未明

また、一叶が変わった。

そんな感触はあるのに、

何が変わったか説明できない。

髪を切ったとか、お化粧を変えたとか

見た目のようにわかりやすいものならいいのに。


結局悠里という人と会わず

話さないまま今日までたどり着いた。

もし一叶の指示に従わず

痛い目とやらをみていたら、

縋るようにして一叶のことをよく知る

悠里の元に駆け寄っていたのだろうか。

その上でどうしたらいいか、なんて

話していたのかもしれない。

だが今目の前に広がっているのは

うちと一叶の2人だけで

話し合った昨日たちだ。

うちの選んだことであって、

後悔するかどうかは

明日や明後日、それより先、

それこそ何十年も経ってから

わかることなのかもしれない。


杏「今日も昨日も同じことをするの?」


一叶「同じこと、と言うなら今日で最後だよ。」


杏「…急だね。」


一叶「そうかな。でも、早く終わる方が杏もいいんじゃないの?」


杏「…どうだろ。」


一叶「ふふ、それとももっと話してたかった?」


杏「……。」


一叶「そんな暗い顔しないでよ。」


杏「話をしてたかったのはそうなんだけど…一叶が変わらないままで…楽しく何も考えないような話をしてたかったかな。」


一叶「数ヶ月前みたいに?」


杏「うん、数ヶ月前みたいに。」


今日もカフェに赴き、

2人で対面して座る。

土曜なので昼間から外に出た。

窓の外はそれに準ずるように

青っぽい光を取り込んでいる。


杏「…やっぱり、なんか変。」


一叶「私のこと?」


杏「そう。」


一叶「外から見てわかるものではないと思うけど。」


杏「だからなんか変で、それ以上にはいけない。」


一叶「なら、ただの思い違いかもよ。」


杏「一叶自身はどんな変化があったかわかるんでしょ。…昨日何があったかとか…それは…うちのせいとか。」


一叶「何が起こっても最終的には同じだよ。腕の内部のデータも、昨日なくしたものも、早かれ遅かれいずれ戻ってくる。早いか遅いかだけの違いで。」


杏「うちにとってはそれが今ここにないことが問題だと思う。…昨日、何を取られたの。」


一叶「取られた…ね。」


一叶にとってはどうでもいいのだろうか。

そんなことはないはずなのに、

戻ってくることをいいことに

今我慢すればいいだけと

言っているようだった。


一叶「杏の、これまでのデータかな。」


杏「…!」


一叶「でも、今年度の4月からのものはある。ちゃんと残ってる。」


杏「そ…っか。」


よかった、と言いかけてふと口が止まる。

うちらが出会ったのは

今年度の4月あたりだ。

それより昔のデータがなくなったというのなら

うちらは昔出会っていたことになる。

そんな記憶はないものの、

もしかしたら幼少期に

少し話をしたことがあるのかもしれない。


些か違和感を覚えるも

「ところで」と一叶が話しかけるものだから

瞬く間に忘れてしまった。


一叶「杏はビュリダンのロバって知ってる?」


杏「え?誰のロバ?」


一叶「ビュリダンのロバだよ。とある思考実験さ。」


一口カフェオレを飲み、続けた。


一叶「1匹の賢いロバがいる。そのロバの前には、2つの道があり、先には同じ量、同じ種類の餌が置いてある。道の長さも同じなんだ。」


杏「…ロバはどちらを選ぶかってこと?」


一叶「そう。でもその話の中ではロバはどちらも選べず餓死してしまうらしい。」


杏「え、何で?どっちか選べばいいじゃん。」


一叶「いち早く餌を食べたい。けれど、距離にも餌の量にも差はない。どちらを選ぶ方が、意義があるか。」


杏「…どっちでもいい…って話じゃないんだね。」


一叶「効率がいい方を選ぶんだ。」


杏「でも同じ距離だし、餌の量も同じである以上は変わりはない。効率に違いはないじゃん。」


一叶「そうだね。でも、効率がいい方を選んで。」


杏「悩んでる時間が非効率だよ。」


一叶「それも確かにそうだ。なら、たまたま見た方へと進むのが賢いと言えるかな。」


杏「それは本当に賢いって言えるのかってこと?」


一叶「それもそう。そこには合理性はなくて、自分が選びたいから選んだと言うことになる。」


杏「うん。」


一叶「感情論で決めるのは賢いことではないんじゃないかな。」


杏「なるほど。」


この場合であれば、

結局どちらかは諦めなければならない。

賢さを捨てるか、餌を捨てるか。

けれど生きることを前提にするなら

答えは決まっている。

それに、賢さを捨てたとしても

答えは一緒なのだから。


杏「答えが同じなら、賢さを捨てるしかないと思う。」


一叶「その先にあるものが同じと知っていれば、そうだね。けど、それは私には難しい。ロバの気持ちがわかるよ。」


杏「どうして?」


一叶「効率のいい方を選べ、しかし2つは同様である。双方を考慮して満たす選択肢を、私は思いつけない。気分で決めるのではなく、合理的であることを捨てられない以上、どうしようもないんだ。」


杏「…。」


一叶「だから、自由に意思を決定することのできる杏が羨ましい。」


一叶が人でないと知った時、

得体の知れないものだと思った。

けれどここ数日

久しぶりに顔を合わせて話して、

一叶はもしかしたら感情があって、

人間ではないけれど

そこで過ごしていると知った。

人ではないが細胞を生成していたり

感情表現をしたりしているあたり

生きているともいえるし、

自由に選択できない手前

人としては死んでいるとも言える。

人間は極限まで空腹になれば、

どちらであろうとも、

合理的でなかろうとも

餌の方へと歩く人がほとんどだろう。

一叶はそれができないのだ。


得体の知れないものと思った。

だけど、一叶は限りなく人間に近い。

人として接して、生きて、

なのに自分は人ではないと

事実を受け入れなければならない。

自分の思う通りに動くこともできない。

それは当たり前。

当たり前…だとしても、

人として生きていたうちからすれば

そんなの苦しいことでしかない。


これまでの時間、いったいどのような気持ちで

過ごしていたんだろう。

人を、うちを前に羨ましいと溢す彼女は

背を丸めて膝下を見つめた。


一叶「私が人だったら、もっとずっと友達でいられたのにな。」


杏「……今でも…。」


一叶「人間が種族を超えて…それこそ犬や猫も友達や家族になりうることは知っている。」


杏「…。」


一叶「でも、ロボットと友達になろうとする人は少ない。何故か。」


杏「…自分たちの生活を脅かす可能性があるから。」


一叶「その考えは、杏も同じでしょ?」


杏「……。」


一叶「もしも先生の指示で、杏を殺せと言われてしまったら…それは……もう、どうしようもないんだ。」


杏「……っ。」


一叶「他人の意思で杏を殺してしまうかも知れないやつを、友達とは言えないでしょ。友達って楽しいとかの他にさ、私情抜きで助けたいとか…そういうのがあるんだよね?」


杏「うちは…。」


一叶「杏が例えそうしてくれても、私は…それを返すと保証することは……どうしてもできないんだ。」


杏「…。」


友達でいたい。

それはずっと考えてきたことだ。

ロボットだろうが関係なく

離れたくないし、友達だし、

一叶は一叶であるって思ってた。

けれど、ロボットだろうが関係ないのは

うちに被害がない前提だ。

一叶に自由に意思決定する権利がないのなら、

一叶自身が「友達だから」と

止めることは不可能なのだ。


一叶「杏と初めて会った頃かな。好きは特効薬って言ったこと、今ならわかるんだ。」


杏「あ、はは…何急に。…そんな話したっけ。」


一叶「したよ。あの時は既にちゃんと理解してたんだ。恋ではないけど、友愛として好きだってことの意味、わかってたんだよ。だけど、嘘ついて…プログラムの関係で、わからないって言ったの。本当はずっと昔からの積み重ねでわかってた。」





°°°°°





杏「実は好きな人がいて、そのために引っ越してきたとか!」


一叶「女子校。」


杏「今ご時世的には別におかしくないっすよ。」


一叶「残念ながらご期待に添えず。それに恋愛に突き動かされて引っ越すことはしないよ。」


杏「え!遠距離耐えられる系?」


一叶「そもそも恋愛に興味ない系。」


杏「そんな人いるんだ!?やば、別次元の人間だ。」


一叶「聞くけど付き合うとか好きとか何がいいの?」


杏「いいじゃないすか。1人を愛し愛されるその関係。この人のものになりたいなとか、この人がずっと近くにいてくれたら幸せだなとか。ないすか?」


一叶「へえ、ない。」


杏「あーもう人生7割損来た。」


一叶「好きが絡むと人間関係拗れない?特に恋愛的な意味だと。」


杏「それも一興っすよ。取り返しがつかなくなっても、そのくらい相手のことを好きだったんすよ?恋は病っていうでしょ?でも実際、恋は薬だと思うんだよね。特効薬。」


一叶「わかんない。」





°°°°°





一叶「杏が教えてくれたんだ。」


杏「…。」


一叶「そのはずなんだ。」


途端、また照明が暗くなる。

けれど、初日に比べると

どんどん明るくなっているようで、

カフェの内装は相変わらず

なくなっているが

遠くまで床が見えている。


一叶「…もうだいぶ見えるでしょ?夜が明けていくね。」


杏「…。」


一叶「だから、少し歩いたらまたちょっとの間待っていてよ。1人で歩けるはずだから。」


一叶は目を合わせようとしなかった。

伸びも切りもしてない前髪が

俯いているせいで目を隠す。

そのまま席を立って

背を向けるものだから、

咄嗟に立ってその手を掴んだ。

勢い余って、グラスがかたかた音を立てる。

やがてしんと静まり返ると、

一叶は手を後ろに引かれたまま

振り向きもせずゆっくりと

崩れ落ちるようにしゃがんだ。


杏「一叶…?」


一叶「何?離してくれないかな。」


杏「……それじゃ、だめな気がして。」


一叶「全く合理的じゃないね。何となくとか、そんな気がするとか。」


杏「でも、この違和感を見逃したくないって感じることは…大切だと思う。」


彼女の前に周り、

目線を合わせるように膝をつく。

手を離すと、

今度は両手で顔を覆っている。

顔を上げて。

そう言っても嫌々と首を振った。

これもプログラムされたもので、

どんな表情をしていたとしても、

たとえ感情があったとしても

全て元から強制されるものであるなら。

そんなの、人生をかけた演劇でしかない。


一叶。

名前を呼んで、

ふわふわした頭を撫でた。

すると、心を許したように

少しだけ顔を上げた。

その手のひらに、

透明な雫が落ちるのを見た。


ただの水滴ひとつのはずなのに、

夜空に浮かぶ星のように

輝いて見えてしまった。

大丈夫、なんて声をかけるのも野暮で

息を呑んだまま頭を撫でる。


一叶「違う、違うんだよ。」


うちは何も言っていないのに、

何かを振り払うように首を振って

否定するように言葉を放つ。


一叶「いっつもここでは息が詰まる。」


もし、感情はあっても

泣くことまで制御されていたら。

痛いし辛いのに泣けなかったら。

その発散方法がなかったら。

それをずっと続けていたとするなら。

一叶は。


一叶「忘れたい。」


一叶は、どうして狂わずにいられるだろう。

…もう既に──。


しゃがみ、膝を抱えて口元だけを隠し

その目は床へと向き続けている。

眉間に皺を寄せて目を細めた。

これまで抑制され続けたであろう涙が

ぼろぼろと頬をつたい、

嗚咽の漏れる口を塞ぐ手をつたい、

と、と、と床を叩く。


心臓が締め付けられる思いがしたと同時に

気づけば一叶を強く抱きしめていた。

感情の発散場所は

ここしかないだろうことも、

ずっとずっと演劇をしているだろうことも

うちの中の予測でしかない。

この涙もただのプログラムの可能性もある。

けれど、こんなにも痛がっている一叶を

放置していることなんて

できるはずもない。

こういう時にすぐに駆け寄って

抱きしめてあげられるのが

人間のいいところのはずだから。

顔を隠していたいのならそれでいいよ。

無理に手を取ることはしないよ。

むしろ隠れるように肩を貸すよ。


それくらいしかできないけれど、

たとえあなたが人殺しでも、

やっぱり友達であることに変わりはない。

これから先も一叶そのもののことで悩むと思う。

このままでいいのかって

不安になると思う。

その時はどうか、

今日のことを思い出せますように。

もしも難しいなら、

どうかあなたが思い出させてくれますように。


しばらく鼻を啜る音がして、

少し経ってようやく肩に当てた顔を上げた。

髪の毛が頬をくすぐる。


一叶「…ごめん。」


杏「ううん。」


一叶「行かなきゃ。」


杏「…。」


一叶「もしもこの先…どうしても私のことを信用できなかったら…信用していたとしても、私が存在することのリスクを考慮するなら。」


杏「…うん。」


一叶「……その時は…杏の手で壊して欲しい。」


杏「……っ!」


一叶「壊すだけだよ。バットでもなんでも…殴ればどこかは破損する。表面は細胞で、中身は機械。所詮そんなものでしかないんだ。簡単に壊れるさ。」


杏「……その決断を……もし、一叶を助けるためにするとしたらどうなるの。」


一叶「あはは、ふふ。私がこのままは可哀想だから終わらせた方がいいってこと?」


杏「そう。」


一叶「そんな浅ましいことはしないでよ。」


杏「…うちは賢さを捨てるよ。」


一叶「それも人間味かな。」


杏「…………演劇を続けるの…?」


一叶「うん。」


一叶はうちから離れ、

目元を拭って立ち上がった。

手を伸ばしてくれる。

手を取ると、まだ片手は冷たいまま。


一叶「1日、1週間、1ヶ月、1年…この先もずっと続ける以外に道はない。」


杏「……。」


一叶「…ずっと演劇をする。し続ける。たったそれだけじゃないか。」


するりと肌が滑り落ちる。

待っていてね。

ひとつ呟き終える頃には

背を向けて歩き出していた。

背が小さくなる。

髪が揺れる。

ふわふわで触り心地のいい髪が

段々と闇に呑まれていく。

それを追いかけることもせず、

友達の言いつけを守るのだ。

守るんだ。

待つのだ。

1人、彼女の背中が見えなくなっても。


…。

…。

どれほど時間が経ただろう。

こんな大変な時だというのに

慣れと周囲の暗さに

うとうととし始めてしまう頃。

ふと遠くから

ゆらゆらとゆらめく影が見えた。

はっとしてその場を立ち、

彼女が来るのを待った。

目の前で立ち止まる。

その顔はこれまでのように微笑むこともなく、

無表情のままで目があった。


ぱっと周囲が明るくなる。

それでも、表情は変わらない。

まるで…見たことはないけれど、

初期状態のままのようで

底知れない冷酷さを感じた。


一叶「お待たせ。」


杏「…。」


一叶「帰ろ。」


杏「……一叶…?」


一叶「何かな。」


声も抑揚は減った。

冷たい。

ただひたすらに、冷たいのだ。

昨日よりも、涙を流した先ほどよりもずっと。

何かを落としてきたかのように。

人としての何かを……。


怖くなって、一叶の手を握る。

片方だけ冷たい。

もう片方は暖かいのに、

そのはずなのに暖かさを感じづらい。


杏「……さっき…泣いてたのは……もう平気なの…?」


一叶「平気。」


杏「……本当に…?」


一叶「バグだよ。」


杏「…………怖くな」


一叶「感情をアンインストールされた。」


杏「…っ!」


一叶「さっきとの違いなんて、感情表現ができるかできないか。たったそれだけだよ。」


どう手を握っていたかも忘れ、

気づいた時には

重力にならって手が滑り落ちていた。

それを見つめ、うちの目を見る。


自由に感情表現できないのに

何故その機能を搭載したのか問いただしたい。

ただの拷問じゃないか。

けれど、ついさっきは

本当の一叶を見た気がした。

泣くこともできるし、

これまでのように笑ったりできる。

適切に自由に感情をだせる。

それが本物の一叶。


なのに今は抜け殻だ。

一叶なのに一叶じゃない。

今目の前にいるあなたは一体誰なのか。


笑いも、哀れみもしない。

無のままで。


一叶「帰ろう。」


また、言ったのだった。

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