第20話 空っぽの心に悪は忍び寄る

 火の手が伸びてこないことを確かめ、ニーナを地面に横たえた。顔に火傷がある。この付近には水道があったはずだ。


「姫様!」


 ロビンが革製の水筒を掲げてこちらへ走ってきた。投げ渡された水筒の口を開け、火傷を負った肌にかけてから、強引に飲ませると、ニーナは咳き込んだ。


「ニーナ! ニーナ! しっかりしてください!」

「うう……あーしを迎えに来た天使……イリスにガチ似……」

「本人です!」

「……あーし、死んだんじゃないの?」

「生きています! 火傷を自分で癒していたでしょう。その光で見つけ出すことができました」

「イリスが助けに来てくれるなんて……もう死んでもいい」

「ダメです!」

「姫様」


 ロビンが声音で警戒を促した。彼の視線の先には、奇妙なほど大きな燭台を手に持った神父の姿があった。燭台の火は、風に逆らって揺れている。

 即座にロビンが飛び出した。風の刃が燭台を持つ神父の腕を裂いたが、その傷はすぐに癒えていく。高度な回復魔法、治癒の持続リジェネレーションだ。


「ロビン、後ろ!」


 私が叫んでも遅かった。神父が手にした燭台から放たれた炎が、ロビンの後ろに回り込んで背中を奇襲した。


「ぐっ!」

「ロビン!」


 神父は炎の魔法でロビンに追い打ちをかけようとしている。巨大な燭台は、どうやら神父の杖らしい。一般的に、魔道士は魔力を放出する際の触媒として杖を使うが、あんな特殊な形状のものは見たことがない。

 杖について考えている場合ではない。ロビンは神父の姿を見るやいなや、即座に攻撃を仕掛けた。神父が敵だと確信している動きだった。私はロビンを信じる。


「揺らぐ炎よ、集いて波となり万物を焼き払え!」


 詠唱と共に神父が燭台の先を地面に向けた。火炎の波バーニングウェイブがロビンに殺到する。私はエスペランサを抜いて駆け、倒れたロビンの体を飛び越えて、迫る炎に立ち向かった。


「はあっ!」


 縦一文字に一閃し、向かってきた炎を両断した。左右に分かたれ勢いを殺された魔力の炎は霧散する。


「剣風で魔法が!?」


 神父は驚愕の表情で立ち尽くしている。私は距離を詰め、神父の首筋に刃を這わせて問う。


「教会を焼いたのはあなたですか」

「……」


 私はわざと音を立て、刃を神父の首の皮に向けた。


「そ、そうです」

「なぜですか」

「それは……」

「姫様、あとはお任せを」


 神父はまた驚いている。先ほど背中を焼かれたロビンが平然と歩いていることが、神父にとっては驚くようなことらしい。ニーナが癒しの魔法をロビンに向かって放ったに決まっているのだが、わからないのだろうか。


「王族に斬られたとあっては、相手に名誉を与えることになります。尋問は俺がやりますんで」


 ロビンが手早く神父を縛り上げたので、私はエスペランサを収めた。


「動機はなんだ? 素直に吐いた方が楽だぞ」


 目の前が炎で燃えているのに、寒気がした。ロビンのこんな恐ろしい声は初めて聞いた。


「教会を焼くような神父だ、神様が許してくれるはずもなし。せめて人間には許してもらえるように、洗いざらい話してみたらどうだ?」

「……信じさせられた」


 神父は絞り出すように語る。


「教会で拾われ、育てられ、信仰は当然と教え込まれ、他の生き方を知らないまま長じてしまいました。ずっとこのちっぽけな教会に囚われて生きろと強要され……ですが、神は私に報いてくれました! 国が、魔王討伐に同行させる優れた癒し手を探しているとなれば、もちろん、都で一番の実力者である私が選ばれるのが道理です!」


 この神父が治癒の魔法に長けていることは国も把握しており、彼を第一候補として検討していたのは事実だ。騎士団から人員を割けないという事情があったからだが。


「それなのに、イリスディア王女! あなたはニーナを選んだアア!」


 神父の形相は、見るに堪えないほど歪んでいる。


「あなたはこの教会の長として長年地域に尽くし、民の信頼を得ていました。そういう方にこそ、魔王軍に怯える人々の不安に寄り添ってほしかったのです」

「私は行きたかったんです! 出たかったんですよ! こんな古くてかび臭い教会なんて出たかった! 不潔な西の町を背にして暮らすのは嫌だった! こんなの私が望んでいた人生じゃないイイ!」

「いや、そこまで思ってたんなら、出ればよかったんじゃね?」


 ニーナがよろめきながら神父に近づいていく。もう火傷はすっかり治っている。ふらついているのは、魔法の使い過ぎによる魔力の枯渇のせいだろう。


「もしかして、あーしがもう動けてびっくりしてる?」


 神父はニーナを呆然と見ている。どうやら図星らしい。


「神父さまさあ、あーしのこといきなり全力で燃やしたもんね。でも全然弱っちいの。魔王の炎にくらべたらもう、マッチと火山よ。不意打ちだったし、患者さんたち守んなきゃだったから、思ったよりダメージは受けたけどさあ。こんくらいはすぐ治せるわけ」

「その修道服が!」

「あーね、これは優れものだからね」


 ニーナの修道服は、少し焦げてはいるが、それほど損傷していなかった。この服は、旅に出るとき国から彼女に授けたものだ。イリスの鎧ほどではないが、あらゆる攻撃に耐性を持っている。生まれて初めて新品の服をもらったと、ニーナが喜んでいたのが忘れられない。


「おじいちゃんは、あーしが一番才能あるって一目でわかったって。ほかにも、神父さまより才能ある人はうちの教会にだけでも何人もいたって言ってた」

「私は持たざる者です。わかっていたから、必死に学び……」

「でも神父さまを選ばなかったのは、あーしのほうが才能あるからじゃないんよ」


 ニーナには神父の話を聞くつもりなどないようだ。


「実力ないあーしを連れてったら、あーしを鍛える手間が必要になる。それでもあーしが行くことになったのは、神父さまがあーしたちに読み書きも魔法もまともに教えないような生臭神父だったから。必死に学んだって? そんじゃ、あんたに文字を教えてくれたのは誰? あんたに信仰を強要したっていう前の神父さまたちじゃないの?」

「……」

「知ってたよ。あーしだけじゃない。自分が一番上じゃなくなるのが嫌だったから、孤児にはなーんにも教えてくれなかったってこと。つまりね、評価されたのは才能じゃなくて人間性」

「詭弁ですよ、そんなのは! 能力があるかないかですべてが決する! 持たざる者は一生地べたを這いつくばっているしかないんです!」

「つまり神父さまは自分が地べたにいるから、あーしたち孤児にも、一生地べたを這いつくばっててほしかったんですね」

「……」


 ニーナは舌打ちをした。神父が図星を指されると黙り込むことには、私も気づいている。


「じゃあ、あーしのほうが才能あったからってことでいいです。はい。どうせ神父さまには、見えないっしょ?」

「痛み? そんな抽象的なもの、目視できるはずがありません!」


 ニーナには、目視できる。人が感じている痛みが光の糸となって、その人に纏わりついているのが見えると、彼女は何度も言っていた。だから、痛みを直に狙って癒しの魔法をかけられる。フラドナグは、ニーナなら世界一の癒し手になれると断言していた。それを誰にも見いだしてもらえなかった、ニーナの置かれた環境の悪さを嘆いてもいた。


「ニーナ様、もういいっすか」

「うん、いいよ」


 ロビンは神父のみぞおちを殴り、気絶させた。


「踏み出す勇気のなさを、あーしのせいにされてもな……」


 ニーナは悲しげにそうこぼす。

 この神父が己の劣等感を慰めるため、教会で暮らす孤児たちをないがしろにしていたのは事実だろう。けれど、この神父が近隣の人々に慕われ、ニーナたちを健康に育て上げたという一面が消えてなくなるわけではない。


「現状に不満があったり、抑圧されてると感じてる人の心につけ込むんすよ、悪って奴は。生まれながらの悪じゃなくても、心が空っぽなら染まっちまいます」

「……そっかあ」


 これほど落ち込んでいるニーナを、私は初めて見た。なんでもいいから、話題を変えて彼女を慰めたかった。


「ニーナ、足の悪いおばあさまがあなたを心配していました。怪我はもう大丈夫なのですか」


 私が尋ねると、ニーナは大きな瞳に涙をためてこちらを見た。


「イリスぅー!」

「わっ」


 ニーナは私に体当たりすると、そのままぎゅっと抱きついてきた。


「ありがとう、大丈夫! あとごめん! 神父さまが悪い奴らの仲間だってわかってたら、会いたいなんて言わなかった!」

「どういうことですか」


 私に答えたのはロビンだ。


「陛下が、ニーナ様と会ってはダメだと仰ったのを覚えてますか?」


 もちろん、覚えている。殿方探しもだめ、友人に会うのもだめと言われて、怒りをこらえられなくなったから、城の壁を壊してまで外に出たのだから。


「この教会の神父が、反乱分子と結託してるかもってんで、調査中だったんすよ。もうほとんど黒だったんすけど」

「私を教会に近づけたくなかったのなら、父上もそう仰ってくだされば……」

「いや、イリスパパが正しい」


 ニーナは妙に確信を持って言う。


「悪の居場所がわかったら、イリスは自分で成敗しに行っちゃうから。超マジで」

「さすが、ニーナ様はよくわかってる」


 二人は楽しげに笑っている。いつの間に親しくなったのだろう。

 あんなにひどいことを言ったのに、私が手を貸してほしいと思ったまさにその瞬間、ロビンは駆けつけてくれた。謝るよりも、まずは礼を言いたい。


「……ロビン、ありがとう。ニーナを助けられたのはあなたのおかげです」

「えっ!?」

「何度も助けてくれて、本当にありがとう」

「あっ、えっ……まあ、その、なんです。それが仕事っすから。ハハ、ハハハ」


 ロビンはこちらを見てくれず、目が泳いでいる。


「ちょっと、イリス! あーしにも笑顔ちょうだいよ!」


 抱き留めたままのニーナが、むっと頬を膨らませて上目遣いで見てくる。

 笑顔、とニーナは言うが、よく考えなくても、笑顔でいられるような状況ではなかった。戦士の村であったことをニーナに伝えなければ。


「ニーナ、聞いてください」

「え、超マジ真剣な顔だし。どしたん?」

「実は……」

「イリスディア様!」


 話そうとした途端、騎士が数名走ってきた。杖を持っている。癒しの魔法を扱える衛生兵だ。


「西地区で大規模な戦闘が起きています。奴ら、ブレンディエ解放軍などと名乗って蜂起を……騎士団はそちらの鎮圧に向かっております。ですが、北地区に入り込んだ一団があるようで、そちらをフラドナグ様がひとりで抑えると申され……」

「わかりました。フラドナグの加勢に向かえばよいのですね」

「はい。イリスディア様のお手をわずらわせるのは申し訳ないのですが……」

「いいえ。こういうときのために剣術を学んだのです。私も戦います」


 衛生兵たちは、ほっとした様子で私を見る。


「あなた方は教会の消火、けが人と病人の救助をお願いします」

「はっ!」

「ニーナ、あなたも……」

「うん」


 ニーナは私から離れ、きゅっと表情を引き締めた。


「あーしもこの人たち手伝うわ。落ち着いたら合流する。おじいちゃんによろ」

「はい」


 トトのことを話すのは、後にするしかない。

 ニーナを残し、私はロビンと共に北地区――貴族街へと駆けた。


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