「貴女が、私の恋人?」

と我が家のリビングで神野栞じんのしおりが小首を傾げて私を見つめる。

「そう。ほらこれ」

そう言って私はサイドボードに飾ってある写真を手に取る。私と栞が去年のクリスマスに国営記念公園のイルミネーションで撮った写真だ。ハート型オブジェの中で二人が笑っている。その隣には花束を持つ表情の強張った私と無邪気に笑う栞が高校の正門前で並んでいる写真。更にその隣には子供の頃の写真もある。それを指差して栞は

「これも、私と貴女?」

と写真と私とを見比べる。私は頷く。

「私は美和みわ。栞はみーちゃんって呼んでいたけど、好きに呼んで」

栞は溜息を吐いた。

「美和さん…みーちゃん…。ていうか私達幼馴染なんだ…でも駄目。全然思い出せない。ごめんなさい」

「良いよ。焦っても仕方ない。ゆっくりで平気だよ」

と私は栞のウェーブの掛かった栗色の髪を撫でる。彼女は照れくさそうに俯く。

「なんか、懐かしいような気もするけど、恥ずかしいな」

「ごめん、いつもの癖で。嫌だったら言ってくれて構わないからね?」

私は彼女の頭から手を離す。

「嫌じゃない、嫌じゃないけど…女同士って不思議な感じがして」

「そっか。記憶を失って恋愛対象が変わっちゃうこともあるのかな」

と私は不安を声に乗せる。栞は取り繕う様に私の手を握る。

「大丈夫、大丈夫だと思う」

冷たい手と温かい言葉。大半の記憶を失ってしまっていても、栞のその根拠もないが、頑張って相手を慰めようとする姿勢は変わらずそこにあった。

「ありがとう」

私は素直にそう言う。

「そうだ、お腹空かない?食べたいものある?」

と言いながら私はキッチンに向かう。

「うーん。私って何が好きだったの?」

と栞が訊ねる。私があちこちに散らばった記憶にアクセスしながら、食事に関する思い出を話すと栞が吹き出した。

「ハンバーグにカレーにオムライスってなんだか子供みたい」

「そういうところも可愛かったんだよ」

私がそう言うと栞がまた恥ずかしげに俯く。私は冷蔵庫の中身を確認しながら、

「うん、材料もあるし、オムライスならすぐ出来るよ。親子丼でも良いけど」

と言うと栞が

「オムライスが良い!」

と私に近づき、冷静になって「…かも」と語尾を言い淀んで一歩下がる。久しぶりの元気そうな反応に私もつい笑みが零れる。

「わかった。ちょっと待っててね」

私が料理を始めると栞はその様子をカウンター越しに見つめていた。何か記憶回復のヒントを得たいのかもしれない。私が玉ねぎをみじん切りにしようとペティナイフを手に持った時、栞の様子に変化があった。一瞬大きく目を見開いて、それから哀しそうな表情を浮かべて涙を流し、また元の表情に戻った。

「玉ねぎのせい?」

と私が訊くと、

「そうかも」

と言って栞は袖口で頬から目元を拭う。

「座って待っててよ。すぐ作るから」

そう言って栞をソファーに座らせ私は調理を急いだ。玉ねぎ、鶏肉を白ワインを振って炒める。ライスとケチャップを投入して、隠し味に粉チーズ。久しぶりに作ったせいで少々卵が不格好ではあったけど、栞は「美味しい!」とオムライスを頬張った。


食事が済み、お風呂。以前は一緒に入ったものだけど、栞が記憶を失った今、私の視線が気になってしまうだろうと別々に入ることを提案した。しかし彼女はあまり一人になりたくないと言い、一緒に入ることになった。実際入ってみるとなんだか私の方が改まってしまい、彼女の身体を前に目のやり場に困って浴室の天井を見つめては(年明け前にはカビ取りしないと)とかタイルを数えたりしていた。

「お風呂の入り方は覚えているみたい」

と洗体中の栞の声が浴室に響く。

「体を洗う順番も前と一緒だね」

と私が言うと、彼女はあからさまに赤くなって浴槽の縁に顔を乗せる私にシャワーを掛けてきた。私は浴槽のお湯を両手で包み水鉄砲を放つ。笑い声が響く。

「なんか懐かしい感じかも」

と栞が髪の毛に含まれた水を切りながら言う。

「思い出せそう?」

「うーん、正直そこまで…」

「さっきも言ったけど、気長にね」

「うん」


栞にドライヤーの場所と使い方を教えて、自分はリビングでソファーに沈みテレビを点ける。人気スイーツ店、芸能人のファッション格付け、大手動画サイトでバズッた動画の流用。平和過ぎて欠伸が出そうになる。テレビという黒くて四角い枠の中、世界の中のほんの一角を切り取っただけのその情報で、自分は大丈夫だと錯覚し始めてしまう頃、ぼんやりとニュースのチャンネルに切り替える。隣の県で起きている移民問題。保育園での事故。駅のホームからスマホ歩きで転落。地元で起きた強盗事件。少しだけ自分が大丈夫ではないと思えてきて、徐々にニュートラルに戻ってくる。それでいい。自分は少し不安と緊張感を持たなければいけない。

「ドライヤーありがとう」

気付くと栞が髪を乾かし終わり、リビングに来ていた。私の隣に腰を下ろす。今の栞に過度に情報を与えすぎるのはあまり良くない気がしてテレビを消す。

「何か飲む?」

と私が言うと、栞は

「何か温かいものが飲みたい」

と言った。

「ココアでも淹れようか」

私は温めた少量の牛乳でココアの粉末を練る。

「何してるの?」と栞が訊ねる。

「こうやって作った方が美味しいんだよ」

「よく知ってるね、そんなこと」

「パッケージの裏に書いてあるよ」

「え、そうなの?ほんとだ。なーんだ」

以前にも同じようなやり取りをしたことがあった。その時栞は、

「種明かししなければ物知りのふりが出来るのに!」

と私に言った。シャーロックホームズの言葉を思い出す。

「手品師は一旦種明かしをしてしまったら、もう感心されないし、尊敬もされない」

私は普段嘘があまり得意ではない。だからすぐに種を明かしてしまう。

それでもその時の栞は私の正直者度に感心してくれた。思い出に耽っている内にココアが出来上がり、肩を並べてそれを啜る。口の中に少しほろ苦い甘味が広がり、ミルキーな温かみが眠りを誘う。流石に今日は私も疲れた。

二人で寝室へ向かい、栞をダブルベッドに寝かせる。

「おやすみなさい」

そう言って私は部屋から出て行く時、照明のスイッチをOFFにした。すると暗転と共に「待って」と栞の声がする。慌てて照明をつけベッドに駆け寄る。掛け布団を首元まで被った栞が不安げな顔で私を見る。

「大丈夫…?」

「ごめんなさい。暗闇の中で何か思い出しそうになって、少し怖くなった。あの、良かったら一緒に寝てくれない?み、みーちゃん」

と栞が布団を開ける。少し躊躇してしまうがその不安げな表情に負け素直にベッドに入る。

「ありがとう…安心する」

と栞が小さく呟き、少しすると寝息を立て始めた。電気は消さない方が無難そうだ。私は正直真っ暗な方が寝られる性質だが、なんて思っていたがすぐに意識が途絶えた。



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