「鳥の飛ばない天地の挟間」29
かくして。
「はじめまして、藤堂さん。お話は伺っておりますよ」
にこやかに微笑む老紳士、―――橿原と名をいうらしいが、―――のもとに、藤堂が連れて行かれたのは本当に翌日だった。
こんなことでいいのかと考えてしまうが。
考えてしまう藤堂の思考はどうやら表情にそのまま出てしまっていたものか。
緑豊かな本堂から寺の庭を経て。
黒塗りの車が境内に迎えに来ていたという、もと居た世界から考えれば非現実的なシチュエーションに困惑しながら、藤堂は無表情な藤沢紀志と困った顔で天を仰ぐ篠原守の二人に付き添われて、こうして古い洋館に、非常識に広い敷地を持つ美しくも荘厳な気配さえみせる歴史を背負っているような洋館に案内されて。
それから、絨毯もアンティークな室内に通された後、この得体の知れない老紳士の前に連れてこられていたのだ。
「一体、その、…―――どこから、話を、…」
我ながらはっきりしない物言いだと思いながら、藤堂が橿原というらしい老紳士に向き合って訊ねる。それに、完爾と橿原が微笑んで。
「あら、疑問をもつのは良い傾向ですね。それだけもとの世界を憶えてらっしゃるということですしね?」
「その通り。元の世界をきちんと憶えているかどうかは、或る意味、今後の一生を左右する事柄だからな。憶えていないのがわるいわけではないが、それで、時折、記憶が暴走してとんでもない事態を引き起こす連中もいる。それに比べれば、知っていて記憶を保持することで対処を自身で出来るとしたら、極上というものだ」
「…―――ふっちゃん、…。それは期待値高過ぎってものでは?」
いくらなんでもさ、とくちを挟む篠原守の言動に、或る意味藤堂は敏感になっている。そう、こちら、で意識を取り戻して以降、篠原守の言動は、特に藤沢紀志のとんでもない行動力を伴った発言に或る意味ブレーキをかけてくれている大事な存在だと気がついたからだ。
…つかざるを得ない色々が、あれから一晩という短い時間でもあったのだが。…
それはともかく。
藤堂が注意する前で、篠原守がいっている。
「ふっちゃん、―――。自身で対処っ、ていうのは高等技レベルすぎですよ?期待しすぎはつぶれちゃうからいけません。」
「…そうか?こちらで対処せずにすめば、面倒がなくていいんだが」
「―――でたー、ふっちゃんの面倒がり、ふっちゃんって、無表情、冷静、行動の総てが計画的っ、ていう風にみえて、実は一ミリも計画なんてするつもりないもんね?記憶の保持だって、色々混乱するんだから、そこまで期待しちゃいけませんってば」
「あら、そうおっしゃってくれるということは、篠原さんが、この方の面倒をみてくださいますの?」
「…―――それは、」
篠原が何か言い掛ける前に。
「勿論だ。面倒なことはこの篠原が請け負う。わたしが約束しよう」
「…――ふっちゃん、いま未来の野望大計画に従って、ぼくのこと簡単に売り渡しませんでした?」
「したな」
一瞬のためらいもなく云い切る藤沢紀志に篠原守が天を仰ぐ。
「いいんですけどね、…。ぼく、ふっちゃんの下僕ですし、―――――。けどさあ、ぼく、これでも受験生に変身する予定なんですよ?日本で大学を受験して、医師国家試験を受けて研修医になって滝岡総合病院に配属勝ち取って、それからそのまま就職して生きていくっていう壮大な夢計画があるんですけど?」
「そうすればいい。別に邪魔しないぞ?」
隣りに立つ藤沢紀志が、何の感慨もなく淡々というのに、篠原が、よよよ、とくちからハンカチを引き絞ってなげいてみせて。
「あら、篠原くんのそのお芝居はずいぶんと久し振りにみますねえ、…。」
「そうだろうな。しばらく、こちらとは縁が無かった。そのまま縁を遠ざけておきたかったものだが」
「でも、ぼくはいまでもあの滝岡総合病院の院長職に就いておりますからね?あなたたちが研修医としてきても、縁が近くなることにはならないのかしら?」
「大丈夫、おまえは元々、殆ど滝岡総合病院には来ていないだろう?他の仕事に遊び歩いて、随分と印象は悪いらしいじゃないか。―――あの病院に勤務することになっても、このぬらりひょんと縁が強くなるわけではない。安心しろ、藤堂」
「――…え?おれ、…?」
おもわずも間抜けな顔で藤堂が突然会話を振ってきた藤沢紀志にいう。
ここまで、碌な説明もなく、謎の人物である橿原と、謎の広大な敷地の洋館に広いまるで公園、いや、森か何かのような庭に連れてこられて。
説明のない会話を延々と続けられていたのだが。
無表情に藤沢紀志が振り向いていう。
「勿論、おまえだ。わたしたちが貴重な夏休みの一日を消費して、こうして付き添っているのは、おまえをこの窓口に引き合わせて、データ収集と登録を行わせて、今後の身の振り方をある程度決める為だ。昨夜から説明しているだろう」
「―――ええ、と。」
「まあさ、混乱して当然っていうか、おれたちも全然ちゃんとした説明とかはしていないし。でもさ、物語とかだったら、こう、突然、異世界とか別世界に行っちゃってても、全然動揺せずに、異世界転移だとかいって、割とお気楽に適応していってたりしてない?そういうの無理?」
藤堂が応える前にくちを挟む篠原に、あきれた顔で藤沢が見返し諭すようにいう。
「いいか、篠原。そういうファンタジーな物語世界があることは知っている。色々と物語が語られていることもな。しかし、実際に、そんなに疑問も持たず、それまでの世界と意識が地続きで、それまでに知っていたゲームの世界とかやらにいることになどなったと知ったとしてだ」
「うん?ふっちゃん」
軽く藤沢が首を振る。
「―――それで現実かどうか悩みもせず平然と適応していたとしたら、それは殆ど正気ではないぞ?精神異常を起こして、実は本体は病院のベッドの上とか、意識が戻ってはいないが夢の世界――つまりは、己の脳内で展開されている「異世界」の中に精神が閉じ込められてしまっているといった状態にあるのではないかと、少しは考えるのが普通というものだろう。それが」
「ふっちゃん、…」
「精神の異常を疑いもせず、異世界に――どうやら、その多くはそうなる以前に知っていた物語や、ゲームの中に入り込むという設定のようだが――に、矛盾なく疑問を抱かず適応するとしたら、それこそが精神異常だ。多くの場合、そうした異常が精神に引き起こされている最中には、脳は異常を認識できないものだからな」
そもそも、異常な状態にある脳に、正常かどうかうたがうこと事態が無理ということになるのだが、と。
そういう藤沢に、篠原守が嘆いてみせる。
「…ふっちゃん、ーーーそんな、ファンタジー全否定、異世界転生とかそういう楽しい物語をぜーんぶ一気に醒めた現実に照らし合わせて一刀両断に切り捨てなくても?物語なんだから、面白ければそれでいいんだよ?」
「だからだな。…現実と物語は違う。物語で異界に落ちたものが特に何の障害もなくその異界に適応しようとかまわないが」
「…うんうん、ふっちゃん、…?」
冷徹な眸が何をみているのか。
「それ、を此の世界でされては困る。迷惑だ。そもそも、そうした夢喰いのものたちの世界には、己の殻にだけ閉じ籠もっていてくれればいいものを、稀に、いや、…――最近では割と頻繁に、夢喰いが己の殻を保つ為に、他の世界を侵食しようとする事例が出ている。あれらは、非情に迷惑だ。」
云い切る藤沢紀志に篠原守が天を仰ぐ。
「きれーな組子細工ですねえ、…。伝統工芸?」
「その通りです。間が持たないときに、数なんて数えてみるといいんですよ?色が違う木を細工で組み合わせてあるでしょう?ですから、あれをひとつずつ数えたりして」
「…――ぼくがわるかったです、橿原先生、…。藤堂さんのことはうちで面倒みますから。」
「あら、おわかりになっていただけたかしら」
にこやかにいう橿原に、がっくりとうなだれている篠原守。
藤堂は、おもわずもわけがわからないままに発言していた。
「つまり、―――よくはわかりませんが、おれは、…――。疑っていないというなら、そうなのかもしれませんよ?」
唐突に切羽詰まった顔でいう藤堂に、無言で藤沢紀志が視線を向ける。
篠原守も、あるいは言葉をいま受けている立場の橿原も、大きなデスクの前に座り、両手を机の上に組んで見あげながら。
三者三様に、藤堂がとうとうくちをひらかずにいられなくなって。
切羽詰まって云い出したようすを、或る意味冷静に観察されているのだと気付かずに。
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