第004話:滝の茶屋事件 Part1
山陽電車滝の茶屋駅北側に位置するこの界隈は閑静な住宅街だ。
整然とした区画に戸建て住宅が建ち並び、場所によっては海も見える風光明媚な土地柄でもある。
小学校や中学校もすぐ近くにあることから、多くの子育て家族が住んでいるのも特徴だ。
見つけた。
ランドセルを背負った少女が友達二人と一緒に小学校の校門から出てくる。三人は緩やかな坂道を下りながら、分かれ道でそれぞれにバイバイと手を振った。
友達二人は右に曲がり、少女はそのまま道を下っていく。
しばらく道なりに進むと、いつものコンビニの前に差しかかる。数台の車が停まり、店内はそれなりの人で
ふと少女の視線が動いた。
白く塗装された鉄製の扉が見える。そこはコンビニ店員の専用出入口だ。
扉の下、薄茶色の物体がうずくまっている。
少女は左右を確認しながら急いで道路を横切り、吸い寄せられようにして扉の
「あっ、やっぱりあの時のわんわんちゃんだ。今日はお兄ちゃんと一緒じゃないんだね」
うずくまっていたのは、痩せた子犬だった。小さく丸まっている。
見つけた
初めて見る犬ではない。
三日前のことだ。
近くの海岸沿いに広がるショッピングモールは、最近リニューアルオープンしたばかりで、多くの買い物客で大変な賑わいを見せていた。
両親と一緒に来ていた少女は、広々とした館内で人混みに
両親を探して
心細く、今にも泣き出しそうになっていた少女に一人の青年が近寄ってきて、優しく声をかけた。
「どうしたの。お父さん、お母さんとはぐれちゃったのかな」
青年はしばくら少女の隣に座って、話し相手になってくれた。
見知らぬ人と話をしてはいけません。
両親から常々言われている少女は、最初こそ警戒心も
むしろ、おしゃべりに夢中になったほどだ。
間違いない。
少女は特徴ある首輪を嬉しそうに見つめている。大好きなサンリオの人気キャラクターがプリントされている。
子犬が寂しげに小さな鳴き声を上げて、すり寄ってくる。
「わんわんちゃんも
出会った時もそうだった。
絵梨奈の頭をよぎったのは飼育放棄、あるいは動物虐待だ。
「お兄ちゃんは、預かっているだけで飼い主じゃないって言ってた。飼い主さん、どこ行っちゃったんだろ」
絵梨奈は慌ててハンカチを取り出し、身体を濡らしている水を丁寧に
あっという間にハンカチはずぶ濡れだ。水を絞ってはまた拭き取る作業を何度か繰り返す。
「これでちょっとましになったね」
絵梨奈は自分をじっと見上げてくる子犬の瞳に夢中になっている。
捕まえた
あまりの可愛さに抱き上げようとしたところで、鋭い
「あっ、ごめんね。怖がらせちゃった」
伸ばしかけた手を慌てて引っ込めると、絵梨奈も子犬の目を覗き込んで、優しく語りかけた。
「飼い主さんが見つかるまで、絵梨奈と一緒に帰ろ。おうちにはね、たくさんのわんわんちゃんがいるんだよ。お友達ができるかも」
あれさえ、いなければ
絵梨奈は子犬に夢中になるあまり、普通ではないことに気づけなかった。
子犬の全身が再び水で包まれつつある。水は既に身体の半分以上を濡らしているのだった。
「ママ、ただいま」
帰宅した絵梨奈の元気な声に、母親の陽子がキッチンから迎えに出てきた。
絵梨奈の足元には、先ほどの子犬がおとなしく座っている。
絵梨奈の声は陽子だけでなく、先住犬たちも集めていた。
いつもと異なる雰囲気に、先住犬たちは警戒心を高めている。
同類とみなすべきか、あるいは異物として排除すべきか。中には
あれは、いない
「おかえり、絵梨奈。その子犬、どうしたの。首輪がついているじゃない」
絵梨奈が早速とばかりに経緯を話し始める。聞き終えた陽子はため息をついて、困惑の表情を見せている。
「ママ、お願い。飼い主さんが見つかるまででいいの。絵梨奈がちゃんとお世話するから。ね、いいでしょ」
陽子が感じた懸念点は唯一だった。
この子犬に対して、先住犬がちょっかいさえかけようとしていない。それどころか、
「仕方がないわね。絵梨奈が最後まで責任をもって面倒を見るのよ。約束できるわね」
陽子はそれらを天秤にかけたうえで、可愛い一人娘の頼み事を優先してしまった。
満面の笑みで絵梨奈が答える。
「うん、約束する。ママ、ありがとう。大好き」
絵梨奈が母親に抱きつく。
「仕方のない子ね。ほら、その子犬をタオルで拭いてあげなさい。全身ずぶ濡れじゃない」
外は雨など降っていない。
不思議に思いながらも、陽子は適当に流してしまった。
靴を脱いで、タオルを取りに行こうとする絵梨奈を見て、陽子はたまらず驚きの声を上げていた。
「絵梨奈、どうしたのよ。ランドセルがびしょ濡れじゃない。すぐにここに下ろしなさい」
絵梨奈は訳が分からないといった表情で、下ろしたランドセルをじっと見つめている。
陽子がすかさず絵梨奈の様子を確かめる。
濡れているのはランドセルだけだ。絵梨奈の身体で濡れている部分はない。
「絵梨奈はここで待っていなさい。ママがタオルを取りに行ってくるから」
バスルームに向かう母親の背中を見送り、絵梨奈は子犬に目を向けた。家に着いてからというもの、同じ位置、同じ姿勢でじっとしている。
先住犬たちは早々に飽きてしまったのか、それとも他の理由からか、それぞれの持ち場に帰ってしまった。
絵梨奈には子犬の目が光ったように見えて、思わず目をしばたいていた。
「絵梨奈、これを使ってその子を拭いてあげなさい。終わったら、奥の部屋に連れて行くのよ」
絵梨奈は子犬に向けていた目を陽子に向け、元気よく返事した。
「はーい」
陽子は手を忙しく動かして、ランドセルに浸み込んだ水を取り除いていく。
中から取り出した教科書などは全く濡れていなかった。
説明のつかない現象を目の当たりにして、陽子は戸惑うしかできなかった。
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