第6話 白井一馬。

トイレから出たが、教室には戻りたくなかった。

廊下にへたり込み、壁に腰掛ける形で唸っていると「平気ですか?」と声がかかる。


相手も見ずに「平気です」と返して俯いて唸ると、しばらくして「飲めますか?」と言われて水のペットボトルが目の前に現れた。


「ごめんなさい。廊下まで戻された音が聞こえてきたので、口の中、濯ぐとスッキリしますよ」


そう言われて、初めて迷惑をかけていたことに気づいて顔を上げると、男の子がいた。


男の人ではない。男の子と形容したい。

165センチもない感じの身長。

肩までのボブカットに近い髪型のせいで、女の子に見えてしまう。

髭やスネ毛、男性ホルモンなんて無縁そうなのに、喉仏が見えていて、声は男の声。


男の子は「先輩、辛かったら早退したらどうですか?」と聞いてきてくれて、「先輩…、一年生なんだ。卒業制作とポートフォリオがあるから休めないんだよね」と言って水を貰うと、口を濯いで残りを胃に入れる。


「ごめんね。お水代、払うね」

「いいですよ。お水ですから。ここは東京、砂漠ではありません」


その返しは新鮮で、話振りも雰囲気も違うのに、従姉妹の姉が頭に出てくる。


「バカヤロウ。水だぞ!?感謝だけしろ。水代?ここは東京だ。金を払いたかったら水に金を払う土地に行け」


きっとあの姉ならそう言う。

そう思うと少し気持ちがほぐれた。


「ありがとう。教室戻るね」

「はい。お大事にしてくださいね」


見送られる私に、男の子は「もし良かったら挨拶したいので、お名前を聞いてもいいですか?」と聞いてきた。


「ナンパ?」

「ち…違います」


慌てる顔に好感が持てたので、「いいよ。六木、六木翠」と名乗ると、男の子は「ありがとうございます。僕は白井、白井一馬しろい かずまです」と名乗ってきた。


ヘトヘトになりながら教室に戻ると卒業制作に取り掛かる。

これもまた二葉と組んでいて気持ち悪いが、お互いになにかを作って教師に提出する。

それの良い方の成績がお互いについて卒業になる。

自分の成績で評価されたい。だから二葉と組むことに抵抗はなかった。


横に座る二葉の画面は、やる気のやの字も感じられない、本当に1年間何を学んだんだ?という出来の、ショップカードのデータが置かれていた。


金を払ってこれが出てきたら、その店は何をしてもダメで、運気を落とした店はあっという間に倒産するだろう。

何屋に渡すのか考えられていられない。


きっと教科担任からそこら辺を聞かれても、「え〜、きっと誰かしら欲しい人はいますよ〜。多様性ですって〜」と答えて、女を振り撒いて誤魔化すのだろう。


あの少年、白井一馬はどんな作品を作るのだろう。

何故か気になった。

それは声と手は男の子なのに、顔や姿は女の子に見えたからかも知れない。

男らしい作品、女らしい作品、性差別とかを授業中に注意されたが、やはり男向け女向けはある。

私は白井一馬の作品が気になっていた。



・・・



案外、そのチャンスはすぐにきた。

二葉と生活リズムを変えたくて、有料だが放課後にマシンを使わせてもらう。

まあ値段も良心的で、安かろう悪かろうではないが、やる気のない生徒が遊びに来るには向いてない値段。プラス、見張りの教師のおまけ付き。

私からすれば、これで十分な環境で作業が出来るならホクホクだった。


二葉はまだ笑って済むと思っているのか、「帰ろうよ」なんて言ってくるが、ポートフォリオと制作物の話題を出して、居残りをすると言うと「翠は真面目だなぁ。私は助かっちゃうなぁ」なんて言って五代と帰って行く。


残された私は、帰りの電車で誰にも会わずに帰れれば万々歳。それでしかない。


購買で入室チケットを買い、教室でそれを渡す。


「卒業制作?頑張れよ」なんて声をかけられながら、定位置に座る。

なんとなくまだ素人なのは、機械や座席が変わると環境が同じでも筆が乗らなくなる。

きっと姉に言ったら笑われる。


「あ」


操作ミスでデータでも消えたか、クラッシュしたか、そこら辺を疑い、声の方を見るといたのは白井一馬だった。


「白井くん…だったよね?」

「はい。六木先輩も延長されるんですね」


無駄話をする訳にもいかないが、先日の事もあるのでお礼を言い、会話に付き合う形で「欲しい資料が手に入ったから、追い込みなんだ。白井くんは?」と聞いた。


「僕は早く一人前になりたくて」

「何でやって行くの?」

「チラシとポスターです。六木先輩は?」

「私はカタログとかパンフレット、それとショップカードやチラシかな」


聞くと、2年目でもフラフラしている二葉とは大違いで、白井一馬はキチンとポスター制作に力を入れていて、色んなデザインコンペに応募したくて、とにかく今は数を作っていた。


作品を見せてもらって、感動した。

キチンと過去数年の受賞作品を見て学び、それに自分らしさを乗せる。


白井一馬そのものではないが、雄々しさも女性らしさもない。でも、どちらの性別の人が見ても感動するようなデザインに思えた。


白井一馬は私のデザインもみたいと言い、作りかけのデータを見せると、「すごく細かくて丁寧です。僕には真似できません」と言ってくれる。

それが嬉しくて、どこか誇らしくて、やる気に直結した。


その日から放課後の居残りが楽しくなった。

勿論、喋る事が目的ではない。

キチンと制作に向かう。


そして進捗を話し、作ったモノを見せ合う。

よくなさそうな部分の意見を交換し、納得すれば直していく。

とても充実した日々だった。

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