「鳥の飛ばない天地の挟間」 35


「正気と狂気の境目なんて、誰にもわからないし、此処におれたちは現実だと思っているけど、藤堂さんが呑み込むかどうかはまた話は別になるから。無理しないで、自分のペースで、ゆっくりやるといいと思うんだ。…ねえ、ふっちゃん」

隣りに立つ藤沢紀志をみて、何処かしずかに篠原守が微笑んで。

「…どうしたらいいのかなんて、ホントにわからないんだけどさ、―――とりあえず、ごはんを食べて、やすんで、此の世界で仕事しながら、ゆっくり考えるっていうのはどう?」

「…――――」

篠原守の提案に、藤沢紀志が眇めた視線を送る。

「つまりは、そこに戻るわけだな?」

わたしのがんばった説明は?と眉を寄せる藤沢に、篠原守が衝撃の発言をする。

「それは、ふっちゃん。もちろん、がんばった経緯は認めますけど、説明の仕方としては下手じゃないかな?」

「おまえがやれ」

「いやです」

「即答するな」

「えー、だって、ぼくまだ高校生だしー」

「…――――」

思わずも、藤堂が二人の夫婦漫才に沈黙する。

 そう、いつでも。

こうして、シリアスな局面には違いないのだろうが。

篠原守のふさけたものいいが、その局面を和ませてくれているのは事実なのだと。

 …――まあ、それにしても、おれの想像から生まれたとしたら、ずいぶんと、…―――立派すぎるな、なんていうか。

そもそも、此処は見知った世界ではなく。

 ゲームなどの世界と同じ設定というわけでもない。

 だとすると。

「…蓋然性としてだが、」

「藤堂?」

視線を向ける藤沢紀志に、苦く笑んで。

「おれは、自分が正気かどうか、わからない。いまだに悪夢の中にいるのかもしれないし、――そもそも、月が落ちるなんて考えもしたことがなかった。…」

 だから、過去の自分にいってやりたいことならあるが。

 ――月へ行くなと、そう伝えてやりたいが。

 例え伝えた処で、いま此処にある自分自身は。

苦く笑み、藤堂が二人を見返していう。

「おれは、あまり想像力のある方じゃない」

きっぱりいう藤堂に、真面目に腕組みして藤沢紀志が見返す。

「うむ、それで?」

「…ふっちゃん、そのえらそうなのは、―――」

「常態だ。あきらめろ」

「…あのね?」

小声でいっている篠原守との会話はきかなかったことにして。

 藤堂は、自身の妄想や空想から生まれたにしては、リアルすぎる、―――そして、まったく一筋縄でいかない上に。

「そもそも、わたしが偉そうでなかったら、おまえがショックを受けるだろうに」

「…―――ふっちゃん、…。」

それはそうなんですけど、といっている篠原守と。

そんなことを偉そうにいっている藤沢紀志。

 少なくとも、もし、此の世界を誰かが空想したものだとしても。

 ―――すくなくとも、おれじゃないな、…―――。

世界が、何で出来ていても。

そして、現実が何か、わからないとしても。

それでも、それが理由だなんて、かなりとんでもないのだろうが。

「だから、これが理由だとしたらとんでもないんだろうけど。…」

極普通の大学生で、平凡に生きてきて。

就活も真面目にやる気が起きず、流されて月基地なんて処に勤めることになった。

「…そもそも、想像力の無いおれに、きみたちのような濃いキャラクターを想像できるとは思えない。だから、―――」

「失礼な」

「…ふっちゃん、ある意味、これこそ残酷な現実かと?」

「何をいう。おまえ、普段から、自分のことを普通だなどとほらを吹いているくせに」

睨む藤沢紀志に、篠原守が苦笑して。

「えー、だって、ぼく、極普通の人生を送って、ごくふつーの医者になるつもりですもん?篠原守、医者になりまーす!ぜったい、坊主にはなりません!家を継がない宣言をします!」

「どさくさに紛れてそういうことを宣言するな。大体、医者と坊主くらいなら、兼任してやれというんだ。そうたいしたことでもあるまい」

「…ふ、ふっちゃんって、無謀っ、…!だって、ぼく、今度受験生に変身するんですよ?受験生ですよ?難関、医大に挑戦するのですよ?それと坊主の修行が両立するわけないじゃないですかー!医者になったあとも、研修期間があるんですよ?六年ですよ?平均?院にいかなかったとしても、そーんな長いんですよ?修行なんて、いれるひまなんてありません!」

「いれろ。おまえは、唯でさえ、こいつのような幽霊を引き寄せる体質なんだぞ?いまだに祓うのはわたしまかせという他力本願をどうにかしろというんだ。わたしは、おまえ専用のお祓いマシンではない!」

「ひ、…ひどいっ、…ぼくという幼なじみとの絆をそんな風にいわなくてもっ、…ぼくだってね?すこしはね?幼稚園のときから反省はしてるんですよ?いつも、ふっちゃんに迷惑かけてるなーって、…だから、」

「…―――」

目の前で延々と繰り広げられる夫婦漫才。

 ―――これを、想像するのはおれには無理だな、絶対に。

おもわず醒めた視線で眺めながら、妙な確信をして苦笑していた。

 ――本当に、何で実感するのかというものだろうが?

あきれながらも、感心する。

篠原守のマシンガントークに、対して一歩も引かない藤沢紀志。

 ――いいコンビだ。

そういわれたら、否定するのか、怒るのか、―――…。

 あるいは、篠原守なら感動しそうだが、と。

反応を予測しながら、ふとおもう。

 日常を送るということは。

日々を送るときに、正気を疑わずにいられるのはただ、単純なことなのかもしれないと。

 正気かどうかの境目は、わかりなどしないものだけれど。

例えば、藤堂のいた世界では、当時百人に一人くらいの割合で統合失調症といわれる病が発症していた。好発年齢は、丁度、藤堂くらいの年齢が多い。青年期といわれるときに、多く発生するもののようだが。

 世界を正常に認識できなくなり、妄想と現実の区別がつかず、現実との齟齬が生活を困難にするという病だ。

 そうした妄想が生む世界であるのかを問われれば。

 わからない、というしかないが。

 そう、わからない。

 此処にいる己が妄想の産物なのかどうか。

 それでも、と。

 決めることはできるだろうと。

「だからね?ふっちゃん」

「なんだ、篠原」

いっている二人の会話を、本当に漫才のようだな、と思ってききながら。

 ――決めることはできる、とおもうのは唯の楽観だろうか。

此の世界が本当でも、そうでなくとも。

或いは、狂気のみせる夢だとしても。

 ――決めておこう。…

 それだけを。

 此の世界で生きるとしたら。

ふと、微笑んで二人の漫才を思わせる会話を眺めながら、藤堂はひっそりとひとつだけのことを決めていた。

 ―――ひとつだけは、決めておこう。

「篠原、…そういうが、わたしたちは夏休みなんだぞ?これ以上、こいつに付き合っていたら、宿題が終わらないだろうが」

「…―――そんな悲惨な現実を突きつけます?ふっちゃん?そもそも、おれは受験生に変身する努力中なんですから、もしとかもしとか、模試とかいう現実がこれからまっているんですけど?合格圏内まで、点数あげないといけないんですけど?」

「ちなみに、どの大学を受けるつもりだ。仏教大学の他に」

「…そこは受けたくありませんっ、…」

「あきらめろ。ご両親の霊をお慰めするつもりで、供養として受験してやれ。おまえが小学生の頃からの御二人の悲願だぞ?受験してやらずにどう供養するというんだ」

「だからね、…ふっちゃん、…―――。えーと、受ける予定の大学は、北里と、…」

「話を逸らすな」

「えーっ、全力でそらしたいですっ、…それに、そもそも受ける大学きいたのふっちゃんじゃないー!」

「それはそうだが」

二人のとまらない夫婦漫才をしみじみきいて。

 藤堂は思っていた。確信したに近いものがあるが。

 ――おれには無理だな。

この二人の会話をそもそも想像する糸口すらつかめない。

 ―――これを想像するのは、本当におれには無理だ。

そんなことで、世界の現実感を感じるというのも無体な話だが。

「うん、…――二人とも、それで、今夜はまた、泊めてもらえるのかな?」

微笑んで、苦笑しながらいう藤堂の言葉に、二人が同時に視線を振り向けてくるのを。

 本当に。

おかしみをもって、藤堂が迎える。

「頼んでもいいんだろうか?宿泊と、食事を。代価がまだ支払えないんだが」

いう藤堂に、大きく篠原守がうなずく。

「大丈夫!昨夜、姉ちゃんの気に入ったから!藤堂さんの食べっぷり!」

「…そ、そうなのか?」

おもわずひく藤堂に構わず、篠原守が力説する。

「うん!だって、藤堂さん納豆好きでしょ?そこが本当に姉貴の気に入ったから!あ、でも、姉貴は婚約者いるから、横恋慕はだめだよ?」

勢いよくいってから、急に心配そうな顔になっていう篠原守におもわずも笑みを堪える。

「…いや、…うん。わかった」

「よろしくね?」

 本当にこれは無理だと。

 篠原守も、藤沢紀志も。

 二人をおれが想像するなんて、絶対に無理だな、と。

 へんな方向性の確信がとてもあかるくて。

 ――まったくな、…。

 世界が、何で出来ていようとも。

 本当に、これまでいた世界が滅び。

 そうして、何の因果かこの世界に訪れたのだとしても。

 ―――おれは、…――。

 苦笑して、藤堂がみるのに、篠原守が。

「よし!じゃあさ、藤堂さん、焼き魚と豚汁とどっちがいい?」

「え、…。」

 ―――豚汁、…。焼き魚、…。

 本当に予測不可能だ、と。

「いや、…どちらでも、…食べさせてもらうんだから、まかせるよ」

「そう?じゃあ、姉ちゃんに好きなもの作ってっていってくるね」

篠原守がいそいで部屋を出て行くのを思わず見送る。

「どこへ?」

「ああ、電話を借りにだろう。此処は広すぎで基地局がなく圏外でな。不便なんだ」

藤沢紀志が解説して、それから藤堂を見る。

「おまえ、納得したのか?」

不思議そうに問う藤沢紀志に、苦笑してうなずく。

「納得というより、…――うやむやに、というところかな」

「そうか。…無理はするなよ?」

心配しているのか、かるく眉をよせていう藤沢に笑みを苦く零す。

「…しないようにはしたいな」

「そうだな。…心身の健康は大事なことだ。ともあれ、いまはそうだな、…あとは、いつまでも篠原の処でタダめしを食うわけにもいかないだろうからな。…おまえの就職を斡旋するのが、次のわたしたちの仕事か」

「…仕事なのか?」

うむ、と藤沢紀志がうなずく。

腕組みをして、考えるようにしながら藤沢紀志がいう。

「当然だな。こういうのは、最初の接触者が責任を負うと決まっている。それがルールだ。…高校生に仕事をさせるなとおもうが。まあ、仕方ない。このルールが定まった昔は、高校生という身分は存在しなかったからな、…―――。それにしても、大人がかわれといいたいんだが」

「だめなのか?」

藤沢紀志が藤堂を見返す。

「だめだな、いまはまだ。大きな失敗などをすれば、誰かが引き継いで替わるだろうが」

ため息をつき、藤沢紀志が続ける。

「夏休みに入っているのも大きいな。こうして仕事が入っても、授業があれば勘案されて、おまえの世話は他の者達がすることになっていただろうが」

あのぬらりひょんが差配してな、というのに、少しばかり同情する。

「すまないな、…―夏休みなのか、…そういえば、きみは受験は?」

「わたしか?」

藤堂の問いに藤沢紀志が答えようとした処で、篠原守が帰って来て。




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