『ゴミ屋敷』
「いや違うだろ!」
感動の再会から3日後。
自分の思いが軽くあしらわれたことにやっと気がついた俺は、混沌としたミハエル宅にまたもや土足で上がり込み、喚いた。それを目撃した引きこもり勇者は綺麗な海老反りを披露した。
「な、ななななな、何で見破ったの!?」
「はあ?」
「だって、だって魔法の強度を上げたのに!」
ミハエルは体全体をソファにべっとり貼り付け、顔だけを上げた間抜けな姿で、上擦った声を上げる。
俺は哀れな勇者さまを見下げるのをやめて、部屋の中をしばらく見渡した。そうしてやっとゴテゴテとした装飾たちが一部変化していることに思い至る。そういえば前回、家全体に人間の入ってこられない術をかけているとかなんとか言っていた気がする。どうやらミハエルなりに試行錯誤して、あらゆる他者、もといイマイをこの家から遠ざけんとしていたらしい。
しかし実際はこの通り、何の問題もなかった。
俺はうんざりして言った。
「だから俺は人間じゃねぇんだって。効かないつったってしょうがねえだろ」
「人間じゃなくても効果があるようにしたんだって! ああもう完璧だったはずなのに! この3日間をそれだけに費やしたのに! 魔法の腕が鈍ったのは知っていたけれど、まさか中級魔術すらも使えなくなっているなんて想定外だ最悪だ!」
「うっせえ、魔法かける暇あんなら働けよニート」
あーあもう駄目だお終いだ。誰も僕を愛さない。
そんな言葉を幽霊のように垂れ流しながら、ミハエルはソファにうつ伏せになり死んだふりをした。そんなことをしていて他人に愛されると本気で思っているのだろうか。甚だ疑問である。
俺は利口なので、そのままじっとミハエルの次のアクションを待った。しかしなかなか勇者は起き上がらない。……まさかと思って口元に手のひらを近づけると、緩やかな空気の流れがあった。
ミハエルは、眠っていた。
「……」
黙って手を体側に戻し、立ち尽くした。これは、一般に気絶と呼ばれるものではないだろうか。医者に診せるべきか。はたまた何か飲ませるべきか。いや、この男は頑丈なのだから—―などとごちゃごちゃ考えながら、こめかみを揉む。俺を弟子にとらない本当の理由を聞こうと思って訪れたのだけれど、これでは話し合いなど到底無理だろう。この男の警戒心が終わっていることだけがよく分かった。過去に人体救助のレクチャーを受けた経験を活かし、軽く脈拍や呼吸、血色、瞼の裏の血管などを調べてみたところ、単なる寝不足のようだった。おそらくこのまま寝かせておくのが最善だ。
ということで俺は、この家を掃除することにした。
何も突飛なことではない。初めから気になっていたのだ。どうして纏めたゴミを出さないのか。どうして大量の荷物を床に置いているのか。どうしてペットボトルの飲み残しを片付けないのか。どうして床の埃を放置していられるのか。俺は潔癖では無いけれど、日々の簡単な手順を踏みさえすれば清潔を保つことが出来るのに、それを怠る人間の心理は全く理解できない。
俺は腕まくりをすると、いつも携帯している黒い小さなポシェットからタオルを取り出し口元に巻いて、ゴム手袋—―はなかったので素手で、まずは散乱した家具の整理から始めた。
この家を『ゴミ屋敷』として商標登録したい気分になった。これほどの酷さならば、ゴミ屋敷代表としてどこに出しても恥ずかしくない。掃けば掃くほど、整えれば整えるほど、拭えば拭うほど救いようのなさが分かった。床の7割を占めていた荷物たちは行き場がないので庭に出した。どうやらミハエルはあらゆる不衛生物質とお友達になりたいらしい。気の触れた趣味である。
初めは気が付かなかったが、廊下の中腹に階段があった。どうせ2階にもコレが広がっているのだろうとげんなりしつつ、ゴミや装飾を避けに避けてなんとか階段を登る。
「なんだこれ」
しかし2階はがらんとして、まるで典型的な夜逃げの後のようだった。とは言え家具を運び込んだ形跡もないので、どうやら本当に使用していないだけらしい。金持ちは偶にこういう勿体ないことをする。俺はため息をつきながら細かい埃を取った。行き場のない可哀想な荷物たちは、この空間に運び込んでしまうのがいいだろう。
片付けがあらかた終わったので、リビングで一息つくことにした。ミハエルはイマイがどれだけ騒音を立てても、全く変わらず同じ体制で眠っていた。寝首をかかれても気が付かなそうな男の姿に言いようのない不安を覚え、ついとそばに寄る。
—―このまま死んでしまうのではないか。
勇者のだらりと垂れ下がった手をそっと握った。皮が隆起し分厚くなった、過酷な訓練を積んできた者の手だった。
俺は鮮烈だったあの日を懐かしみながら、勇者を変えたこの3年についてしばらく考えた。当然、それらしい答えは出なかった。
*
勇者ミハエルが目覚めたとき、俺は洗面所で断捨離をしていた。当然無許可であるが、古びた石鹸や使い捨てのリンスを何十個も放置している方が悪い。よって俺は悪くない。
ミハエルは俺のもとへスキップでもするように駆け込んできた。
「君、聞いてくれ! よく考えたら分かった、この術は、一度家の在り処を知ってしまった者に対しては効果が無いんだ! いやーこんなに簡単なことがどうして分からなかったんだろう、取り乱してすまなかったね、君は—―」
ミハエルは不意に口上を辞め、視線をふらふらと動かした。それから覚束ない足取りで家中を見て回った。俺は慌てて男を追いかけた。放っておいたら何をしでかすか分からない。
ミハエルは廊下、キッチン、リビング、客間を通り、玄関まで辿り着くと急にイマイを振り返った。その瞳が、前回とは異なるふうにキラキラとしている。
「君は家事ができるのか」
ああやってしまった。
重苦しい後悔の念が俺の脳を駆け巡った。確かに俺は家事ができる。そしてこの男は家事ができない。できないというのもおこがましいくらい家事能力が無い。でも、しかし、だからと言って家事をする義理は俺にはなく、今回のコレは気まぐれに過ぎないのであって。
ミハエルはにっこり笑ってこう言った。
「そういえば聞いていなかった、君の名前は?」
「……イマイ……」
「イマイ、お願いだ。定期的にこの家の家事をしてくれ! 心配いらない、僕には腐る程金があるから、賃金は保証しよう」
「……っこの、働け!」
頭がおかしくなるかと思った。そもそも俺にハウスキーパーの経験などないし、金にも困っていない。
しかし断りきれず、週3でこの家に通い詰めることを決めてしまったのだった。あーあ。
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