第9話 女と過ごす夜。

 無駄な気を遣われて日和と二人っきりで部屋に取り残されてしまった。

手元には母親が手渡してきた0.02ミリとボブマーリーのCD。こんなのをみられたら人生終了どころじゃない、羞恥心で地獄に落ちて死後も後悔するだろう。


 日和にばれないようにこっそりと背中側にまわして隠す。はやくどっかに隠蔽しないといけないのに……


「うしろに隠してるのだしてください」

「……っ!」


 純粋そうな黒い瞳で見上げてくる日和。全身の毛穴がぶわーっと開いて、心臓がバクバクと音を立てる。どうして、この少女はこんな時ばかり目ざといのか。


「な、なんでもねえよ」

「うそです、絶対に隠してますよね。もう、どんだけ煙草持ってるんですか。未成年なんだから、禁止です、禁止。さあ、はやく渡してください」

「……ほらよ」


 苦し紛れにさっとボブマーリーのCDを渡す。

日和はものめずらしそうにドレッドヘアーのおっさんがうつるジャケットを眺めて、すぐにそれを床に置いた。


「嘘ですね。まだなにか隠してます。この学級委員長の目はごまかせまんよぉー。さあ観念して全部だしなさい」

「……ちょっと、外出してくる」


 コンドームを後ろポケットにしまって、強引に玄関に向かって歩き出す。しかし、機敏に立ち上がった日和が立ちはだかる。


(ふざけんじゃねえ、なんでそうなるんだよ!)


「っ、煙草くらい自由に吸わせろ!」

「だ・め・で・す!」

「だっあぁぁ」


 半狂乱になりながら、もうなりふり構ってられないと、士狼がダッシュして強引に日和の横をすりぬけて、玄関のドアノブに手をかける。一拍遅れて、日和が背中から追いすがる。


 タイミング的には間に合う時間だった。しかし、氷室家のおんぼろアパートのドアは、なんの必要性もないのに無駄な欧米スタイル。くそ忌々しい内開きのドアに阻まれた士狼は玄関で詰まり、その隙に日和が尻ポケットに手を突っ込んでそいつを回収した。


「とったどー! ふふふ、絶対に煙草は吸わせんよ。こんなもの水につけてゴミ箱に……あ、あれ、なんかいつもと銘柄が違いますね…………0.02ミリ」

「ああああ!」


 ゴツンゴツンと士狼はドアに頭を打ち付けて吠えた。




 空気は地獄だった。

テーブルのど真ん中にぽつんとおかれた光沢のある箱。

向かいに座った日和が顔を真っ赤にしながら言う。


「あのぉ士狼君」

「……なんだ」

「こういうのは先に言っておかないと、事故が起きてからではおそいですし。私はその……士狼君とそういうことを致すつもりはありません」


 彼女へ想いを忘れたい身としては都合の良い言葉で、でも片思いしている男としては絶望的な拒絶に聞こえるそれに、士狼は心境複雑な気持ちでぼそっと返事をする。


「……わかってるよ」

「し、信じていいですか?」

「っく、だから何度も言ってるだろ! 俺じゃなくてあの母親ばかが勝手に気を遣っておいてったんだ。ああくそやってらんねえ」


 だれが好き好んで高校生の女に下関係の話題で説教されないといけないのか。こちとら精神年齢29のいい歳したオッサンだ。とてもじゃないが耐えきれなくなった士狼は、冷蔵からキンキンに冷えたハイネケンを取り出してガブッと飲みだす。


「なにしてるんですか! ナチュラルに法を破らないでください」

「うるへー」


 缶に手を伸ばしてくる日和に背中を向けて一気飲みする。


「ぷはー」

「さ、さいてー!」


 もうシラフで耐えられない状態だった士狼は冷蔵庫から追加で2本取り出して、一本を日和になげる。


「あ、あわあ」

「そんなに欲しいならやるよ」


 そう言い捨てて士狼はふて腐れたように座り込んで、ミニコンポでヒップホップを流して会話拒否する。


(ああ、だっさいな。マジでなにしてんだよ。でも、こうでもしないと日和への気持ちが誤魔化せないっ、だめだ可愛すぎる!)


 まるで中二男子のような発想に自分で恥ずかしくなる。

 プシュッとプルタブを捻ってビールを飲む。すこしでも、日和への想いをアルコールで紛らわせるように……

 

 「ビールなんていりまんよぉ、もう」


 隣に座った日和が、ハイネケンを手のひらでコロコロと転がして、呆れえた視線を送ってくる。近い、あまりに近い。耳が熱くなっている自覚がある。心臓の音とか聞こえないだろうか?


 不安になった士狼はさらにボリュームを上げてもうなにもかも投げ出したい気持ちで一杯になった。布団に潜って叫んで「好きだーっ!」って叫んでしまいたい。


「見逃すのは今日だけですからね」

「……悪いな」

「いいですよ。士狼君がどんな人か分かってきたんで。どうせ私がいない時は好き勝手してるんでしょ? 困ったさんですね」

「……」

「なにか喋ってくださいよ……女子一人に喋らせるなんてモテませんよ? あっ、そうだ恋バナでもします?」


 なんだその最悪なチョイスは。


「士狼君はどんな女の子が好きですか?」


(お前だよ)


 咄嗟にそう言いたくなるがぐっとこらえた。。


「……好きなタイプなんていねえよ。お前はどうなんだ、どんな奴がタイプなんだ?」

「ん~、わたしは頑張ってる人が好きですね。勉強熱心で努力家の人。応援したい気持ちになるし、自分も頑張ろうって元気を貰えますから」

「……じゃあ、俺は論外だな。まるで正反対な人間だ」

「うーん。まあ、タイプではありませんね」

「はっきり言うんだな」

「さっきみたいな事故が起きたら困りますから」


 彼女の言葉を平然と聞き流すがズキンと胸が痛くなる。気持ちを伝えるつもりもないし、叶える気もない恋のくせに、「タイプじゃない」と言われえて一丁前に不満だけがこみあげてくるのだから、男という生き物はなんて我儘なんだと自嘲してしまう。


 そんな気も知らないで、日和は楽しそうに笑う。


「あ、でも、暴漢から助けてくれた時は、とってもカッコ良かったですよ? 素敵な人だと思いました。あれがなかったら、こうして士狼君を信用して声を掛けることだってできなかったし」

「……あんなの見かけたらだれでも助けるよ」

「そんなことないです。誰にでもは真似出来ない勇気ある行動でした。さあ、次は士狼君の番です。好きなタイプを教えて……って、なかったんでしたね。じゃあ、趣味とか教えてくださいよ?」

「趣味なんて……俺にはこれしかねえよ」


 ビーツとライムをかき鳴らすスピーカーを指さす。


「ヒップホップが本当に好きなんだね。どういうところがいいんでしょう? 私にも教えてください」

「……好きなところか……ヒップホップはさ、生き方なんだよ。底辺にいるやつらが、成功を夢見て。もがいて、下から上を目指す、そんな音楽だ」


 ヒップホップが大好きだ。十代の頃からずっと聞いている。そして、仲間達はラッパーとしてずっと活動していた。それを仕事のかたわらにマネージャーとして支えるのが俺の生き甲斐だった。金なんてなくたって楽しい時間だった。


「なるほど、じゃあ今の士狼君は最高にヒップホップしてますね?」

「……どういう意味だよ」

「だって、そうでしょう。勉強が苦手な士狼君が、これから高校生として勉強に挑むんですから。下から上を目指して一緒に頑張ろうね?」


 馬鹿にするでもなく、心の底からそう思っているように、日和はそう言った。


 その後、夜遅くなり士狼は日和を家まで見送った。

帰り道、ふと星のない夜空を見上げる。


「……勉強するのもヒップホップかぁ」


 なぜだかその言葉は士狼の心に印象深く残った。

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