第14話 勇者が証に定められるのか


 中層攻略戦当日。


 いつもの時間に起き、いつものように朝飯を食った。

 いつもと違うのは、この胸にかかる靄だ。

 妙な胸騒ぎが収まらない。


 ――関係ない。


 自分にそう言い聞かせる。

 俺はもう、自分の手が届く人だけを救うと決めたのだから。


「あうっ……」


「おお。すまんリリー」


 ぼーっとしていて、気づかずリリーにぶつかってしまう。


「……」


「いや、ごめんって……」


「……む」


 むすっとした表情のまま、こちらをジト目で見つめ続ける。

 根に持ち過ぎじゃないか?


「……あると。迷ってる」


「なんのことだ?」


「とぼけても無駄。ラルカのこと」


「お前も成長したな」


 人の感情の機微を感じ取れるようになるとは。


 どうにも鈍いと思っていたリリーにすら見抜かれるとなるとな。

 それほど俺は分かりやすいのか?


「行きたいなら行けばいい」


「そんな単純なもんじゃないんだよ」


 純粋な、真っ直ぐな意見だ。

 けれど、それが正しいとは限らない。


「命の危険が伴う、それがダンジョン攻略ってやつなんだ」


「あるとでも?」


「俺でも、というかお前は俺を高く見積もりだ。俺一人で守れる範囲なんて、たかがしれてる」


「それは……困る」


「だろ?」


 リリーを言いくるめると、そっぽを向いて部屋に戻る。

 あいつはもう少し寝るらしい。

 全く自由なやつだ。


 そうして下に降りると、今度はおばさんが俺を見て肩をすくめる。


「朝からそんなんじゃ、こっちまで憂鬱になってきちまうよ。ラルカちゃんのこと、気になるんでしょ?」


 エルナスおばさんには、俺の胸中なんてお見通しか。


「気にならないって言えば嘘になる。けど俺はもう、自分の手が届く人だけを救うって決めたから」


 ふう、とおばさんは深いため息をつく。


「――あんたの手の届く範囲ってのは、そんなに窮屈なもんかい?」


「え?」


 手の届く範囲だけ。

 一体どこまでが、俺が手を差し伸べられる。


 今目の前で危機に瀕しているかもしれないその少女がいたら、それは俺の手に余るものなのか。


「あんなことがあって言うのもあれだけどね。あたしも村の皆も、守ってもらうなんて他人任せな生き方をしてきてないよ。自分のことは、自分でなんとかするさ」


「それは……」


 そう、かもしれない。

 いや、そうだ。


 虐げ続けられても奪われてもしぶとく生き残ってきた人達に、俺は守ってもらっていたんだ。

 育ててもらったんだ。


「それでも、俺は……」


「よし、言い方を変えよう。ラルカちゃんには居候分の働きをしてもらったが、あんたはまだツケがある」


「なっ。それは、そもそもおばさんは俺にとって……」


 母親みたいなもんだ。

 俺はエルナスおばさんのことも、リリーのことも家族だと思っている。

 そんな貸し借りみたいな関係ではないと。


「ああそうさね。あんたもリリーも、ラルカちゃんだって短い間だったけど家族だと思っているよ。だからって、五年も放浪してた息子をただ置いとくだけってほど、あたしは優しくないよ」


「いや、仕送りはしてたろ!」


「金で何でもかんでも解決できるって考えかい? あんたも嫌な世俗にそまったもんだ」


「じゃあどうしろって――」


 理不尽を突き立てられる。

 そんな俺に、おばさんは一本の指を立てる。


「アルト・コルネット。あんたに、依頼を申し込む。クエストってやつさね」


「はあ?」


「この依頼はとても危険だ。幾つか条件がある。まずは一つ。腕っぷしの強さ。やる気だけあっても仕方ないからね。その点、あんたは合格と言ってもいい」


 そうなのか?

 俺は、強いのか? それとも、弱いか?

 そうだな、俺は弱くない。


 家を出て、国を出て、大海を知った。

 それでもなお、今の俺は強い。

 昔はこの力を上手く扱えず、貧民街の荒れた連中に楯突いて痛めつけられたこともあったが、今の俺は違う。


 そう思える程に、培ってきた。


「次に心の強さ。言わずもがなだ。信念なき魂は、ここぞという時にしくじっちまうからね」


 心の強さ……か。

 己の肉体を鍛え続け、どんな逆境でも打ち勝ってきた。


 けれど、折れてしまった。


「ここはまあ、及第点でよしとしよう。その点でギリ合格だ」


「いいのか、そんなんで」


「話の腰を折るんじゃない。そして最後に、勇者様にしか依頼できない」


「勇者……」


「そう。証なんてあてにならないものじゃ信用ならないね。あたしは正真正銘、勇者様にお願いしたいんだから」


 エルナスおばさんが言わんとしていることは、なんとなくだが理解できる。


 なら、勇者とはなんだろうか。

 俺が目指した勇者とは――


 どんな相手も諸共せず、どこだろうと駆け付ける。

 そんな勇者になりたかった。


 けれどなれなかった。

 俺は勇者にはなれなかった。

 『聖痕スティグマ』は、俺には浮かび上がらなかった。


「どうやらあんたは、適任のようだね。だって全部満たしてる」


「俺が?」


 『勇者』ではないと言われ、蔑まれ、罵倒され。

 存在すらも否定された。


 そんな俺でも、なって良いのか?

 勇者に――なれるのか?


「あたしは禄に世界なんて見てきてないけどね。あたしの中で一番強く、勇者だと思うのはあんただよ。アルト・コルネット」


「俺は……」


 『聖痕』がないと、勇者ではないのか。

 否、勇者とは心のあり方だ。

 終わりなき理想を求め続ける、辛く厳しい、報われない道だ。


 自身を勇者だと思えば、誰だって勇者になれるのだ。

 俺も、あいつも。


「エルナスさん。俺は、救えると思うか?」


 そんなことを依頼人に聞くことが、そもそも間違っているのだろう。

 それでも依頼人は、はっきりと言った。


 言ってくれた。


「救えるさ。あんたなら、きっと」


 目頭が熱くなる。

 靄が晴れていくような、そんな感覚。


 これほど嬉しい――言葉があるだろうか。

 少なくとも――俺を勇者だと言ってくれる。

 信じてくれる人がここにいる。


 その期待に応えないなんて、あって良いのだろうか。


「頼まれてくれるかい?」


 分かっていたはずだったのに。

 否定されたくらいで、曲げてはいけなかった。


 俺は――勇者になりたかった。

 そして、今でも。


 だからきっと、なんとか出来る。してみせる。


「その依頼、このアルト・コルネットが承る。そして必ずや、成し遂げてみせよう」


 あのとき、やれることはあったはずだ。

 額を地につけ、国王に直訴すればよかったかもしれない。


 親身になってくれていたギルドマスターに、何も言わず出ていってしまった。

 追放されたとしても、たった一人になったとしても。


 諦めてはいけなかった。

 挑み続けるべきだった。


 そして今度こそ――


「勇者として、やり遂げるよ」


「ああ。もうしばらくは顔をみせんくていいからね」


「ははっ。酷い良い草だな、まあ、リリーには上手く言っといてくれ」


「それは任されたよ。行ってらっしゃい、アルト」


「ああ。行ってきます」


 そう言って、俺は笑った。


 失ったものは取り戻せない。

 後悔したって後の祭りだ。


 だから今度こそ、救ってみせる。

 もう悔いを、残さないように――


 

 ◆◆◆



 昔から責任感は強い方だった。

 やると決めたらなんとしてでもやり遂げようとした。


 そして負けず嫌いでもあった。

 負かされたら、例え相手が大人であってもなんとしてでも勝ち越そうとした。


 しかし、例外もある。

 どうしても出来ないこと。


 どうしても勝てない相手もいた。

 その時ばかりは妥協するしか無かった。


 悔しさを噛み締めながら、もうこれ以上は諦めろと、楔を打ち込んで来た。

 けれど、自分の人生に於いて、この使命だけは絶対に諦めるわけにはいかない。


 それを教えてくれた人がいた。道を示してくれた人がいた。


 人々の笑顔のために――

 誰に望まれるわけでも、期待されるわけでもない。

 誰もきっと、私のことなんて求めていない。


 これはきっと自己満足だ……。

 けれど、それでいい。


「さあ、行きましょう。私自身の正義のために」


 ラルカ・ルーヴェストは、何よりも自分の正義のために歩み出した。


 ◇


「総員、準備完了です。いかがいたしますか?」


 オーラム・ジュペインは気だるそうに欠伸を一つし、一瞥する。


 騎士団長を筆頭に、副騎士団長が殿を務める少数精鋭。

 この国で最も贅沢なメンツを跪かせ、カラカラと嗤う。


「さてと、一丁前に『勇者』してやるか」


 オーラムは自分の手の甲に刻まれた紋様を翳す。

 『勇者』としての、つまらない証を示すために。


「お前達、これを見ろ! オレが『勇者』だ! そしてお前たちはオレの偉業を成し遂げるための――駒だ! 命を賭してオレを守れよ!?」


 そして、一行も中層へ侵入する。


 ◇


 北の『勇者』もまた、別の方向から"魔窟"の入口へと到着。


「来てしまったね。キース、準備はいいかい?」


「……」


「キース? 聞こえてるの?」


「あ、ああ……。僕達ならきっと勝てる! 絶対、勝たなければいけない……!!」


 これしかないんだ。

 これを失敗すれば、僕は『勇者』としての名声を段々と失っていくことになる。


 それに、これが僕の正義だ。

 あいつとも、兄とも違う。

 僕が正しいと、思い知らせてやる。


 必死に取り繕うも、余裕はキースには無かった。

 ただ、自分の力を示すため、自分の正義を証明するため。

 吸い寄せられたのだ。


「僕達は絶対に勝てる! 行くぞ、出発だ!」


 こうして、それぞれがそれぞれの目的のために。

 ――中層攻略戦が開幕した。










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