後輩勇者

 それからまたひと月が経って、街にとある男が現れた。


「あの、すみません。ミハエルさんのお家は何処でしょうか」

「え、……お、俺?」

「はい」


 俺は立ち止まり、しばし男と見つめ合った。

 こざっぱりとしたYシャツにジーンズ。学生だろうか、小柄な体躯をしている。垂れた長めの横髪が犬の耳のようで、つぶらな瞳は誠実そうだ。

 とはいえ何かがおかしい。この男は先程、ミハエルの家の在り処を訊いた。しかしここはミハエル宅の裏の川辺である。

「……」

 俺は逃げ道を考えた。そもそも道端で他人に話しかけられた経験など、職務質問くらいしかない。

 男はそんな俺の心中を察したのか、眉を下げて微笑んだ。

「急にお声がけしてすみません。驚かせてしまいましたよね。あなたの身体から探し人の魔力の残滓を感じたもので、つい」

 そう言って男が手首を軽く振ると、薄く緑がかった光の粒子がたちまち集まり、小さな板を形作った。そこには大きく『勇者No.24 ピノ』とある。


「申し遅れました。私は勇者のピノです」


 俺は目の前でスマートに一礼する男の丸い頭を、信じられないものを見る目で見つめた。


 まず『勇者』とは、『勇者ライセンス』を持つ者の総称である。

 こう一口に言ってしまえば簡単だが、そのライセンスの取得がとんでもなく難しい。体力や技術だけでなく、知力、魔力、志までも厳しく審査される。そして、そのすべての項目で最高評価を取ったほんの少数者だけが、『勇者』と名乗ることを許される。いわばエリート中のエリート。雲の上の存在なのである。

 こんな市街ですんなりとお見かけできるものではない。しかしピノは—―勇者は実際にここにいる。


 このとき、件の男も勇者であることをすっかり忘れ去っていた俺は、ミハエルの未来を心から案じながら、小柄な勇者様の案内人となった。仕方がない。いくら鮫人間だって、高位の人間は怖い。


 ミハエルの家の玄関扉をくぐる一瞬、ほんの一瞬だけピノさんの指がひくりと跳ねたので、俺はそこでやっと、この家に本物の魔法がかかっていたことに気がついた。    

 この世界では魔法を感知できる者すらほんの一握りだ。





 ピノさんはリビングのソファ(イマイが腐心して綺麗にした)に促されるまま腰掛けながら、お名前を、と俺に言った。

「あ、イマイ、です」

「イマイさんですね。こちら菓子折りです」

「ありがとうございます」

 ピノさんはイマイを家主と同等の権力を持っている者だと認識したらしい。なんのためらいもなくミハエル宛の菓子折りを譲渡し、やけに豪華な作りの紙袋をそのお菓子の缶に添え、なにかにお役立てくださいとのたまった。まともな大人だ。ちゃんとした人だ。

 俺は恐々としていた。こんな人間に出会ってしまったら、万が一怒られなんてしたら、きっとあのニートの輪郭は崩れて空を舞い、一瞬のそよ風となってしまうだろう。

 大きなクッキー缶を抱きしめた。実は王室御用達の高級クッキーだったらしいのだが、俗世に疎い俺が知るはずもない。


「あの、じゃあちょっと、ミハエル呼んできますね」

「ぜひ」


 俺は常に優しい人間であることを目指している。こういう場合は、早めに死刑宣告をしてやることこそが優しさなのかもしれない。駆け足で廊下を進むと、壊す勢いで風呂場の扉を叩いた。家に入ってからずっと流れ続けていた水音がようやく止む。

「おいミハエル! 速報! お前死ぬぞ!」

 ミハエルは洗面所から不機嫌そうに応対した。

「イマイぃ、風呂上がりの保湿くらい待てないのか? ああそうか君は風呂になんて入らなそうだもんね」

 俺はすっと身を翻し、リビングへと戻った。




「すみませんうざいんで呼ぶの辞めました」

「わかりました」

 ピノさんは特に困りも呆れもせず、俺の出した粗茶を上品に啜っていた。まるで自分が家主であるかのようなくつろぎようだ。

 俺はといえば、初対面の、しかも有能そうな勇者の隣に腰掛ける気になれず、手持ち無沙汰に立っていた。


 ピノさんはふと口に出した。

「イマイさんは……ミハエルさんの何をされている方ですか?」

 俺は客人の急なアクションにびくりと体を震わせ、おずおずと答えた。

「えっと、ハウ……」

 はた、と気づく。待てよ。弟子志望である俺が、ハウスキーパーなんて自称してしまっていいのか。確かにやっていることは家事手伝いに他ならないが、ここでそう答えてしまったら、自分で自分の意思を潰すことになる気がする。

 俺は濁りなき志で答えを変えた。

「弟子志望です」


 ッドゴラバダム。


 ピノさんは事切れたトカゲみたいに後ろに倒れた。どっしりとしたソファを予備動作無しに倒すとは、見かけによらず凄いパワーである。背後のフローリングを綺麗にしていてよかった。ピノさんといいミハエルといい、勇者は定期的にこういうふうに倒れておく必要があるのだろうか。


 ピノさんは寝転んだまま、まんまるの目を限界まで大きくして俺を見つめた。

 それから透き通るような白い炎を掌に出現させ、俺に翳した。それは一瞬にして青く塗り替わる。不思議だ、炎のくせに熱くなさそうだ。

 勇者はそれを苦々しく眺めながら言った。

「嘘ではないんですね」

 この炎はどうやら嘘発見器のような魔法らしい。

 俺は苦笑いをした。そんなにミハエルに弟子がつくのがおかしいか。おかしいんだろうな。

「イマイさん、ちなみに弟子というのは」

「戦い方を教えてもらって、一緒に冒険に出て、ゆくゆくは魔王を倒して……みたいな」

「そうですよね」

 ピノさんはソファを片手で元に戻しながら、一転して歯切れ悪く喋った。

「イマイさん、誰かに師事を仰ぐのは良いと思いますが、そのう、ちょっと、今のあの人は。あまりよろしくないというか」

「それは俺も薄々感じてます」

「悪いことは言いません、自分の感覚を信じましょう」


 その時、廊下に繋がる扉が弾けるように開いた。

「ねぇちょっとイマイ! 僕の電動歯ブラシ勝手に捨てたでしょ!? あれまだ全然使えたのに—―」


 ピノさんと生乾きのミハエル、二対の目がかち合う。

「……」

「お久しぶりですミハエルさん。あなた、弟子なんてとれるんですか?」

 ミハエルは池の魚よろしくぽかんと口を開けてから、扉に吸い込まれるように戻っていった。

 俺とピノさんは顔を見合わせた。ダサい。ダサすぎる。しかし庇ってやるつもりはまるでなかった。ミハエルがどんなに恥を重ねようが、イマイにとっては些事だ。


「じゃ、もっかい呼んできます」

「お願いします」

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