第8話 愛した女の名前は~

 この当時流行っていたレゲエの曲を、士狼は口ずさむ。


「あーいした女のなまえはー、ひよㇼ……」


クソ気持ち悪い替え歌を、寸前で思い留まった士狼は金髪の髪をぐしゃぐしゃと毟り叫んだ。


「し、しねっ!」


 もちろん自分に対しての言葉である。 

衝動的に飛び出した叫びに休日でゴロゴロしていた猫が飛び跳ねた。


「シロウちゃん!? ど、どうしよぅ、シロウちゃんの情緒がおかしくなっちゃったぁ!」

「あ、いや、ごめん」


 恥ずかしすぎて士狼はたまらずに煙草を吹かす。すでに3本もチェーンしている。日和ひよりへの恋を自認してから、ずっとこの調子であった。


 前の人生ではそれなりに遊んで、彼女だって長続きしたことはないが何人もいた。なのに、これじゃまるで初恋に焦がれる中二男子。このままでは日和という文字をタトゥーで入れかねない痛さ加減だった。


ブビィィーと小汚いインターフォンが鳴る。


「あ、きたみたい~」


 いやな予感がした。


「いらっしゃーい、ひよりん」

「ネコちゃんこんばんわ!」


 レジ袋をひっさげた日和が笑顔でやってきた。内開きのドアから入ってくる図々しい彼女の姿は、士狼の精神を土足で踏み荒らす。


「おい、どういうことだ」

「ひよりんが今日からごはん作ってくれるんだってぇ!」

「待て待て、ツッコミどころが多すぎる。こいつにだって、家族がいるだろうに、迷惑すぎんだろ」


 重そうなレジ袋をキッチンに置くと、日和は早速料理に取り掛かる。


「問題ないですよ! わたし一人暮らしなんで。家も近所だし、作る手間もあまり変わりません」


 じゃがいもを洗い、ピーラーがなかったので包丁で丁寧に皮をむいていく日和に眩暈がする。


「……よ、よし。百歩譲って今晩は分かった。でだ。今日からってなんだ。まさかお前」

「言葉の通りです。今日から毎晩作りにきます」


 どうしてこんなことになっているのか。

母親をにらみつけると、罪悪感の欠片もなくテヘヘと舌を出す。メアドを交換していたのは知っていたが、まさか息子を通さずにこんな取り決めを裏で交わしているとは。


「すっご~い、みてよシロウちゃん。ひよりん包丁つかえるんだよ!?」

「ああ、凄いよ。凄ぇ凄ぇ」


 投げやりに呟くと、ジト目で日和が情けない親子を見つめる。


「ネコちゃんから聞きましたよ。毎晩カップ麺ばっかり食べていたそうですね。それじゃ体を壊してしまいます。なので、今日からわたしが氷室家の栄養を管理するから、そのつもりで」

「いよっ、料理長だねぇ~」

「えへへへそれほどでも」


(通い妻の間違いだろ)


 不貞腐れて士狼はキッチンと部屋の境目で座り込む。

状況は最悪だ。絶対にこの気持ちは隠さないといけないのに、あまりにも距離が近すぎる。


「士狼君は嫌いなものとか、アレルギーはありますか?」

「……ねえよ」

「よかった。じゃあゆっくり待っててくださいね」

「……」



 トントンと包丁で小気味よい音を奏でる日和の後ろ姿をみつめる。

肩甲骨まで伸びた艶やかな黒髪。細めのスタイルだが、膨らむところはきっちりと成長している。


 家庭的な女がタイプという訳じゃないが恋は理屈じゃない。鍋の蓋をあけたり、水道の蛇口を捻ったり、そんな日常的な所作にすら愛おしさを感じてしまう。


 もしかすると、タイムリープしたことで、精神性も若返りしてるのかもしれない。そうでなければ、うなされるような熱っぽい気持ちの整合性がとれない、そしてなにより、こんなロマンチックな自分がたまらく嫌いだ。


(らしくないっ、マジでらしくないぞ。どうしまったんだよ)


「出来上がりでーす」


 小さなテーブルに料理が並ぶ。

サラダと肉じゃが。味噌汁とごはん。実家で一度も経験したことのない暖かみのある色味。


「いただきまーすぅ」

「いただきます!」


猫と日和がサラダを食べて、大皿に入っている肉じゃがをよそる。食器はどれもバラバラで不揃い。味噌汁は茶碗が足りなかったせいで湯呑に注がれていた。


「おっいしぃ~、ほらシロウちゃんもたべなよ」

「遠慮しないでください」

「……いただきます」


日和がよそってくれくれた肉じゃがを箸でつまんで口に運ぶ。


「うっま」


 不覚にもそうこぼしてしまう。なるべくリアクションをしないことで、ささやかな嫌がらせを考えていたけれど、そんな浅はかな作戦を消し飛ばすくらいに、ほろっと柔らかいじゃがいもが舌の上で踊る。


気が付けば完食していた。


「うふふふ」

「なに笑ってんだよ」

「だって、士狼君が笑ってるのを初めてみたから」

「……っ」

「美味しそうに食べてくれてありがとう。作った甲斐があったよ。これで少しは心を開いてくれたかな?」

「わ、笑ってなんかねえ」

「笑ってたよお」

「……」


 全力で否定したいけど自信のない士狼は仏頂面で黙るしかなかった。そのくらい日和の料理は美味しかった。


(ああ、駄目だ。こんなのが続けばいつかバレちまう。どうにかしてこの女を追い出さねーと)


 悪魔を家に招き入れた母親を睨むと、彼女は「わかってますとも」と大きく頷いた。そして、テーブルの下からこっそり小さな箱と、固い正方形のケースを手渡してくる。


煙草かと思って確認する。

0.02ミリとボブマーリーのCDだった。

避妊どころか、息子のSEXのムードまで干渉してくる母親とか嫌すぎる。


「うわああ! ママお仕事の用事を思い出しちゃったぁ。今夜は職場に泊まるからひよりんは泊まっていってねえ~」

「えっ、えっ、えええ!?」


ふりふりと手をなびかせて、猫が白々しい態度でバタンと玄関のドアを締めていく。


士狼はポカーンと気を抜かれた表情の日和を見つめる。


「……」

「……あの」

「なんだ」

「一応、家が近いんで遅くなるのはいいんですけど」

「……そ、そうか」

「ところで、いま隠した物はなんですか?」

「……っ」

「もしかしてまた煙草ですか。だめですよ、回収します」


(どうしてくれんだクソババア!)

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