世界に不要なデータなど一切ないのだ
喘息で派遣会社の次の仕事をもらえなくなった。体調不良を押して出勤し続けたが心身ともに疲弊していたせいもあってか出勤時に自転車からころげおちて左掌と左肘の肉がえぐれ三日休んだ。翌週が派遣先の夏休みと重なっていたので土日を含め十二日間の休養をとり次の月曜は通常どおり勤務できたもののやはり発作が起きてしまうため火曜に早退したのを最後に出勤できなくなった。通勤災害扱いになった怪我がまだよくならないこともあって休職を求めたが派遣社員に休職制度はないため傷病手当の給付を申し込んだ。全ての手続きが完了していないので二ヶ月たった今もまだ一円も給付されていないが派遣契約を切られて以降の手当てがもらえるかどうかは定かではない。ちなみに契約更新がないことを告げられたのは怪我で欠勤した折のことであり月末一週間を休んだからではない。月末一週間の欠勤については消化できていなかった有給の扱いにしてもらった。実は以前にも派遣契約が途切れた際に次の派遣が決まるまで一ヶ月以上空いてしまったため一年半の有給のうち未消化だった五日分程が消失してしまっていたので今回は法律に基づく権利を行使させてもらったというわけだ。いくら労働法で定められているとはいえ世間一般では有給消化がままならないことは自分自身三年間の新聞奨学生時代に一度も有給をもらったことがないという過去の経験上でも承知のうえだが賞与もなく体調を崩していていつ社会復帰できるかもわからない現状においてはまさに死活問題なのである。なお労働法の専門家によれば有給というものは賞与の一種として扱われるべきものでありなおかつ会社の福利厚生ではなく社会的義務として会社都合で与えられないことは許されないとのことである。それでもなおこちらからゴリ押ししなければ果たされないのだから困ったものだ。しかも派遣会社からはどうしても有給を全て消化したいというのであれば断ることはできないが次の仕事の依頼はないものと考えるよう脅してきた。とはいえこれはあくまでも法律専門家ではない営業担当者によるその場しのぎの発言に過ぎず会社の意見とはいえないのかもしれない。そもそも契約更新がなかった理由として派遣先から説明されたのは業務戦略上の部署再編成という派遣先の都合からであって傷病による欠勤への懲戒ではないとのことだ。そうなる可能性は体調を崩す以前から感じていたので意外な結果というわけでもなかった。僕が担当していたケータイサイトは僕が関わる以前のサービス開始時から目標値を達成できていなかったし僕が配属されて以降もプロモーションの要はチームリーダーの派遣先社員が担っていたのだから僕の力でどうこうできるレヴェルの話ではなかった。僕自身はサイト運営に必要な業務を望まれる納期に合わせてクオリティを保ちつつこなしてきたのだから懲戒なんてことになるわけがないし派遣先もそれをわかったうえで経費削減の策として契約更新をしない方向にせざるを得なかったというのである。しかしながら喘息が完治しているわけではない現状があるので派遣会社ばかりを責めるわけにもいくまい。実は先月半ばから体調不良を隠して数社に面接に行くなどしており仕事が決まればいつでも復帰する覚悟で過ごしてきたのだがどうにも決まらず失業中という立場なのである。雇用保険も払っていたので本来ならハローワークに登録していれば一ヵ月後には失業保険がもらえるが派遣会社自体の登録を解除されたわけではないので離職扱いになっていないという事情もあり実際には派遣契約がなされていないことから失業と同等に見なされる可能性もあるがハローワークから派遣会社に事情を訊ねられてしまえば喘息の影響で通常勤務ができないと判断されるおそれもある。とにかく体調が戻るまでは傷病手当を受けながらスキルアップの在宅学習でもしていたほうが無難と思われるが手当てが出るかどうかすらわからない状況では身の振り方を考える余裕もない。自分語りが長くなってしまったが今回こうして文章をまとめるに到った経緯を伝えるうえで必要と思われたから書いたまでで今しばらく辛抱してほしい。話は戻るけれどきっかけは自転車転倒事故だった。新宿への自転車通勤は三年目になるが転んで怪我をするのは初めてだった。雨天時に傘をさして片手運転するのは傍目にも危険だが速度を緩めて細心の注意を払ってきたのである。その日もあいにくの雨だったけれど傘をさしている間はいつも通り安全第一で巧く走っていた。ところが大宮八幡宮を越えて方南通りにさしかかった辺りで止んだため傘をたたみ遅れを取り戻そうと速度を出しすぎたのがいけなかった。方南交差点の信号が点滅していたので渡りきろうと加速したところ交差点直前で赤になったからと前輪の急ブレーキをかけた刹那に視点が反転した。サドルを下にして見事に逆倒立している自分の自転車が視野に入るに到ってようやく状況が把握できた。雨に濡れた金属製のマンホールにタイヤを取られ横滑りした自転車が半回転するとともに前のめりに放り出された僕は舗道に左半身を強打したらしい。水分吸収性に優れたザラザラで凸凹のアスファルトに接地し肉が抉り取られた左掌と左肘には卓球ボール大の血の塊がへばりついていた。生成りのホワイトジーンズは左側面だけが焼け焦げたかのように黒くなっていた。野球帽にティーシャツ半ズボン姿のナイスミドルがひっくり返った自転車を元に戻し舗道に散らばったバッグと傘を拾ってくれた。足が変な風に曲がっているので骨折してやしないかと心配し救急車を呼ぼうかと提案してくれたが歩けないほどの痛みは感じなかったので近くのクリニックを教えてもらう。一軒目は休診で二軒目は明日から一週間お盆休みに入るので治癒経過を見られないからと断られた。しかも通勤中の怪我の場合には労災になり保険証が使えないというような説明も受けた。けっきょく家の近くにある喘息でかかりつけの病院へ。実は喘息の薬も切れていたのである意味ちょうど良かったのだ。親切な若作りの紳士は名前も告げず颯爽と去って行った。勤務時間が迫っていたので遅刻もしくは欠勤になる可能性を伝えようと派遣会社に電話。営業担当者に労災の件も聞いてみたら自転車は公共機関ではないので適用外と言われた。しかし僕は交通費を支給されていないので通勤方法を制限される筋合いはないはずだと反論するも関係ないの一点張り。せめて法務担当者を出してくれと頼んだが忙しいので今は無理とのこと。言い争う間も血は止まらないし痛みも増すばかりなのでともかく手当てをしようと電話を切り会社から労災にならないと言われた旨を窓口で告げ保険証を提示して治療を受けた。腕が曲がるので骨折はしていないようだが擦傷だけでなく打撲もあるだろうから様子を見るようにと医者に言われた。打撲は翌日になって症状がひどくなる。前に建築現場で肉体労働をしていて足場から落ちて足首を捻挫し翌日になって歩けなくなったことがある。そういえば全治一週間だったにも拘らず休業手当てが出なかったのはどういうことだったのだろう。しかもそれがきっかけでその仕事はクビになっているのだからどうしようもない扱いだ。架空求人やら請負偽装やらでいいように振り回されたあげく怪我をするほうが悪いというのだからホトホトいやになる。欠勤する旨を会社に報告したところ実は法務担当者によれば交通機関より早い時間で通勤可能な圏内であれば自転車でも労災認定されるとのこと。保険証を使ってしまったのでどうなるかわからなかったが最終的には通勤災害が認定された。営業マンの言うことは余り信用しない方がいい。というのも僕自身が詐欺まがいのいい加減な営業マンをやっていたことがあるからだ。でたとこまかせ口八丁手八丁のハッタリでとにもかくにも仕事を取ってくるのが仕事であってサポートは二の次という輩が多い職種なのである。それはさておき病院帰りに時間があるから少し買い物をして帰ろうと駅前に向かい古本屋を覗いてみたら随分と探して見つからなかった掘り出し物を発見する。これも怪我の功名といえるのか。陳腐な言い方だけどこの本との出会いこそが小説を書かなくてはいけない運命なんだと考えこの文章を書くに至ったきっかけなのである。個人的な事情なんぞ社会的には無意味のように思えるが私情の集積が社会情勢なのであるからには書かざるをえまい。世界を読むことが出来るのは世界そのものだけであり個人が個人を読むことで世界を察するしかない世界に不要なデータなど一切ないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます