半夜

昨日、一叶に連れられて

やってきたマンションの一室に

今日もやってきていた。

彼女はあれほど落ち込んでいたのに、

放課後に会ってみれば

案外けろりとしていて、

昨晩かけて心配していた自分が馬鹿のよう。

けれど、忘れているフリだと思えば

それも人間らしく痛々しいものに見えて、

心の靄が晴れることはなかった。


昨日座った席と全く同じ、

1番奥の場所へと足を運ぶ。

相変わらずうちら以外の人はいないし、

店員もいない。

音楽もかかっておらず、

どこかから時計の針が振れる音もしない。

互いに黙っていれば

鳴るのはきっとうちの心臓だけ。

一叶はまたもや飲み物の注がれたグラスを

2つ持ってきては、

そのうちの片方をうちの前に置いてくれた。


一叶「どうぞ。」


杏「ありがと。…その、昨日はすぐに解散したじゃん?あれからどうなの。」


一叶「どうも何も…。」


杏「…痛くないの?」


一叶「痛くはないよ。パーツを取り替えただけだから。」


杏「でも大事なデータとか…。」


一叶「保管してあるだけだから。USBを持ち歩くのをやめただけだよ。」


杏「それ、あんまりピンと来てないんだけどどう言うこと…?」


一叶「そうだなぁ…私の心臓部分がパソコンの本体としよう。スマホの本体だっていい。」


杏「うん。」


一叶「本体には、一応全てのデータは入っている。けど、念のために同じ情報を別の場所に保存してるんだ。それがUSBっていうのはわかるよね。スマホで言えばクラウド機能だとかもそうかな。」


杏「あー…わかる。」


一叶「そのスペアの情報は、言ってしまえば持ち歩く必要はない。」


杏「本体に全部入ってるなら…そっか。でも、一叶は持ち歩いてたよね。」


一叶「もしものことがあって本体からデータが消えた時、すぐに引っ張り出すことができるように持ってた。…持たせてくれることを許可してもらえた。それに…私にとって大切なデータだから、できるだけ近くに置いておきたかった。」


杏「……何で…そんな大切なものを置いてきちゃったの。」


一叶「その質問は痛いなぁ。」


杏「…戻ってくるの…?」


一叶「場合によっては。でも……ううん…何で言えばいいかな…必要じゃなくなる時も来るかもしれない。」


杏「何それ。大切なのに?」


一叶「大切であることを忘れたら、大切じゃなくなっちゃうから。」


杏「…忘れないでよ。」


一叶「…。」


杏「…そもそも何でさ、置いてくるのを辞めなかったの。嫌だって思うならやめれば」


一叶「それは人ができることだから。」


杏「…!」


あくまで、自分は人間じゃない。

自分を構成するものは

有機物ではなく無機物で、

考えるのは脳ではなく機械で。

人間の指示の通りに動くのが

自分の役目だからと

その道理を受け入れた上で

一叶はどこか苦しそうに目を細めた。


一叶「面倒だな、とか、今からこれをするのは大変だなって思うときはある。」


杏「え、あるの…?」


一叶「あはは、あるよ。でも、今指示の通りにしておけば楽だなとか…例えば仕事をしてくださいって言われて、サボってもいいことはないしな…みたいに思う時があるじゃん?そういう感じ。」


杏「あー…授業中先生からちゃんと授業受けろよって言われる感じ?寝てても起こされるし…みたいな。」


一叶「うん、それに物凄く近い。行動開始時刻は一緒だとしても、何も考えずにすぐに切り替えられる時と、後先思いやられながら進める時がある。」


杏「……。」


から。

グラスの中の氷がひとつ転がる。


面倒だと思う。

それでもやる。

そんなの、人間でもやることじゃないか。

うちは完璧人間じゃないし、

これをやろうと思っていても

すぐに時間を過ぎて

始めるのが遅かったりする。

うちとは似ても似つかないけれど、

もし相手が蒼なら。

蒼だったら、何事も時間通りに始めるだろう。

計画的で、その通りに実行する。

面倒と思っても、

一旦欲求も感情も度外視して動く。

そんな人は稀だとしても、

そのようなタイプの人はいるじゃないか。


人間と一叶では

一体何が違うのだろう。

昨日怖いと溢した一叶に

もしも人間のような感情があれば。

今こうして話しているのだって

プログラムはあったとしても

ある程度自由にその場で話していたら。

それは人間と何が違うのだろう。


考えれば考えるほど

一叶はうちらと同じと思いたい気持ちと

どう足掻いても異質で違うという事実に

徐々に苦しくなる。

刺さったストローを持ち、

飲むわけでもなくくるりと回して

違う話題を絞り出す。


杏「……ここ、店員さんはいないの?」


一叶「私たちだけだよ。」


杏「カフェだけどカフェじゃない。」


一叶「杏にとっては、内装だけじゃカフェになりえないんだね。」


杏「そりゃあ…。」


一叶「何があればカフェなの?」


純粋な疑問をぶつける子供のように

首を傾げてそう問うた。


杏「え?…店員さんと、それらしい外装とか…?」


一叶「あとお客さんくらい?」


杏「…だと思ったけど…。」


一叶「じゃあ、店員がいなかったらそれはカフェじゃない?例えば、注文したものが自動で出てくるシステムだったとしても。」


杏「何々急に。」


一叶「気になるんだ。」


今度は茶化すそぶりもなく、

グラスにストローをさして言う。

無意識のうちにまたストローを回し、

気恥ずかしくなり口をつける。

甘すぎない上品なカフェオレだった。


一叶「最近、半自動を目指したコンビニみたいなものもあるよね。店員は一応設備説明のためにいるけれど、基本的に何もしない。自分で品物を入れて、購入する。それでもコンビニはコンビニと言える?」


杏「……言える、と思う。でも、入荷とかは人がやってるし…人の手が介入してるから。」


一叶「じゃあ入荷も全て機械ができることになったとしよう。説明も私みたいなものが臨機応変に対応する。それはどう?」


杏「…言え……。…今は想像ついてないだけで、いずれそうなると思えば…コンビニって言える…かもしれない。」


一叶「なら、更に付け加えるね。人に説明するのが私みたいな形をしてなくて、音声だったり、動物だったり、ただの長方形だったりしよう。」


杏「…それはコンビニと言えるかって?」


一叶「うん。」


杏「……。」


一叶「システムも売っているものも一緒だよ。」


杏「……言えちゃうと思う。」


一叶「でも、できる限り言いたくない?」


杏「…何となく。…だけど、理由がない。…だから、ただのプライドかもしれない。」


一叶「わかった。」


あくまで私としてのプライドではなく、

人間として生きる上でのプライドであると

一叶は理解したようだった。


一叶「それなら、客がロボットになったら?」


杏「え。」


一叶「人はいない。説明する機械は不要になるね。入荷やレジは機械のまま。売るものは…流石に変わるかも知れないけど。」


杏「…それはコンビニじゃなくない?」


一叶「ただの工具店かもね。」


杏「だよね。」


一叶「じゃあ、需要は置いておいて…売っているものが一緒なら?」


杏「それ、お客さんくる?」


一叶「あはは、確かに。」


杏「…でもこれまでのことを踏まえると…そうだなぁ…外装が一緒で、売ってるものも一緒なら…コンビニって言えちゃう気がする。」


一叶「ものが売れて、入荷して。その循環まで一緒なら?」


杏「そう。…買う人がいなくて、お客さんも全部機械なら品物が変わるか食品系は悉く売れないかもだけど…。あと見た目はやっぱ大事かも。」


一叶「視覚からの情報は多いと言われるもんね。」


杏「コンビニって大抵はぱっと見でわかるじゃん?それって重要だと思うんだよね。何かわかんなかったら近づかないか、好奇心で近づくかだもん。」


一叶「なるほど。ざっというと親しみやすさに近い感じかな。」


杏「あー…まぁ似てるような。」


一叶「じゃあ話を戻そっか。」


杏「何の話だっけ。」


一叶「カフェだよカフェ。」


杏「そうだった。」


一叶「内装はカフェそのもの。外装は…都合上あんな感じ。さっきの理論で言うとここはカフェではない。」


杏「…そう、だね。」


一叶「店員はいない、飲み物は作られたものを持ってくる。システムは全て機械が管理している。それもさっきのコンビニの話と同様。」


あ、毒なんてものは入ってないからねと

カフェオレに視線をやって言う。

飲んだ後に言われても困った。


一叶「だとすると、ここがカフェではないと言えるのは外装が違うこと。これだけだ。」


杏「……そう言うことになる。お金の出入りとかは…そういえばないけど。」


一叶「管轄内といえば伝わるかな、とにかくお金のことは気にしなくていい。後から請求なんてこともないよ。」


杏「よかった。…けど、循環としてはカフェじゃないと思う。」


一叶「なら、私たちはお金を払ってここにきたとしよう。入荷も裏で機械がしている。」


杏「…外装だけ違う…。」


一叶「そう。」


杏「……カフェではない、んじゃないかな。」


一叶「わかった。じゃあ更に置き換えるね。」


杏「これ以上難しいこと言われると頭爆発しそうなんだけどー。」


一叶「気軽でいいの。自分と杏のことを知りたいだけ。」


知りたいなんて人間らしいことを口にする。

もしもたった今、一叶が

ロボットだなんて知らなかったら、

知りたいと言われて

嬉しくなっていたかもしれない。

普段あまり人に興味のなさそうな一叶が

うちのことを知ろうとしてくれるのだから。

けれど、知ってしまった今に限っては

探ろうとしているようで身構えてしまう。

見た目は何も変わらないのに。


一叶「じゃあ…ざっくり聞くね。」


杏「うん。」


一叶「私は人間?」


一叶は自分の心臓あたりに

手を置いて聞いた。

その顔は真剣で、

真っ直ぐうちの目の奥までもを

見通すかのような眼差しだった。


一叶は人間か。

それは、事実を元にするなら

もちろん「いいえ」だ。

そのままに答えていいのか迷っていると、

一叶は困ったように目を細めて笑う。


一叶「今思ってるままでいいよ。」


杏「……じゃあ…それなら、違う。」


一叶「人じゃない?」


杏「そう一叶が言ったんだよ。」


一叶「…だね。……そしたら、もしも…もしも、私に心があったとしよう。感情があるとしよう。」


杏「…。」


一叶「人間と全く同じように叩かれたら痛がるし嫌がるし怒る。褒められたら嬉しいし喜ぶ。喜怒哀楽も、嫉妬も羞恥も安堵も緊張も、全部感じていたら。」


杏「……感情っぽいものを体感できる仕組みがあったらってこと?」


一叶「感情そのもの。全く一緒だとして。」


杏「そんなこと無理だよ。」


一叶「…できるとしたら。」


杏「……できるの?」


一叶「どうだろうね。」


心があれば、人か。

感情があれば、人か。


…。

それは多分、人に限りなく近い。

だって叩かれたら怒るし悲しむ。

話して楽しかったら笑う。

人と何が違うのだろう。

同じはずだ。

限りなく同じはずだ。

それなのに、違う。

うちの中で何故か違うと

結論づけられてしまう。


一叶も笑うし、怒る。

喜怒哀楽があるように見える。

実際にあったとして、

不安も恐怖もあったとして。

…それを、うちは感じ取れたかでしか

ないのではないか。

不安になった時、怖い時、

動揺していなければ

どうしてもそう見えない。

それは人だって同じだ。

どれだけ「緊張してるんだ」と言われても

声や手が震えて初めてわかる。

言葉だけの宣言した感情は、

他人から見てわかる状態でなければ

理解できないんじゃないか。

だから笑うことの少ない人は

楽しいと感じていないと

思われることなんてざらにある。


変な話、たくさん笑うなら、

人間よりも感情が豊かであると

言えてしまうのではないか。


一叶「感情を理解できる、じゃなくて…感情そのものを持っている機械は人間ではない?」


杏「……機械は…人間じゃない。」


一叶「それはずっと変わらないんだね。」


杏「でも、人間よりも人間らしくできてしまうときは…あると思う。」


一叶「例えば。」


杏「笑って、怒って、泣いて…とか。…人でも不器用で上手くできない人はいるから…何事にもあっさりしてる人もいるし…ぱっと見だけだと、そういう人よりも人間って…私なら思っちゃうかもしれない。」


一叶「…でも、人間っぽいだけなんだ。」


杏「……だって中身は機械でしょ。」


一叶「私が目の前で…本気で痛がっていても人間ではない?」


杏「…痛がっているふりを……どこかで…。」


学んだだけ。

そんなこと言いたいわけじゃないのに、

機械であることを前提にするせいで

フィルターがかかって上手く捉えられない。

いつの間にか俯いていた。

から、とまた氷が鳴る。


一叶「…じゃあ例えば、目の前で蒼が転んだとしよう。膝から血を流している。「痛い」って言って膝下を見ている。彼女は痛がっている?」


杏「…うん。」


一叶「それを、私に置き換えたら。」


杏「………。」


一叶「していることも、表情も同じ。なのに、私の方は痛がっていないと見える?」


杏「…ごめん。」


一叶「ううん。…杏は目の前にいる人には心があるって信じてるんだね。」


杏「当たり前じゃないの?」


一叶「どうかな。」


一叶はストローに口をつけた。

まるで人のように飲み物を飲んでいる。


一叶「一旦、なめくじを例に出そう。」


杏「うぇ…急に?」


一叶「なめくじに電気を流したという実験があるんだ。」


杏「へぇ…何とも言えない…。」


一叶「その時、どういう反応が起こったと思う?」


杏「硬直したとか?」


一叶「残念。実際には、ピクピクしたらしい。」


杏「…それがどうしたの?」


一叶「人間と同じじゃないかってことを言いたいんだ。」


杏「…!」


一叶「そして、このなめくじに心はあるか…痛がっているかを聞きたい。」


杏「…心が。」


外から見た反応は

人もなめくじも同じ。

それは痛がっているように見えるか。

なめくじに心はあるか。

痛いと思う機関があるのか。

本人が痛いなら…それは心がある。

けど、外からは見えない。

……人間も同じじゃないか。

一叶の言いたいことが

次第にわかってきてしまいそうだった。


杏「……わからない。」


一叶「本人が痛いと言えば。」


杏「……なめくじは喋らない。」


一叶「そしたら…話は少し違うけれど、現代の研究でネズミが絵を描いたらしいじゃないか。AIで出力しただとか何とか。その技術を用いて、なめくじの言葉の翻訳までできたとしよう。」


杏「脳がなくちゃできないんじゃ。」


一叶「なめくじに脳はあるよ。」


杏「そうなの?」


一叶「あるある。実際にね。脳と人工知能を繋いで、言葉を理解できるようになったら。電気を通した時「痛い」って言ったら。それは痛がっている?」


杏「……状況判断的に…そう…かもね。心があるとも…言えるのかも。」


一叶「なめくじでそう思えるんだ。ましてや人であれば、状況下によっては疑う余地もなく心はあると判断する可能性は高そうかな。」


杏「……それは……見た目とかも…関係するから。」


一叶「じゃあ私は。」


杏「…!」


思わず肩に力が入る。

わかる。

頭ではわかっている。

一叶の言いたいこと、

言って欲しいことも、全部。


一叶「考える部分もある。見た目もなめくじよりは人に限りなく近いよ。電気を流したら震えるし、痛いって言う。」


杏「…。」


一叶「怖いと勝手に脈拍は上がるよ。嬉しい時や楽しいときは笑うよ。」


杏「……っ。」


一叶「それでも…人じゃない?」


杏「………それは…っ。」


か細い声が、肋骨の隙間を縫って

心臓に刺さるようで痛い。

…一叶はきっと

自分はロボットだって割り切っている。

認めている。

受け入れている、のだと思う。

その上で…人になりたいのだと、

なりたかったのだと思う。

憧れているようにも聞こえる

悲痛な声が、純粋な疑問が、

今はとてつもなく苦しい。


一叶が息を吸う。

うちよりも落ち着いているように

深く、ゆっくり吸った。


一叶「周りの人が、人であると確信できる理由は何?」


杏「……。」


一叶「それが当たり前だと信じて疑っていないから…じゃないかな。」


杏「…。」


一叶「相手が血を出していてようやく、この人は人間だって確信できる?」


杏「………そうかもね…。でも、もしも機械だとしても…血を流していたら人間だって…誤認しちゃうと思う。」


一叶「…なら、人間は杏だけ…もしかしたら杏さえも人間だと誤認しているロボット…なんて話もあり得たのかもしれないね。」


杏「…っ。」


一叶「陰謀論じみてきちゃってごめんね。でも、実際別の何かが紛れ込んでいたとしても、それが人間である証拠もそうでない証拠もない。」


杏「……外見。」


一叶「だよね。杏の中では、それがやっぱり大きな判断材料ってことなんだ。」


杏「………でも…っ。」


でも、一叶はそれを満たしている。

満たしてしまっている。


…先ほどのカフェと

コンビニの話を思い出す。

外見は同じ。

なら、中身は。

内部のシステムが違えば

…感情がたとえ一緒だとしても

どこか違うところがあれば。

…まるで一叶を人間だと

認めたくないかのように

そう思ってしまった。


まるでうちの思考を

予測していたかのように、

一叶は口を開いた。


一叶「じゃあ、次ね。機械だとしても人間のように中身は循環する。充電して、電気を使用して、また充電する。そうだとしても人間ではない?」


杏「…食べ物を食べて…とかは………。」


似て非なるものだが、

似ていると言えば似ている。

けれど、ふと思い出す。

一叶はこれまでに

食事だってとっていた。

うちと同じように飲み食いをし、

美味しいからとコンビニのパンを

勧めてくれたこともあった。


杏「話はちょっとそれちゃうんだけどいい?」


一叶「もちろん。」


杏「一叶って普通に食べてたよね…?あれはどういう…?」


一叶「私の場合、食べたものはちゃんと栄養になるようはしくみになってる。」


杏「……え…そんなことできんの?」


一叶「できるよ。今の時代だって、バイオハイブリッドロボットあたりの分野で調べれば出てくるはずだよ。」


杏「…バイオ…?」


一叶「自分で細胞を作る。だから柔らかい肌だってこうしてある。…その循環を止めたら、土に還る。」


杏「…!」


一叶「…でも、私の内部は全てそれで構成されていなくて。…ほら、データとか重要なものも詰まってるからさ。表層のための栄養素って感じかな。」


杏「……何それ。」


一叶「栄養さえあれば簡素な…それこそ粉でもいいんだけど、味覚も触覚も、五感だってあるんだ。せっかくなら使っていたい。」


味の想像ができる

…たまにできないものもあるけれど…

うちら人間と、

食べ物のデータを元にする一叶。

けれど、どちらも体の維持のために

食べることには、

その時の人のプロセスと

半ば変わりはない。

…変わりはないのではないか。


どんどんと一叶の見え方が

変容していくようで、

自分の考えの甘さと一貫性のなさに

歯を食いしばった。


一叶「食べたものの中で栄養になりえなかった部分は、捨てやすいよう圧縮されて、体内の一部に蓄積する。定期的に捨てるんだ。」


杏「栄養になる…。なら、電気は。」


一叶「人で言う睡眠に近いかもね。動くのに必須なものだから。」


杏「……。」


一叶「人間に最低限あるものとして三代欲求を上げるなら。性欲を生存や存続と置き換えて、ロボットがロボットを作るようになったら。」


杏「……でも、それは…一叶が一叶を…クローンを作る意味合いなら…きっと違う。」


一叶「確かに、私なら自分のクローンを正確に作れるだろうね。けれど、今後のことを見通して僅かにアップデートを加えたら。」


杏「…そんな、人間は便利にするためにそうしてるんじゃ…ない。」


一叶「うん。便利かどうかではないと思う。でも、人によっては自分が消えることが不安で、自分のクローンとして子供を残したいと思う人もいるそうだ。そうでなくとも、自分の幸せのためにそうする人もいる。」


杏「言ってる意味はわかる。」


一叶「どちらとも、親の…私で言えば制作側のエゴであることに変わりはないんじゃないかな。」


反論しなきゃ。

そうじゃないって言わなきゃ。

さっき、人間としてのプライドで

発言したことだってあったのに、

今となっては霧散しかけている。

人間と、限りなく人間に近い機械の

境界線が今や見えなくなりつつある。


一叶「……細胞も循環する、感情もある…自己申告ではあるけどね…外見だって、人そのものじゃんか。」


杏「…。」


一叶「それでも私は…人じゃない?」


杏「…っ!……人は…腕を交換したりはしない…っ。」


一叶「人だって義手をつけたりするじゃんか。」


杏「……。」


一叶「…人じゃなかったとしたら…杏の近くにはいちゃいけない?」


杏「そんなことない!」


そんなことないよ。

自分を納得させるように

もう1度呟いた。


義手も…ドナーといった

他の人から臓器をもらうことも、

極端に言ってしまえば

自分の部位ではない。

それでも…人間であるはずなんだ。


そしたら、うちと一叶が

違うと言える点はどこか。

境界線はあるのか。

探るのなら、どこだ。

人間らしい見た目。

細胞、その循環。

真似できる。

脳の回転、思考回路。

感情。

その表し方。

真似できる。

真似できないのはどこだ。

表でも裏でもなく、

外側でも内側でもない部分。

うちらの…人間すらも

手の届かない場所だとしたら。


はっとして顔を上げた。

うちが何を話すのかわかっているのか、

いいよ、と促すように瞬きをひとつ。

それを合図に、聞いた。


杏「……一叶は、夢は見るの?」


一叶「…夢。」


杏「そう。寝ている時に見る夢。…一叶で言えば、充電している時に見るのかなって。」


一叶「………。」


彼女が深く息を吸って

吐くのがわかった。

少しの間、時間が経つ。

考えて、思い出しているみたい。

そんな時間などいらないだろうに、

最後までこの時間を味わうように

ゆっくり、ゆっくりと時を経る。

そして、観念したように言った。


一叶「…見れないよ。」


杏「…人間は無意識のうちに夢を見るの。…他にも無意識だけど、目の前にいる相手が好きな人だったらその人の真似をしたり…意図してなくても家に帰ったら電気をつけたり。」


一叶「……うん。」


杏「だから、その無意識がないのなら……一叶は……っ。」


一叶「…。」


杏「……人間じゃ、ない…っ。」


一叶「……それが杏の答えなんだね。」


杏「でも、だからって離れたいわけじゃない!」


一叶「…!」


杏「話してるのは楽しかったし、最初は合わないかも…って思ったけど全然そんなことなくて居心地良かったし!今変な距離感なのはロボットだからじゃなくて、前も言ったけど人に手をかけたから。…でも、それすら逆らうことのできないような…指示なら、一叶は…一叶は何にも悪くないじゃん!」


勢い余って机に手をついて立ち上がる。

足に机の角が当たり、

氷は溶け切ったものの

グラスとその下に敷かれたお皿が鳴った。


杏「悪いのは指示出したやつじゃん。人間かロボットかも知らないけど、そいつが悪いよ。一叶は何も悪くない。」


一叶は釘付けになったように

瞳全てが見えるほど目を見開いて

しばらくうちのことを眺めた後、

目を逸らし、少しだけ口角を上げた。


一叶「…いつもそうだよね。」


杏「…?」


一叶「ここに来る時はいつもいつも、自分のできる限りのところまで悩むんだ。悩んで、悩んで、答えが出ないと思っても、答えが揺らいでも…最終的にちゃんと答えを出す。」


杏「…昨日と今日だけだけど?」


一叶「そうだね。…でも杏は言うんだよ。「一叶は人間じゃないけど、離れたいわけじゃない」って。その言葉にどれだけ救われてきたか。」


杏「…。」


一叶「だから杏のこと、大切にしたいって思うんだ。」


そう言った瞬間、昨日と同様に

あたりは真っ暗になってしまった。

けれど、どこかからか光が漏れているのか、

昨日よりも足元が僅か見える。


一叶「今日も、少し待っていて。」


また両手を引かれながら

そう静かに言うのだ。

冷たくなった片手。

もしもこの言葉に従わなかったら、

一叶は大切なデータを

今も身近に置けたのだろうか。

そしたら今日は。

今日も、明日も、これから先もずっと

一叶に任せてそのままにしていたら

彼女は…どうなってしまうのだろう。


杏「…どのくらいかかるの。」


一叶「昨日と同じくらい。…少しかかるかもね。」


杏「……やめられないの?」


一叶「うん。」


杏「何を…また何か…取られるの…?」


一叶「そうだよ。でも、少しすれば戻ってくる…その方法もある。たった数日間だけの話だよ。」


杏「……。」


怖くないの、とは聞けなかった。

手が離れていく。

僅かに見える足元は

間違いなくカフェの内装なのだが、

近くにあるはずのカウンターも

並んでいた机椅子も見当たらない。

床がどこまでも続いているようだった。


しばらくして、一叶は戻ってきた。

昨日と同様、床に座り込んでいたら、

闇の中からにゅっ、と

細い足が浮かび上がってきて、

上を向けばうちのことを見下ろす彼女がいた。

また、両手を伸ばされる。

その手を取る。

冷たいのは片手だけのまま。

立ち上がると、そこにはやはり

いつもと変わらない一叶がいる。


杏「……。」


一叶「お待たせ。」


杏「………。」


変わらないね。

何を取られたの。

それを聞きたかった。

けれど、聞くと一叶を傷つけるかもしれない。

もし…感情のデータがなくなったら?

聞いてもここらが傷まないなら聞いてた?

いまだに人間扱いと

ロボット扱いの差が

自分の中に生まれていることが悔しい。

そんなのじゃなくて、

うちらはただ…何にもない日に

内容のないくだらない話をするだけで

よかったはずなのに。


一叶「帰ろう。」


杏「……。」


一叶「大丈夫だよ、そんな顔しないで。」


杏「…何が…大丈夫って。」


一叶「杏のことを忘れただとか、そんなことはないよ。今回話したことはきちんと覚えているし、今年度のことだって知ってる。」


杏「……一叶は大丈夫でも、うちは大丈夫じゃない。」


一叶「そっか…それは、ごめん。まだよくわかってなかったんだ。」


杏「…?」


一叶は一叶だ。

それに変わりはない。

けれど、妙なことに

彼女はさっきまでとは

また少し違って見えた。

だが、同じ。

何も違わない。

…なのに変。

そう思ってしまうのは

暗闇の中うんと待っていたからだろうか。


見えないところに穴が開いたようで、

その違和感を拭えないまま

カフェを後にしたのだった。

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