「鳥の飛ばない天地の挟間」 34
鳥の飛ばない天地の挟間―――。
ただ、ひとりで。
世界を、…―――。
たった九日で滅んだ世界を。
最後に、月が落ちたあとに。
確かに、月の基地を出て、海辺に降りたと想ったのは現実だっただろうか?
藤堂は、他に誰もいない海辺に降りて。
鳥の飛ばない天地を見上げ、手を振っていた。
月に来るときに着ていたコートを着て、まるで唯、通常の帰還をしたというようにして。
薄い空をみあげて、手を振った。
誰も、いないのはわかっていたのだけれど、――――。
それが、…。
此方の藤沢紀志と篠原守に、…―――。
世界を越えて、つながり、見えたのは。
それは、何故のことだったのか、―――。
…世界が滅びるというとき、その世界とは何処までなのか?
鳥の飛ばない天地の挟間で。
手を振った。
誰もいないのはわかっていたのに。
本当に、それが出来ていたのかは。
月が落ちた衝撃で、果たして月から地表に降りることなど、叶ったろうか?
それは、唯藤堂がみた夢にすぎないのではないか?
それをいうなら、――――。
いまこのときまでも、…。
強い視線で見詰めてくる藤沢紀志と。
その傍らに肩に手を置いて立ち、藤沢を支えるように傍らにある篠原守。
二人と、出逢ったことさえも。
目を醒まし、よく要領のわからない説明を延々と受け。そして、無器用にだが、おそらくは気遣ってくれているのだと理解できる藤沢と。
その藤沢を支える篠原と。
昨夜食べた、納豆の味噌汁に炊きたての玄米ご飯と、かつお節ののった冷や奴に小口ネギ。
「…―――よもつへぐい、…か?」
苦笑して、藤堂が零した言葉に、藤沢紀志が眉をあげる。
「失礼な」
「でもまあ、ふっちゃん、…ある意味、此の世界の食べ物を食べるっていうのは、考えてみれば黄泉戸喫いにあたるのかもよ?」
篠原の言葉に藤沢が考えるように腕組みをする。
「…つまりは、あるいは確かにな、…その通りかもしれない。…此の世界を造る要素で出来ている食物を、異なる世界から来たおまえが食したということは、…―――。黄泉戸喫い、か、…。ぬかったな。そうして、混ざることで、帰還が叶わなくなったと捉えることもできるのか、…――」
考え出す藤沢紀志に篠原が。
「どうなんだろうね?ふっちゃん?」
「…わからんな、…――それこそ、管理官にきいてみたいものだ。滅多に現れはしないレアものだが、―――会いたいと思う相手でもないがな。それはともかく、藤堂」
視線を向けて、藤沢紀志が頭を下げる。
「…藤沢?」
「すまなかった。前言を撤回する。…おまえを滅することは既に出来そうにない。すまなかった、…」
謝る藤沢紀志に驚きながら藤堂がいう。
「それは、…謝ることか?」
顔をあげた藤沢紀志が。
「当然のことだ。わたしは、おまえを滅することが出来るかも知れないと、偽りの希望を述べたことになるからな?」
「…それは、…――希望か?」
滅する、それはつまり、死と同義だろう。
いや、或いは、死よりも完全に滅ぶということか。
藤堂の言葉に、藤沢が見返して、どこか不思議そうにいう。
「違うのか?…おまえ、他に誰もいないと知った月の基地で、月が落ちていくのを止められず過ごした九日間を、…―――。それを経たいまこのときを、現実と疑わずに過ごせているか?」
「…藤沢、」
つまる藤堂をみながら淡々という。
「おまえは、九日間の絶望を過ごした。わたしなら、御免被る九日間の絶望だ。いま此の世界に落ちてきて、どう解説を聞き、どう納得しようとした処で、これから先も、おまえには「現実を生きているのか?」という疑いをとく機会は訪れないだろう。…少なくとも、わたしには無理だ。それほど世界の仕組みを知らず、おまえに無理矢理、それこそ、ファンタジーの世界のように、異世界に転移とやらをしたことを、脳天気に納得させてやることがわたしにはできない」
哀しみを乗せるように、藤沢紀志がいうのは。
「やはり、わたしは説明が下手だし、世界の理を何もかも知っておまえに仕組みを式で教えてやることもできない。つまりは、納得できず、世界を移ることも、もとの世界が滅したことも、単純に呑み込むこともできない中で生きることは」
そっと、ためいきを藤沢紀志が吐く。
「とても、残酷な生き方だと、わたしはおもうぞ」
藤沢紀志の肩に置いた手を、篠原守が少し離してかるくたたく。
「…ふっちゃん、でもさ、悪いことばっかりじゃないよ?」
「何処がだ。わたしには理解しかねる。…」
「だってさ?納豆だってあるよ?この世界?」
いう篠原をあきれたように視線をあげて藤沢がみる。
「…おまえな?」
「大事なことだよ。ね?」
明るい視線を向けてくる篠原に、藤堂が言葉をなくして見返す。
絶望も、九日間の絶望も。
いま此処にあるという状態が、本当に現実なのかも、実は納得などできていない。それが事実で。
…そうなのだが。
「…納豆?」
泣き笑うように見返す藤堂に、篠原守がにっこりという。
「うん、大事でしょ?好きな食べ物が食べられるってさ?」
「それが、黄泉戸喫いでもか?」
篠原守がいやそうに眉を大きく寄せて藤沢をみる。
「あのね?ふっちゃん、…―――ひとが説法しようとしてるのに、水をささない!」
「何処が説法だ。おまえのは唯のやくたいもない戯れ言だろう」
「その通りですけどー。どうせぼく坊主にならないですからね?説法の下手さをいわれても全然響きません!ですけどね?一応ですね?生きていく上で大事なのはですね?」
「…――生きていく、…か?」
「藤堂」
ふざけているのか真面目か判別しがたい篠原守の言葉を切って、藤堂がいうのに藤沢が視線を向ける。
「さてな。別世界から来たおまえが、この世界で生きていくということが、本当はどういうことになるのかはわたしにはわからない。此の世界はそれを表現出来るほど科学が進んでもおらず、仕組みを説明するにもあまりにも理論構築が出来ていない。より高次元の存在なら、簡単に説明できる事象なのだろうが」
言葉を切り、残念そうに。
「世界を現わす式はまだないからな。数式で世界を現わすことができれば、納得もしやすいだろうが」
「ふっちゃん、…それはそーとは限らないとおもうんだけど」
「式で現せれば明瞭だろう」
「…いやその、それと世界がどうとかを納得するのはまた別っていうか?」
思わず聞きながら篠原守に同意してしまいつつ藤堂が何かいうまえに。
「それをいうなら、そもそも、わたしたちが正気かどうかについて、そもそもの問題として、藤堂が疑念を持っても仕方ないというものだろう?理論もきちんと示せずに、唯比喩とうろんな世界を現わす仕組みなどを説明しているわたしたちは、本当に正気か?」
藤沢の問いに篠原が天をみあげる。
「それいっちゃ、もういろいろと面倒でしょう?」
「だが、根本的な問題だぞ?そもそも、異界から此方にきたとして、それを呑み込むのも、此の世界が本当にあると認めることも、こうして、怪しい説明をしているわたしたちを、正気かと疑う方が、―――」
「でもさ、それって大変じゃない?自分が正気かどうかもわからなくて、相手の正気も疑うのってつかれますよ?」
「…だからこその、ファンタジーでの省略なのかもしれないな。物語を楽しむ為に、その世界に入り込む前に延々と正気かどうか悩んでなどいたら、物語が始まらないからな?」
「ま、そこは否定しませんけど?というか、お話として楽しむ限りには、異世界に来ました、でも、そのことについては悩みません!ってしておいて、定型処理していないと、時間かかるからねえ、…。冒険が始まらないじゃん?」
「合理的な選択というわけか」
「ある意味ね?」
「そこで葛藤がない為に、物語に入り込めないこともあることだろうがな?」
「ありそうだけどね?まあ、そういう定型文だと思って楽しむのがルールみたいな感じじゃない?ま、それはともかくさ」
篠原守と藤沢紀志が視線を藤堂に向ける。
「勿論、わたしたちの正気を疑ってもらってもいいのだが」
「…―――それは、…きみたちの言い分ではないけれど、…つかれそうだ」
苦笑して藤堂がいうのに、藤沢紀志が咎めるようにみる。
「あきらめるな。そうして妥協してもいいことはないぞ?」
「…ふっちゃん、…スパルタすぎ」
「何処がだ。そもそも、わたしには不得手な説明から、がんばっているだろうに」
「それはそーですけど、…まあさ、藤堂さん」
「はい」
見返す藤堂に篠原守がしずかにいう。
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