第003話:忌まわしき因縁 後編◆

 凄惨な事件の起こった洋館は、いわくつき物件、今でいうところの事故物件となり、無人のまま放置され続ける。



 売りたくても売れない状況に追い込まれた所有者は、相談相手の一人で、幼少時から昵懇じっこんにしている走水はしうど神社の宮司に相談を持ちかけた。


 走水神社はこの界隈の氏神うじがみで、しかも主祭神は菅原道真すがわらのみちざねときている。



 怨霊にり殺された、などという不名誉な噂が広がってしまったことも相まって、念入りな鎮魂とはらいの儀を執り行うことになった。



 当時の宮司が下記のように語ったと書き残されている。



 当神社の主祭神は菅原道真公です。言わずと知れた、日本三大怨霊の御一人であり、まさしく私は道真公という良き怨霊をもって、悪しき怨霊を制する、を体現してみせたのです。



 もう一つ、興味深いことがある。


 洋館を中心として、北東には神戸北野天満神社が、南西には能福寺のうふくじが立っている。



 神戸北野天満神社の主祭神は菅原道真公だ。


 能福寺は寺伝によれば八百五年に最澄さいちょうによって能福護国密寺のうふくごこくみつじとして創建され、日本最初の密教教化霊場となったほど、霊験れいげんあらたかな力に満ちた場所でもある。また、一八九一年には兵庫大仏の建立こんりゅうを見る。




「誰がこのような呪術めいたことを考え出したのかは不明です。不明ながらも、鬼門と裏鬼門を怨霊と密教の力をもって、後には仏の力をも加護として、封じるという、大胆極まりない結界が誕生したわけですね」




 儀式を済ませた洋館は、それから数年後、当地を離れて北野町に新たに誕生した異人館街へ移築される。


 洋館は再利用ができないほどの痛みが随所に見られ、移築できたのは一部のみだった。水浸しになった資材などは、やむを得ず廃棄せざるを得なかった。


 元の場所は更地さらちと化し、走水神社の宮司や有志によって慰霊碑が立てられたという。



 北野の地で移築増改築が完成したのは一九一〇年頃だと伝わっている。


 できうる限り、元の姿を再現しつつ、近代的なデザインが施された洋館は絶大な人気を呼んだ。



 事件発生からおよそ二十年が経過、悲惨な事件が風化しかけた頃、ようやく新たな売買契約が成立する。


 そこから半年後、洋館に移り住んだ居住者は、夫がイギリス人、妻が日本人、二人の間には娘が二人いた。




「悲劇は終わったわけではなかったのです」




 幸せに暮らしていたであろう四人家族にいったい何があったのか。


 居住者に関する記録はほとんど残されていない。戦争の最中さなかに散逸してしまったのか、あるいは意図的に隠されたのか、定かではない。



 唯一残された記録には、住み始めてしばらくの後、長女が真っ先に異変を感じ取ったという。


 随分と感受性が高かったようだ。母親の家系が日本でも有数の呪術師一族で、国内外で幅広く活躍していたこともあってか、その血を色濃く継いでいたのかもしれない。



 長女が最初に告げた言葉があまりに異常すぎた。



 お母さま、首がない三人の姿が見えるよ



 男と女、それに女の子、奇しくも移築前の洋館で非業の死を遂げた組み合わせと同じだ。


 母が娘の言葉をどのように受け止め、対処したのかは分からない。




「結局のところ、この一家も最初の被害者たちと同様、むごたらしい姿となって発見されることになりました。そして、この事件に関しては、もっとおかしなことがあるのです」




 警察の捜査が一切入らなかったのだ。


 警察に残された初動調書によれば、一報を受けた警察官が洋館に入ろうとしたところで、門の前に立つ三人にはばまれたという。


 一人は女性、二人は男性で、素性などは一切不明だ。



 押し問答が続く中、警察官は公務執行妨害を盾にして強行突破を図ろうとしたものの、先頭に立つ女性が発した言葉で、何もできなくなったらしい。




 これは兵庫県警本部長も了承していることです。それでもなお立ち入ろうとするなら、本部長にここまで来ていただくことにしますが、それでよろしいか




 涼しげな顔で淡々と口にする女性からは、ただならぬ威圧感が漂っている。与太話よたばなしだと笑い飛ばすはずの警察官は、そこから一歩も動けなくなってしまった。




 ここは私たちの管轄なれば、どうぞお引き取りを




 その後、事件がどのように最終処理されたのかを知る者は、この女性を除き、誰もいない。




「二度目の惨劇に見舞われた洋館の門は、固く閉ざされることになりました」




 一九一四年、第一次世界大戦が勃発する。


 日本経済界は大戦景気と呼ばれる空前の好景気にき立ち、軍需も民需も大いにうるおうこととなる。



 長い時を経て、次の入居者が決まったのは、終戦のほぼ一年前、一九一七年だった。


 大戦景気の波に乗って建設業で成り上がった神戸出身の男が、念願でもある洋館の権利を取得したのだ。



 男はここを終の棲家とするつもりで購入したものの、三年後には戦後恐慌が日本中をどん底に叩き落とす。


 直撃を食らった会社は倒産、莫大ばくだいな負債を抱え込んだ男は世をはかなみ、妻と娘を巻き込んで一家無理心中を図るに至る。



 表向きには故人の名誉もあって、そのように報じられている。




「真実は違います。心中ではなく、明らかな他殺でした。三人が三人とも、頭部と胴体を切り離され、無残な死を遂げていたのです。この事件も有耶無耶うやむやのうちに迷宮入りしてしまいました」




 もはや、死にまとわれたいわくつき物件となり下がった洋館は、買い手もつかなくなり、放置されていく。



 ごくまれに物好きな買い手がついたこともあったようだ。


 あったところで、いざ入居してみると、数ヶ月も経たないうちに家財など一切合切を放置したまま逃げ出したり、至る所で水漏れが発生するなど、異常事態が続いたという。


 中には消息不明になった者、不審死を遂げた者などもいたようだ。



 一時期、神戸最恐心霊スポットとして騒がれたこともあった。この手のたぐいは一過性にすぎず、すぐに飽きられると相場が決まっている。




 こうして誰からも見捨てられていった洋館は、北野の地に取り残され、歳月だけが流れていった。


 ち果てていく洋館に目を向ける者はなく、寂れていくばかりだった。




「そして、あの日を迎えるのです。決して忘れられない一九九五年一月十七日五時四十六分、未曽有の大災害が神戸を襲いました」



 平成七年兵庫県南部地震、後の正式名称は阪神・淡路大震災だ。


 神戸市の至る所で壊滅的な被害が生じ、災害関連死を含む死者数は六千四百三十四名を数える。



 震度七の凄まじい揺れに見舞われたのだ。


 高速道路が落ちるほどの威力を前にしては、洋館などひとたまりもない。


 当時は免震構造の概念もなく、洋館は土台から崩壊、文字通り、ぺちゃんこになってしまった。




「酷い地震だったわ。ちょうど三十年という節目、この大震災を避けては通れない。今まさに起こっている惨劇はここから始まったと言っても過言ではないから」




 中心にいる女性、藍桜あいらの言葉を四人がそれぞれの思いをもって受け止めていた。

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