエヴァンスさんはこういった陰欝でおどろどろしいものが好きなんだろう。アニーは考えたけれどわからなかった。ともかくちょっと身をすくめて見せた。せっかく一生懸命話してくれているのだし。
「なんだか……恐ろしいですね」
「化石少女、案ずるにはおよびませんぞ」大まじめな顔で、エヴァンスはアニーに言った。「ドラゴンたちはみなほろんでしまいましたからな」
「それはさいわいです」
アニーもまじめに答えた。
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