第5話 蜜の宮公園 【一】
土曜日、朝の六時。風が吹き抜ける改札口の前で、わたしは一人ベンチに座っていた。
咲良くんとの待ち合わせ場所である蜜の宮駅は、蜜の宮線という三駅しかない路線の終点であり、海に浮かぶ人工島にある。
改札口とその周りは整然と、そして広々としていた。蜜の宮公園のすぐ近くに大きなライブホールやイベント会場があるため、週末は多くの人がこの駅を訪れる。数多の人間による大移動が行われる故、通路の幅も広くなっているというわけだ。
蜜の宮公園は改札を出て少し歩いた所にある。この公園も、ライブやイベントがある日は、待ち合わせや物々交換などで人が溢れる場所となっている。
そして、カスミが殺されたのもここだ。調べたところによると、カスミたちプリンスリーも何度か近くのホールでライブを行っていたようだ。
けれどライブもない事件当日に、何故カスミはこの公園にいたのだろう。ネットの記事では『平日の夜、一人でいたところを何者かに刺された』としか書かれていなかった。
咲良くんに聞けば、もう少し何かわかるだろうか――と思案しているうちに、ホームからぽつぽつと人が現れ始めた。
その中に、目立つピンク髪の男の子が一人。
「お、いたいた。おはよーございまーす」
咲良くんはわたしを見つけると大股で歩いてきた。声が大きいせいで同じ電車で降りてきた人たちがこっちを見てるけど、咲良くんは特段気にした様子はなく「朝早うですんません。あ、アメちゃんたべます?」とブドウ味の飴を一つくれた。
派手な髪色にインナーカラー、ピアスはつけているものの、彼の格好はいたってシンプルだった。動きやすさを重視したシャツとズボンで、靴はピンク。
もしかするとピンクが好きなのかもしれないな……などと考えていると、咲良くんが歩き出したのでついていく。
公園は駅の目と鼻の先にあった。レンガが敷き詰められた広場の中心に大きな噴水があり、その周りをベンチと街路灯が一周するよう設置されている。それ以外は遊具などは見当たらず、本当に待ち合わせのためだけにある公園、といった感想だ。
「流石にこんな朝早くだと誰もいないね」
「ここも昼からはフリーマーケットの人らでいっぱいになるらしいから驚きやな。さ、誰か来る前にさっさと行くで」
噴水の裏手に回ると、舗装された道が更に奥へと伸びていた。そこを歩いていくのかと思いきや、咲良くんは舗道を逸れて街路灯の合間から、草が生い茂る中を迷いなく進んでいく。
朝露に濡れる葉を掻き分けて進むと、海に面した小さな場所に出た。
街路灯の下に一つのベンチと手摺があるだけの僅かな空間。数十メートルほど離れた先に見える対岸には二棟の白い建物がある。この公園とあちらの建物はこの島の河口部に面しているようだ。
先ほど通ってきた道なき道を思えば、駅から来た人間がここに辿り着くのは中々難しいだろう。
噴水とはまた違う、海が揺らぐ音。それがとても心地良く、普段の喧騒も忘れてしまうほどに穏やかだ。
けれど、外界から遮断されたこの空間は、どこか寂寞な雰囲気もあった。
「……静かなところだね」
ここに居たいけれど、ずっとここには居たくない。落ち着くけれど寂しい……そんな矛盾した気持ちが声に表れてしまった気がする。咲良くんは気にする様子もなく、否定も肯定もしなかった。
彼の目は海を眺めているようで、しかし違うのだろうと思った。もうここには居ない、誰かの幻影を見つめているのだ。
「――香澄はここで死んだんや」
咲良くんはショルダーバッグから飴玉の入った袋を取り出し、ベンチの上に置いた。わたしにくれた飴玉とは違うイチゴ味の飴玉だった。おそらくはこれが手向けの品なのだろう。
「このメーカーの、それもイチゴ味がめっちゃ好きやってん。なんでそんな好きなんかって聞いたらな、あいつめっちゃ恥ずかしいことぬかしおって。
……弟から初めて貰ったものやから、嬉しくてずっと食べてたら好きになってもたやって。ほんま、アホやろ? 他の味も食べろって何度も言うたやんか……」
わたしは彼の独白を黙って聞いていた。徐々に声が小さくなり、肩が震え出す。痛ましい姿に胸が締め付けられる。
出会って数日しか経っていないけれど、咲良くんは「とにかく兄の死の真相を知りたい」という思いが一番であり、それに突き動かされているのだと思っていた。勿論その思いも本当なのだろうが、兄への想いは確かに彼の中にあって、今でも消えることのない炎として彼の心を燃やしている。
わたしは咲良くんにハンカチを差し出した。彼はぎこちなくそれを受け取る。
「ねえ、咲良くん」
「……なんや」
「良かったら聞かせてくれないかな。あなたのお兄さんのこと」
わたしが調べてきたのはアイドルとしてのカスミだ。普通の人間としての香澄は一体どのような人物だったのか。
「……この前も言うたかと思うけど、厳密には従兄やねん。あいつがおれの兄になったのは、ほんの一年前のこと。おれたち家族が関西から東京に引っ越してきてすぐのことやった」
ベンチに座り、飴玉の袋を抱えながら。
咲良くんは、兄との想い出を語り始める。
*
『さくら、今日は家族が増える大事な日やから、寄り道せずに帰ってきなさい』
昼休みに母から届いたメールを見て、咲良は首を傾げた。まさか、ペットショップで犬でも買って来たのだろうか。思い切りの良いあの母なら有り得るで……と、言われた通り真っ直ぐ家に帰ったら。
一歳年上の人間――兄が増えていた。
「今日からあんたの兄になる香澄くんや」
「香澄、といいます。……よろしくお願いします、咲良さん」
茶室で正座していたのは、黒髪黒目のいかにも真面目そうな男だった。
咲良はどこかで見た顔だな、と顔を顰める。
クソ暑い夏だと言うのに、男のワイシャツのボタンは一つも開いていない。もっと言えば汗もかいていないし、すました顔で扇風機に煽られている。自分の友達にはいないタイプ。一体どこで会ったのだろう。
「何してんの、あんたもはよ挨拶しなさいな。といっても初めましてちゃうんやけど」
「はあ? 記憶にないで」
「あんたが年始の集まりにまともに参加せんからや」
「年始……? ああ、あの本家のしょーもない飲み会け」
椿の一族は年末年始、本家に集まって宴会を開くこととなっている。咲良は両親と共に幼い頃からその会に呼ばれていた。かったるいのですぐに抜け出して庭で遊んだりしていたが。
「っ痛って! 何すんねんおかん!」
「ほんまのことでも言うたらあかんことがあるやろ!」
母にど突かれる咲良を見て、男はその端正な顔を綻ばせた。
「すみません。そこまではっきり言われると面白いなと」
「あんたもつまんないと思てたんか?」
あの会は実際のところ、小さな社交界そのものだった。大人の皆が本家に媚を売り、金の話で大層盛り上がる薄気味悪い催し。ある程度の年齢があればその汚い話に交じって頷きマシーンになる子供もいただろうが、出てくる豪勢な料理に夢中か、咲良のようにそもそも参加しない子供が大半だった。
ぱっと見たところ、香澄は前者の人間に見えるので記憶にないのだろうか。
咲良の問いに、香澄は自嘲ぎみに笑う。
「はい。ですがそんなこと、口が裂けても言えませんでしたよ。かつては椿香澄として……次期当主として、会を取り仕切っていたこともありましたけれどね」
「次期当主って……あの爺さんの息子なんか!」
椿グループ会長、椿紳一郎。新年の挨拶がクソほど長い堅苦しそうなジジイ。
巨大なグループのボスである初老の男は、思い返してみれば確かに父に似ている。
そうか、どこかで見た顔というのは、従兄で自分に似ているからそう思ったのだろうか……とも考えたが、どうもしっくり来ない。
「あんたはほんま……堪忍な、香澄くん。あたしらは新年の集まりにしか参加せんかったから、この子は自分に従兄がおるって知らんかったんよ」
初めて知った。じゃあ父はめちゃくちゃ偉い人じゃないか。だって当主の兄弟なんだから。
香澄の向かいに座る父は、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「あんな兄が嫌いだったから家を出たんだ。――香澄くんもそうなんだろう?」
香澄は目を見開いた後、静かに微笑みをたたえる。
「……はい。僕は当主の座を捨てました。勘当されたんです」
次期当主だった実の息子を勘当、とは穏やかな話ではない。何故、と聞く前に香澄は話を続ける。
「僕にはやりたいことがあったんです。それをやりたいなら家を出ていけ、と言われたのでそうしました」
頭の固そうに見えるこの男は案外思い切りが良いらしい。咲良は香澄に対する認識を、融通の利かなそうな奴から話が頑固やけど筋は通しそうな奴に改めた。
「それからは叔母の元で暮らしていました。けれど先月彼女は亡くなって……叔母は良い人でした。あの母の妹だとは思えないくらいに」
両親に勘当された香澄を育ててくれた叔母。その彼女も亡くなって遠方に飛ばされかけた香澄を父が引き取ったというわけだ。
「伯父様のおかげです。何とか東京を離れなくてすみました」
「何、ちょうど警視庁に異動になったからタイミングが良かったのさ。香澄くん、このバカタレ坊主に勉強を見てやってくれ」
そう言って父は二人の息子を抱き寄せて笑う。すかさず母がスマホで写真を撮り出す。咲良はいつものことなのでされるがままだったが、普通の家庭に慣れていないであろう香澄はたじろいでいた。
「と言っても。業界で椿の名は使えないんだっけか?」
「……はい、そういう約束ですので」
「兄貴とはほぼ縁を切っているとはいえ、うちはまだ椿姓だしなぁ」
「なら名字はあたしの旧姓を使ったらええよ」
「それがいいな」
淡々と進む会話に咲良は訝む。業界、とは何の業界だろう。
「叔母様、ありがとうございます。高校……と言っても後少しで卒業ですが。その間は柊の姓を名乗らせていただきますね」
「ちょお待って。業界って何? あんたまだ高校生やのに働いてんの?」
一人ついていけない咲良は父を剥がしながら尋ねた。
「さくら、まだ気づいてへんの? 香澄くんはな……」
「ちょうど今から始まるんだったな。母さんテレビをつけてくれ」
母がスイッチを入れる。
始まっていたのは歌番組だ。煌びやかなネオンのステージ上で、司会者が高らかに手を振り上げる。
『続いては、今話題のアイドルたちの登場です!』
歓声と共に現れたのは三人の少年。そのうちの一人は、まさしく。
――ああ、そっか。どこかで見たことあるって思ったのは……。
自分に少し似ているのでも、家の催しですれ違ったのでもない。
『プリンスリーのカスミです。本日はどうぞ、よろしくお願いします』
テレビの中で、スポットライトを浴びて輝くその姿を、咲良は日常的に見ていたのだ、と気づいた。
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