第29話 赤い瞳

優子は窓の外をじっと見つめていた。暗闇の中、わずかな街灯の光がぼんやりと道を照らしているだけだった。しかし、佐藤の言葉が頭の中でこだまし、どうしてもその場から目を離せない。


「赤い目……見間違いだよね……」


自分にそう言い聞かせながらも、背中を冷たい汗が伝う。あの写真、あのメッセージ、そして昨夜の悪夢――すべてが現実と非現実の境界を曖昧にしていた。


深夜2時を回った頃、不意に電気が一瞬消えた。


「……停電?」


優子はリモコンを手に取り、電気を再びつけようとした。しかし、スイッチを押しても反応がない。家全体が静まり返り、優子の心拍が一気に早まる。


その時、窓ガラスを何かが軽く叩く音が聞こえた。


「……風?」


声を出すことで自分を安心させようとするが、再び音が響く。叩くというより、何かが爪で引っ掻いているような音だった。


優子は恐る恐るカーテンに手を伸ばした。


「……誰かいるの?」


震える声でそう問いかけると、音がピタリと止んだ。その沈黙がかえって彼女の不安を煽る。


カーテンを勢いよく引くと、そこには何もいなかった。ただ、窓ガラスに薄っすらとついた曇りの中に、何かの痕跡が残されている。


「待っている」


優子の目はそれに釘付けになった。指で書かれたような文字――それがどうやってそこに書かれたのかは分からない。


恐怖に耐え切れず、優子はスマートフォンを手に取り、佐藤に電話をかけた。


「……もしもし、佐藤さん……」


「どうしました?」


佐藤の声は穏やかだったが、優子にはその落ち着きが不気味に感じられた。


「……また何かがおかしいんです。窓に文字が……」


「文字?」


「『待っている』って書かれてて……」


優子が説明している間、佐藤はしばらく黙ったままだった。やがて口を開くと、彼の声は低く響いた。


「優子さん、一度話し合いませんか?もしかすると、君の中で整理できていないことがあるのかもしれない。」


「……私の中で?」


「うん。例えば、モモのこととか……君自身のこととか。」


その言葉に優子の胸はざわめいた。佐藤が何を言いたいのか分からなかったが、何か重大な秘密が隠されているような気がした。


その夜、優子は眠ることができなかった。窓を閉じ、鍵をかけ、部屋の電気をつけっぱなしにしたが、それでも不安は消えなかった。


時計の針が朝の4時を指した頃、疲れ切った彼女はうとうとと眠りに落ちた。しかし、その眠りは長くは続かなかった。


「優子……」


低い囁き声が彼女の耳元で響いた。目を開けると、赤い瞳が彼女を見つめていた。


「……!」


悲鳴を上げる間もなく、優子は体を引きずられるような感覚に襲われた。暗闇が彼女を包み込み、体はどんどん重くなっていく。


「誰……誰なの……!」


声を振り絞ったが、返答はない。ただ赤い瞳が彼女の意識を飲み込むように近づいてくる。


次に目を覚ました時、優子は自分の部屋にいた。しかし、何かがおかしかった。部屋の空気が異様に重く、湿っている。


ふと視線を落とすと、自分の手が赤く染まっていることに気づいた。


「……これ、何……?」


震える手で顔を拭うと、そこにも血がついていた。足元には血の付いた刃物が落ちている。


「なんで……こんな……」


頭の中が真っ白になり、全身が震え始めた。その時、玄関のドアが乱暴に叩かれた。


「警察だ!田中優子さん、出てきなさい!」


声を聞いた瞬間、優子は動けなくなった。ドアの向こうからはさらに怒号が響き、まるで彼女を追い詰めるようだった。


「待って……私は……」


混乱する彼女の耳元で、またあの声が聞こえた。


「逃げられない。」


そして、世界が再び闇に沈んだ。

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