「鳥の飛ばない天地の挟間」30
「ファンタジーか、…なにかは知りませんけど、おれは、…――月が落ちて、世界が無くなって、――…。わけがわからなくて、そもそも、おれはまだ月で夢を見ているんじゃないかとか、――。此処はどこで、あなたたちは何か、おれがこうしていることを当り前のように何かいってますけど、…。そんなことは、もう、だから、…―――」
何を続けていいのか、混乱しながら藤堂がいう。
「そもそも、おれは月になんていったんだろうか、とか、そもそも、月基地でまだテストを受けている最中なんじゃないかとか、ストレス耐性を計る為に、…--
だから、こんな」
冷静な藤沢紀志の声が響く。
「此の世界にいることが信じられないか。」
「…そんなの、当り前だろう、…!」
初めて怒って、思い切り声を出していったことに戸惑って、藤堂が絶句して言葉を切る。その前で、ふむ、とひとつうなずいて。
「無論、それが正常な反応だ。物語のように、簡単に適応されては寝覚めが悪い。座りが悪い、か。正しくいえば」
「座り、…?」
「そう、すわりが悪いんだ。何の疑問も持たず、この世界に落ちたことを理解するなど、管理官と同じ類いの種族でもなければ有り得ないことだからな。…藤堂」
「…なに、を、――管理官?そもそも世界に落ちるって、」
「落ちるというのは比喩だ。おまえのいた世界から、おまえはこの世界に落ちてきた。移動してきたことになるが、単に移動では同じ事象平面の中での移動と区分けがつかない。だから、言葉を言い換えているだけのことだ。落下というのが座りがまだいい方の言葉にはなるからな、――。まあ、これは本当は別に新しく言葉を誰かに造語してほしいくらいのものだが」
「遺伝子とか、そういう類い?」
「まあそうだな。的確に現象を表せる言葉がない。これは確かに不自由なことだからな。…といっても、それほど頻繁にある事象ではないから、言葉で名付けようがないといえばそうなんだが」
難しく考えるようにしていう藤沢に、篠原守が、そっとためいきを。
「ふっちゃん、…。それ考え出したら深いからやめて。そもそも、こーいう事象に名前とか、普通に使われる専用動詞とかあるくらいはかどってたら、ぼくがいやです。…そんな事象が頻繁に起こってる世界なんて、ぼくはいや」
「現実をみろ」
「――――…拒否してもいい?」
「しても、現実はかわらんぞ?」
「…―――現実の交差点、異世界とか異界とか、かくり世とか、冥界とか、黄泉の世界とか、そういう道筋と交わりやすい位置に、この世界があるからいけないんだけどね?」
がっくりとうなだれる篠原守に、容赦なく藤沢が追い打ちをかける。
「その上、おまえの寺はそうした事象の焦点となる位置に存在するからな?月が落ちてきても当然というものだ。その上で、こんなものが落ちてきてもな」
「…ひ、ひどいっ、…そんな現実なんて、僕認めたくありません!いいもん、ぼく、坊主になんてぜっ、たいならずに、うちなんて継がずに医者になるんだから!ノーモア!男女差別!男だって、坊主になんてなりたくないっ、…!」
「わけのわからない標語を混ぜるな。」
「うっ、…。ふっちゃん、非情の黙示録、…――」
「おまえがそうだから、わたしはいつも巻き込まれて苦労するんだ。そもそも、いい加減、寺に生まれたことはあきらめて受入れろ。」
「いやですって!」
抗議する篠原守に藤沢紀志が留めをさす。
「おまえ、今回も「仏の慈悲」とやらを発動して、この藤堂をわたしに滅ぼさせずに世界に受入れさせたろう。…―――そもそもが間違っている。おまえのように、生まれたときから磁場ともいえる、異界を引きつける場に育ち、引きつける場を持ったまま垂れ流しで普段も生活しているくせに、後始末をひとに任せようなどと言語道断だ」
怒りが微かに真剣で。
その藤沢紀志と篠原守を見比べて、思わず藤堂はくちにしてしまいそうになり、――。
自制することに成功していた。
つまり、そう。
一連の騒動、というか。
自身に何が起こっているのかはいまだ理解の外で、それにしても。
こうした異変といえる出来事が起きているのは何だか。
…―――藤沢紀志の方が、…―――。
「どうした、藤堂?」
何かをかぎつけたのか、藤沢紀志が剣呑な視線で藤堂をみていう。何がどうなってどうなのかまったく理解の外にあるのだが。それでも。
それでも、色々な騒動の中心が篠原守の方だというのは意外だと、―――。
事実が何処にあって、何がどうなっていようとも。
「…なんでも、――うん、だから、つまり、」
「はっきりいえ」
藤沢紀志の方が、中心ではないのか、とは。
言葉に出さずに済んだ自身の反射神経に思わず藤堂は感謝して。
それから。
「―――…つまりは、こうしてるのも正気なのか疑っている方が、普通だと?」
苦いものを呑みながら。もし、そうして疑いながら生きるとしたら、それはけして楽なことではなくて。むしろ、物語の中にあるようにしてわすれていられたら。
もしかしたら、物語の中で異世界転移とかなんとかいう状況で登場人物が己の正気を一ミリも疑わないとしたら。
それは、正気を保つ為の方策でもあるのかもしれない、と。
おもいながら。
――まるで、でも。すでに、月が落ちたとかいうときから。
耐性を計る為のテストから目覚めたあのときから。
悪夢の中にいるような、…――。
おのれの正気を常にうたがうことだけは、確実な、…その日々が。
「勿論だ。それは、常に現実だといわれているこの世界だけを生きている存在であろうと同じことだぞ?すべては量子のみている夢だと。あるいは、唯偶然に互いに干渉しあう量子のぶつかりあいが、偶然に常に世界を無数に生み出し続け、枝分かれした世界がこの瞬間にも生まれ続けている。その中で」
しずかに、藤沢紀志が藤堂をみて続ける。
「理論としては、それはすでに単なる事実だ。それを思えば、昨日のわたしはすでにいま此処にいるわたしと同一では有り得ない。」
「…―――」
「すでにおまえは此の世界に干渉した。その干渉は相互となるから、おまえはすでにこの世界を抜け出る値をもってはいない。…――要は、重力があり、簡単にひとが地表から脱出できないように、ひとつの世界という理に呑み込まれれば、単なるひとという単位の生命体であれば、けして、簡単に場を離れることができないということだ」
「だからさー、ふっちゃん、此の世界での常識っていうか、…表向きはまだ全然判明してないことになってるあれこれも、当然の背景として語っちゃだめでしょ?ふっちゃん」
「いいじゃないか。藤堂は理系だろう。だったら、多次元宇宙や量子論関連くらい、常識として知っているだろうに。それを背景として話をして何が悪い」
「わるいです、ふっちゃん。大体が同じようにみえてもね?この藤堂さんのいた世界と、おれたちの住む世界の物理法則とか、全部同じとは限らないんだよ?…――まあさ、実際は、似たような範囲であるからこそ、こうして、拭き溜まりのような位置にあるこの世界に吹き寄せられてくるんだけどね?極端に違うと、そもそもこっちに吹き飛ばされてこないけどね?」
「つまりは、そういうことだろう。量子力学に素粒子論と、最新の動向くらい、常に把握していて当然だろう。物理法則が近い世界なら、把握している内容も」
「ふっちゃん、それは違います。理系だからって、全員、素粒子物理学とか、専攻してるわけじゃありません。ジャンル違いでしょ?大体?」
「そうなのか?」
不思議そうな顔をして首をひねる藤沢紀志。
「納得していないとはおもうけど、そうなの。」
首を傾げつつ、藤沢紀志がいう。
「…―――おまえの好きな、滝岡先生などは、医者の上に、人工知能の開発と、先日は、休憩時間にお話させていただいたんだが、…実に美しい世界をあらわす数式を教えていただいてな、…」
ふと、和んだようにして藤沢紀志が微笑む。
「御本人は大したことではないと認識しておられたが、わたしが数学のフォーラムに報告しておいた。これで、数ヶ月以内には、世紀の発見ということで数学界が沸立つぞ?」
ふふふ、と何かを企む顔で藤沢紀志が実にうれしそうに微笑んでいう。
それに、真剣に篠原守がくやしがって。
「…滝岡先生、と、―――。ふっちゃん、ずるい、…」
「いっていろ。あの数式は美しかった。この混乱した世界を美しくひとつの秩序におさめて守ることの出来る可能性を、あの式からは感じた。…――まあ、つまりだ。」
かなり脱線した話を戻す気持ちがあるのか、藤沢紀志がかるく藤堂にいう。
「世界を理解する数式の話や、量子の話くらい、理系なら確実に理解できるだろう?」
本当にかるく、それが当り前だと。
そんな風にいわれて、藤堂は。―――
――いや、それはない、と。
理系だからといって、全員が素粒子論や最新の宇宙論や量子力学の最新の発展などを把握しているとは思ってほしくない、と。
かなり真面目に、そうおもって。
そうして、説明していたのである。
つまり、―――。
できれば、今後の説明やいまの状況に関する説明は。
「―――文系に語るようにして、わかるように説明してほしい」
と、真剣に頼んでいたのである。…―――
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