炎を飼う男・ヨシズミ
天気がいいので駅前までぶらぶらと散歩をすることにした。本でも買おうとそのまま電車に乗ってとある駅で降りた。先月駅前の古本屋に日雇いバイトの帰り道に一度だけ立ち寄った際に前からほしかった本が売っていたのだ。いかんせん家から遠いうえに用事で降りることもなく久々の訪問だったこともありお目当ての本は売り切れていた。古本との出会いは一期一会。ウブい本を見つけたら借金してでも即買いせよという蒐集家の鉄則を肝に銘じておくべきだった。手持ち無沙汰を紛らすかのように店内を見回し何となく目に入った石原慎太郎の『わが人生の時のとき』を手にとってみた。文芸評論家・福田和也が『作家の値打ち』というプロ作家の著作に点数をつけて評価する前代未聞の文芸批評本があるがその本で『世界文学レベルの名作』という評価に値する九十点以上の点数を獲得した数少ない作品のひとつである。余談だが僕が敬愛する作家・高橋源一郎のデビュー作『さようならギャングたち』も九十点以上の評価だ。取り上げられた四百冊あまりの現代日本作家の作品の中からよりすぐられたほんの十冊程度の頂点に位置する作品に源一郎を入れるたぁなかなかするどいなと思った。作家志望風情が偉そうに語ってやがると批判をされそうだけど。さっきから店内で片岡義男の本ばかり物色している男の顔が見えた途端この辺りに都知事の邸宅があるという噂を思い出した。何故だろうと彼の顔を見直してみると石原良純だった。気象予報士もやってるタレントの。通りで片岡義男なわけだ。彼の小説は女性の容姿と天気に関する文章ばかりが八割以上を占めている場合が少なくない。単なる手抜きなのかはたまた前衛なのかは僕如き青二才には測りようもない位の孤高なる書き手である。「父の本じゃないか」ふいに話しかけてきたので「ええまあ」とどぎまぎしながら愛想笑いを浮かべると彼は満面の笑みを返した。「うちに遊びに来ないか。ペットを飼ってるんだ」唐突のことで驚いたがどうせ暇だからとおじゃますることになった。都知事の本を買う気はなかったのだが棚にも戻しづらい雰囲気だったのでそのまま彼とともにレジに並んで購入してしまった。通された部屋の真ん中に何故か囲炉裏のようなものがあり危険なほどに大きな炎がゆらゆらと揺れていた。何のための設備なのか聞こうと思ったところ彼が先んじて説明しはじめた。「ペットというのはこの炎のことなんだよ」「どういうことでしょう」「こいつとのなれそめについてはおいおい話す。まあくつろいでくれたまえ。煙草は吸うかね?」僕は彼の持つ煙草の箱から飛び出した一本を恐縮ながらと貰い受け燻らせた。そしてどういうわけか彼がペットの居場所を灰皿代わりにしてくれというので吸いきった煙草を炎の中に投げ込んだら炎が天井に届きそうなくらいに大きくなったので腰が抜けそうになった。「ああこの部屋の天井は耐熱加工を施してあるから安心してくれよ」良純はこともなげに言った。「それより一服が済んだなら手伝ってほしいことがあるんだ」ツボを運んでもらいたいとのことだった。おばあさんの部屋の入り口ぎりぎりの大きさのツボだから二人がかりで慎重に運べないといけないのだそうだ。それにしても大きなツボだった。こんなものが置いてあるなんてやっぱり有名な家は違う。さすが石原軍団。てゆうか都知事の実家だし。ぼんやりとそんなことを考えながらツボを運んでいたら足が縺れてよろけてしまいその拍子に胸のポケットに入れていた本がペットの炎の中に吸い込まれた。本は見る間に黒焦げになって瞬く間もなく灰と化してしまった。「うあちゃ~なんてこった。父の本を焚書しちゃったよ。父には言えないな」「そうですよね」「すまん後で埋め合わせするから黙っておいてくれよな」僕が都知事と対面するようなことは芥川賞でも取らない限りはないことだけれどとりあえずわかりましたと答えておいた。しかしどうにもさっきから焦げ臭くてかなわない。本当にこれ大丈夫なのかな? 煙があまりにすごいので一酸化炭素中毒にでもなりそうな感じだ。こんな危険な思いをしてまでも炎を飼う必要があるのだろうか。そんなことを思っていたらやっと彼はペットとのなれそめを語ってくれた。実はこの炎は東京オリンピックの時の聖火の一部だという。若かりし頃の石原慎太郎が聖火ランナーに近づいて聖火で煙草に火をつけそれを持ち帰ってきたんだそうだ。東京オリンピックだなんてそんな前から飼ってたのか! 僕はそれを知ってちょっとその炎が可愛く思えてきた。だけどそんな大切なものなら灰皿代わりになんかするなよとも思った。もともと煙草に付けて持ち帰ったものだからオッケーってことなのかな? よくわかんないからそういうことにしとけばいいや。「なんなら分けてあげるよ」と彼が言うので分けてもらうことにした。「そのかわりさっきの件は父には内緒にしててくれよな。今日はいい天気だから途中で消えることもないだろう。持ったまま電車には乗れないから徒歩で帰ることになるがそれでいいなら」僕はそれを承諾し炎を移してくれたトーチを持って石原宅を後にした。トーチってのは自由の女神が右手に掲げてるやつのことね。ほらオリンピックの前にそれを持って聖火ランナーが会場まで走るでしょ? 遥かオリンピアの英雄に思いを馳せるうちになんだか自分までもが急に英雄にでもなったかのような心持になりトーチを掲げ全速力で走り出した。しかし思いもよらないことが起きた。突然の雨で炎が消えてしまったのだ。なんだよ。天気予報はずれじゃねえか。良純のやろうとんだくわせものだな。途端に何もかもがばからしくなってきた僕は駅前にあったペットボトル用のゴミ箱に火の消えたトーチを惜しげもなく投げ捨て電車に乗って帰宅した。(夢日記一終り)
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