1-9

「なんで今はドラゴンがいないんでしょう?」


 シリルがエヴァンスに尋ねる。エヴァンスはあっさりと言った。


「寒くなったからでしょうね」

「なんで寒くなったんですか?」

「神様がそうなさったからです。神様は、ドラゴンを滅ぼそうとなさった――」

「神様がそんなことを! 神様はたいへん慈愛にあふれた方だと思ってましたが」

「ドラゴンが悪いのです。彼らには理性がなかった。彼らはお互い憎み合い争いを繰り返した。彼らは同族で殺し合いをやめず、神の教えをきかなかった。だから罰が下ったのでしょう」

「恐ろしいですね……」


 シリルが神妙につぶやいた。エヴァンスの表情は冷ややかだった。


「ドラゴンたちが闊歩する世界こそが恐ろしいものだったのです。それは温かい……というよりも、熱い世界だった。空は曇り太陽は陰り、にも関わらず非常に気温は高かった――薄暗くさわやかさなどはなく、ただ気持ちを沈鬱にさせる熱気だけが満ち、その暑い熱い世界でドラゴンたちが殺し合いをしていた――」

「それで、海が沸騰していたの?」


 ずっと黙っていたジェーンが茶目っ気たっぷりに訊いた。エヴァンスが訂正した。


「沸騰していたわけないでしょう? 海の生き物がみなゆであがってしまうじゃないですか」

「それはそれでおいしそう」

「私はまじめな話をですね」

「でもお嬢さんたちがひいてしまっているわ」


 ジェーンの一言にエヴァンスははっとした表情になった。エヴァンスはアニーとエリザベスを見るときまじめに頭を下げた。


「これは申し訳ない。ご婦人がたに訊かせる話ではありませんでしたな」


 アニーはエヴァンスからドラゴンの話を何度も聞いている。ということは、エヴァンスはエリザベスに気を遣っているのだろう。


 アニーはエリザベスのほうを見た。エリザベスはあいまいな苦笑いを浮かべていた。


「私はご婦人が好む話題を知らんのです」頭をかきかきエヴァンスが言った。「何が良いですかな? ドレスの話題? 花の話題? おお、花といいましたら、おそらく大昔にも植物はあったと思われるわけで、あるいは草食のドラゴン……いや」


 エリザベスの苦笑はいまや大きくなって、けれどもさほどエヴァンスに嫌悪を抱いているわけでもなさそうだった。


「私も化石が好きなんです」


「なんと! まあ!」エヴァンスが大声をあげた。「ということは、ここのレイトン姉妹と同じタイプのご婦人である、と?」


「そうなのです」


「ならばよかった」エヴァンスが笑顔になった。この人が笑うのは珍しいわ、とアニーはその光景を見て思った。意外と口が大きいのね。


「普通のご婦人とどう接してよいのか、悲しいことに私にはわからんのです。でもレイトン姉妹と同じなら大丈夫。これで安心して話せますわい」


「じゃあ話の続きをしましょうか」ジェーンが明るく言った。「ドラゴン――もしくはゆでアンモナイトはおいしいかどうかの話題を」


 テーブルの面々が笑い、エヴァンスもまた困ったようにくしゃくしゃと笑った。




――――




 ベッキーの出発の日がやってきた。家の前に友人一同が集まって、馬車に乗ろうとするベッキーに別れのあいさつをする。


「さびしくなっちゃうわ」


 鼻をくすんくすん鳴らしながら、サラが言った。「なるべくちょくちょく帰ってきてね」


「そんなひんぱんには帰ってこられないわ」


 ベッキーが苦笑する。


 サラの隣にはアニーもいた。アニーは泣いてはいなかった。が、やはりさびしい気持ちだった。


「でも休暇はあるんでしょう?」


 アニーがベッキーに尋ねる。ベッキーは笑顔で答えた。


「そりゃもちろん。だからその時にはここに帰ってくるわ。ここは私の――大切な故郷ですもの」

「ああ、ベッキー!」


 サラは泣きださんばかりだ。


 ベッキーがアニーにいたずらっぽい笑顔を見せた。


「最近、お屋敷のヒースさんとこのきょうだいと仲がよいんですってね」


「うん……」アニーが答える。仲がよい……まあ、仲がよいのかな。「お姉さんが化石好きなの。だからうちのよいお客さんになってくれそう」


「お姉さんもそうだけど、弟のほうよ」ベッキーは笑った。「あたし見たわ。あなたたちが一緒に海岸にいるの。きれいな顔をした弟さんね」


「ああ……」友達になりたいって言われた話、まだベッキーにしてなかった。ここでそれを言おうかな。でもやめとこう。なんだか変なふうに誤解されても困るし……。アニーは少し迷って言葉を続けた。「なんだか暇をしてるらしくて、私の化石収集が珍しいみたい」


「へー」


 ベッキーはにやにやとアニーを見つめる。アニーはそっけなく言った。


「それだけよ」

「じゃあそういうことにしておこうかな」


 まったくもう、とアニーは思う。ベッキーはいいこだけど、妙に恋愛事が好きなのには困ったものだ。


 アニーは仕返しとばかりにベッキーに、にやりと笑いかけた。


「あなたも、ね。奥様付きのメイドになって、ハンサムな紳士と仲良くなったら、あたしに教えてね」


 ベッキーはついと頭をそらしただけだった。

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