「なんか最初混乱していたせいで日付の感覚がなかったけど、もうすぐクリスマスなんだね」

とカレンダーの前で栞が訊ねる。

「そうね、クリスマス」

サイドボードの上のイルミネーションの写真につい目が行く。

「何か予定はないの?」

と栞が訊ねる。

「ないよ」

「なーんだ、てっきりこい…あれ?」

と彼女は首を傾げる。

「どうしたの?」

きょとんとした顔でカレンダーを見て、私を見る。

「え、あ、ううん、何でもない。何か勘違いしたみたい」

てへへと笑って、栞はソファーに腰を下ろす。

「今年もイルミネーション見に行こうか」

と私が言うと、栞も写真立てに目をやる。

「ああ、その写真の?近くなの?」

「電車ですぐだよ」

「行こう行こう!なんか毎日楽しいな。そう言えばみーちゃんって仕事何してるの?今ってお休み?」

そう言えば説明していなかったなと思う。

「普通に会社員だけど、状況が状況だったから、架空の親戚に死んでもらって遠方の葬儀出席の為数日休暇ってことにしたの」

「あー、ずる休みだ!」

「恋人が記憶喪失で、っていう方が嘘みたいに聞こえるでしょ?」

「確かにね」

「栞が安定してきたし、そろそろ戻っても良いんだけどね」

「この楽しい日々ももう終わりかぁ」

「まぁいつまでも続けられないよ」

「残念」


夕方、数駅電車に乗って徒歩15分。二人で国営公園へ向かう。公園へと繋がる広い道を、カップルがまばらに歩いている。

「私達もカップルに見えるかな?」

と栞が浮いた声で言う。

「友達か姉妹ってところじゃないかな」

「まぁそうだよね、実際」

彼女は少し寂しげに笑う。

入場券を買って、カップルたちに紛れてゲートを通り抜ける。

すると一気に視界が開けて色とりどりの灯りやオブジェが目に入って来る。

周りから歓声があがる。栞も楽しそうな表情を浮かべて、近くのトナカイを模したオブジェに駆け寄る。私はその様子を写真に収める。

並木に掛けられたランタン風の灯り、大きなクリスマスツリーに雪だるまのオブジェ。照明の散りばめられたアーチ。灯りを見て夢中で歩いていると、不思議と少し温かくなってきた。

「楽しそうだね」と私。

「すごく。みーちゃんは楽しくないの?」

「勿論楽しいよ。栞が一緒なんだから」

彼女が照れを隠す様に、イルミネーションの方に駆けていく。その後を追って、彼女の表情を覗く。私は栞の瞳から、昨日、一昨日、彼女が流した涙と緊張を思い出す。彼女は私を見つめていた。その瞳に映っていた色は、とてもじゃないけど幸福の色ではなかった。もっともっと暗い色。ほんの一瞬差すその色が、私を不安にさせる。

「ねえ、みーちゃん」

「なに?」

「このままさ、私の記憶が戻らなかったらみーちゃんはどうするの?」

視線がイルミネーションから私に移動してぶつかる。

「どうするって?」

「このまま一緒にいるのかなって」

「そのつもりだけど」

「でもさ、記憶が違うんだから厳密には私はみーちゃんが好きだった栞さんではないわけじゃない?思い出もなくしちゃったわけだし。戻るかもしれないけど、そうじゃないかもしれない」

「どうかな、私は栞は栞だと認識しているし。記憶は戻らないかもしれないけど、思い出はまた作れる。勿論、今の栞が女の人と付き合うのは難しいとなれば、また考えなきゃいけないけどね」

「そっか。そうなのか」

「そう」

栞が私の方に歩いてきて

「ちょっと、良いかな」

と言う。

「何が?」

と私が言うが早いか、彼女は私を抱きしめた。

「ありがとう、みーちゃん」

私は彼女の冷えた髪を撫で、抱きしめ返した。そして私の顔をじっと見る彼女の唇に自分の唇を重ねた。一瞬驚いた表情を見せるが、彼女が私に身を預けた事が重みの変化で分かる。彼女の体温、そのいじらしい表情が、私の欲望を刺激する。しかし記憶を失った彼女にとって、私は初対面から数日程度の人間。それを過去の話を並べて恋人だと言って聞かせる行為に、なんだか罪悪感が湧いてきて力が拮抗する。私は彼女の肩を両手で包むようにして、お互いの身を離した。彼女が少しだけ名残惜しそうな視線を投げかけてくる。私はそれを見て見ぬふりをして、少し離れたハートのオブジェに向かって歩いた。去年写真を撮ったスポットだ。

その瞬間灯がすべてが消え、公園が闇に包まれた。どよめく声があちらこちらから聞こえる。栞の近くに居なきゃと思うが、急に暗くなったせいで視界が安定しない。

「みーちゃん!」

狂った方向感覚を整えながら、声のした方角に向かう。すると身体を小さくして震える栞がそこにいた。

「みーちゃ…」

その声を掻き消す様に、私の前を横切った影が栞を押し倒してしまう。栞の悲鳴。へたり込んだ栞に影が覆いかぶさっている。

「ごめんなさい」と低い男の声がした。男はぶつかって、もつれただけなのだろう。しかし私は止まれなかった。次の瞬間男を思い切り突き飛ばしていた。転がった男の顔面を蹴り飛ばす。

「やめて」という栞の声が認識できるまでに時間が掛かった。私は我に返って栞を抱き起して、急いでその場を離れた。どうやって帰ったのか記憶が曖昧だ。気付くと私は自宅の玄関で栞を抱きしめていた。

暫くして栞が口を開く。

「私、全部を思い出したの。みーちゃん」

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