「鳥の飛ばない天地の挟間」21
17 月に人の住まない世界で
「月の空隙に身を留めて、おまえは知りたかったはずだ。取り残されたのがおのれだけなのかどうか。世界はどうなったのか?―――おまえの、その月に人の住む世界で。鳥の飛ばない天地の挟間で。」
18 藤沢紀志
「大人がちゃんと仕事をしろ。高校生に頼るな」
あまりにも当然で真っ当な藤沢紀志の言葉に反論は無い。
当然すぎる言葉で、…―――。
二月十一日、世界は滅んでいた。
19 月の落ちない世界で
其の筺、が取り戻されたのは、暫く前のことになる。
否、むしろ「筺」が奪われていたこと自体が大きな禍であり、これらの騒動を引き起こした一因であったといえるのかもしれない。―――
尤も、それを騒動で済まされれば納得処か承服など何をもってしてもできないと、諾えないという者達こそが存在するだろうが。
「月の落ちない世界」において、「筺」が救われたのは、本当に危うい処であったのだが。
いずれにせよ、その影響が及ばぬ訳もなく、――――。
つまりは。
「大人がちゃんと仕事をしろ。高校生に頼るな」
藤沢紀志がそう言葉にするのを。冷淡な表情で、寺の境内に立ち。
白く巨大な月が幻の如く青空に浮かぶ境内で。
夏の蝉が鳴く、豊かな緑と風の吹く世界で。
藤沢紀志が、横をみて微かに眉をひそめ、実に嫌そうにいう。
「まったく、大人がちゃんと仕事をしないから、こういうことになる」
嘆息して、足許を見るのは。右脚元の近く、つまり地面に転がる大人といえそうな年齢の青年をみて。
藤堂と、名を確かいった。
その人物が、気を失って倒れているのを。
篠原守も、仰天して言葉もなく倒れた人物と藤沢紀志を見比べているのを。
昼日中、非常識にも程があるというものだ、と。
無表情に見える中にも薄く顰めた眉に軽いあきれと嫌悪を隠さずに。
その視線を倒れている人物にあたえている藤沢紀志に、篠原守が。
ようやく、言葉に出せていたのだ。
「…ふ、ふっちゃん?…あの?その、あの、…?」
無言で見返す藤沢をみて。
それから、倒れている人物を。
「ど、どうなってるのー?僕が、おれが、おトイレにいって、庭に出てるふっちゃんにはやく追いつく為に、いそいで廊下を走ってきた間にっ、…!そんな隙間時間に、何がどうしちゃったっていうの、…?!」
おれの神経もたないよ?本当に!という篠原を冷たく藤沢紀志がみて。
「持つだろう、当然だが」
「あ、ふっちゃん、突っ込むのがそこ、…?!」
「当然だな」
「あのー!あの!でもあの!…こ、これっ!」
藤沢の冷たい反応にもめげずに、あらためて必死の表情で篠原が地面を指さす。
倒れ伏している、気絶してるらしき人物を指さして。
「ふっちゃん!…ぼく、状況確認したいんですけど!どうして、僕がほんの一瞬、
目を離した隙に、月はそのままだったりするのに!どうして!」
訴える篠原の声が、大きな声になっているのは仕方が無いことだろう。
「…これは、どうみても、月にいらした幽霊の藤堂さんっ、…!そうとしかみえないんですけど、ふっちゃん!何がどうしたの…!」
必死の面持ちですがるようにいう篠原守に。
あっさりと、藤沢紀志は応えていた。
「知らん。私が外へ出て、おまえを待っている間に空を仰いでいたら」
「そらを、あおいでたら、…?」
ふう、と藤沢紀志が息を吐く。
視線を、うっとおしそうに倒れる人物に向けて。
「こいつが振り向いて、視線が合った」
「…し、視線、あっちゃったんだ、…?」
「あったな」
「そ、それで?」
「それだけだ」
「…―――――」
無言で、篠原が倒れている青年を見る。
何処からどう見ても、死体ではなく生きているように見える青年だ。
…―――知らなかったことにしたい、…。
篠原守が一瞬考える。
「唯の、行旅死亡人届けということで、…成仏してもらって、…」
「実体を持つ上に、生きているようにみえるが」
「…ふ、ふっちゃん、人が見ないでいようとした事実をっ、…」
篠原の呟きに、藤沢が非情にあっさりと否定をかける。
困り切ったように倒れている青年にしゃがみこんで、篠原が迷うようにして手を伸ばそうかとして宙にとめて。
「…ここで脈を計っちゃったら負けな気がする、…」
「正常にみえるが、自発呼吸もあるようだぞ?」
「…う、ふっちゃん、―――」
「見捨てるのか?」
「…ふ、ふっちゃん、…――!」
「医者を目指しているときいたが、それはウソか?」
藤沢紀志の指摘に、がっくりと篠原守がうなだれる。
「…坊主として処分したい、…――あ、いや、成仏していただいて、…」
「だから、その姿勢は医師としてはどうなのかと訊いている。おまえが、医者にならずに坊主になるというのならそれでもいいのかもしれんが」
「…いきなり、進路相談の適性調査ですか、…?」
涙目で篠原がいって、あきらめて大きく目を閉じて息を吐く。
「もううっ、…――――!ふっちゃんのばか――――!!!!!」
いいながら、篠原守が。
そっ、とゆびさきを。
倒れている青年の首筋に、…そっと。
そして、がっくりとうなだれる。
「…―――みゃく、…脈あり、…生きてる、…なんで、…?」
「生者になったということか。面倒だな」
「…ひ、酷いっ、生きてるひとに面倒だなんてっ、…!」
振り仰いでいう篠原守に、藤沢紀志が淡々という。
「他に事実があるか?月は現れたまま、この元幽霊は非常識なことに、実体化していまは生体としか思えん。どう始末する」
「…えっと、それいまぼくにききます?ふっちゃん?」
息をして倒れている青年――己の足許に倒れている相手を淡々とした視線に収めて。
「他に誰に訊く?篠原。おまえ以外に?」
「…―――」
涙目で見あげる篠原守に、あきれを隠さずに。
「だから、先に始末をしておけといったんだ。幽霊でもなくなれば、どう始末をつければいいか、おまえに知識はあるか?」
「…そ、それをいわれるとっ、…」
生者になっちゃったら、成仏できない、…?と。
思わずも茫然と呟く篠原守を見返して。
「どうみても、これは先に実体がなかったはずの藤堂とかいう奴だからな。…先に私が、これを滅することを止めたのはおまえだ、篠原守」
「…う、正論を、…ありがとう、ふっちゃん」
涙目からもう泣きそうな篠原を冷淡にみる。
「で、どうする気だ?生きているものを祓う法は私にはないぞ?」
「えーっ、ないの?ふっちゃん?」
「あるわけがなかろう。この事態をどうするつもりだ」
目の前には、意識なく倒れている藤堂らしき青年。
そして。
「その上、あの月はまだ消えていない。…これが幽体であったときに同時に始末をつけていなかった以上、最早方策はない」
「…ないってそんな」
「おまえはどうする?篠原?」
藤沢紀志が冷徹な視線を向ける先にあるのは、白い月だ。
巨大すぎる姿を覗けば、青い空に白く普段見える月と同じにみえる。
…―――否。
「…う、動いた、…?!」
篠原守が緊張して、空を仰ぐ。
振動が、震えが空を伝わる、…――――。
月が、…。
「う、動いてきてる、…こっちに、…!?」
篠原が咄嗟に藤沢紀志の腕を手につかむ。
肘を捉えた篠原の手に、冷淡に藤沢が視線を向ける。
足下には意識を失った藤堂らしき青年。
頭上には、月。―――
「落ちてくるか、月らしく」
薄く微笑む藤沢紀志に。
思わず、睨むように泣きそうな視線を向けて、篠原守が叫んでいた。
「な、何いってるの、ふっちゃん―――!?」
突然動き出した月に、暗黒と、大きな地面を震わせる、…―――。
「落ちてくるのが月らしいなんて、何でそんなこというの、―――!」
月が、落ちてきていた。
その距離にあったなら、当然そうなるであろうという。
大気が震え、月が大気圏に突入して、地表に被害を与え、さらに。
落下する月が容赦なく総ての地表にある生命を奪っていくと。
生命は生存を赦されず、月の落下に地球は。
月が落ちてきていた。―――
かれらの上に。
月が。
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