第2話
振り向いたその子は、驚いた表情をした。
一瞬俺を睨んだように見えたのは、気のせいだろうか。
「あの……?」
俺が戸惑っていたけれど、それ以上にその子は困惑している。
制服のリボンの色から、同学年だということだけはわかった。
「ああ、ごめん。肩に糸くずがついてたから」
これはターゲットとの出会いでよく使う嘘。糸くずなんて、どこにもない。
だけど、親指と人差し指で何かを掴んでいるように見せ、その辺に捨てるふりをすれば、だいたいの女子は信じてくれる。
例に漏れず、彼女は警戒心をなくしてくれたのか、柔らかく笑う。
「ありがとう。えっと……」
と思ったら、困った表情を見せた。
「ああ、俺は柿原。柿原夏輝」
「柿原君。ありがとう」
彼女はもう一度お礼を言うと、俺に背を向けた。
いや、待て。それだけか。
俺は慌てて彼女の行く手を塞ぐ。その子はきょとんとした表情で俺を見る。
「えっと……そう、君の名前、知りたいな、なんて」
しまった。ちょっと必死になりすぎた。
彼女は不審者を見るような目をしている。
「ほら、同じ一年なわけだし、なんていうか、仲良くなりたいなと思って」
へたくそか。
今までのピエロ振りはどこに消えた。
自分でもそう思うくらいなのだから、彼女が笑うのも無理ない。
しかしその小さな笑い声も可愛い。
「私は二組の
「藤枝さん……」
名前を教えてもらっただけなのに、変に頬が緩んだ。
しかし名前を知れた喜びに浸っている場合ではない。
仲良くなりたいのは俺だけで、藤枝さんは俺のことなんかに興味はない。
このままでは会話が続かず、藤枝さんをさらに困らせてしまう。なにか、話題を提供しなければ。
「かなはって、どういう字を書くの?」
藤枝さんの情報が名前しかないから、これ以外の話題が思い浮かばなかった。
藤枝さんが歩き始められるように、隣に立つ。
「奏でるに、羽だよ」
俺の気遣いに気付くと、藤枝さんは歩き始めた。
俺の一歩とは違い、藤枝さんの一歩はとても小さかった。
けれど、彼女の歩幅に合わせて歩くのは、案外嫌いじゃない。
「へえ、可愛いね」
「柿原君は?」
きっと、質問されたから同じことを返しただけ。そのはずなのに、少しでも俺に興味を持ってくれたような気がして、過剰に笑ってしまう。
今の俺はさぞ滑稽だろう。
「夏に輝くって書くんだ」
「じゃあ、夏生まれなんだ?」
俺のほうを向いて、少しだけ首を傾げる。
「いや、秋。十月なんだ。でも俺、姉がいて。姉ちゃんの名前に春って使ったし、次は夏だろ、みたいな。適当なんだよ」
自虐的に笑って見せるが、藤枝さんはつられて笑ってくれない。
「そう? 私は夏って聞くと、明るくて元気なイメージがあるから、そういう子に育ってほしいと思ってつけられた名前なんじゃないかな」
そんなふうに考えたことはなかった。
本当の由来を聞いたことがないから知らないけど、そうであってほしいと思った。
「じゃあ、私ここに用事があるから。またね」
藤枝さんは図書室のドアの前で立ち止まり、俺に手を振った。
正直話し足りないけど、これ以上引き留めるわけにもいかない。
俺が手を振り返すと、藤枝さんはそのまま中に入って行った。
「随分と純粋そうな子見つけたね」
どこから見ていたのか知らないが、藤枝さんがドアを閉めた瞬間、蒼生は現れた。
「で。今回は恋人ごっこするんだっけ?」
蒼生が確認してくるが、俺は無視をするように、図書室の前から移動を始める。
「それなー……やっぱりやめるわ」
自分で提案しておきながら、そして彼女をターゲットと言っておきながら、俺はゲームをする気にはなれなかった。
「なにそれ、どういうこと? 夏輝がターゲット見つけたって言うから、隠れたのに」
蒼生の声色が変わる。顔を見なくても、不満そうにしているのがわかる。
「なんていうかさ。ダメだと思うんだわ。ああいう子は。うん、ダメ。騙しちゃダメ」
蒼生を説得するというより、自己完結させるような、独り言のようなものだった。
「今さらなに言ってんの。ああいう純粋な子、いっぱい引っ掛けてきたじゃん」
蒼生の言う通りだが、今回はやりたくないと思った。
それでも頷かなかないでいたら、蒼生はつまらなそうに、どこかに行ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます