第4話 疑惑

 連絡先を交換し、さっそく明日にでも行こうかという話に頷きかけた時、ふとスマホのロック画面を見て気づく。


「明日は金曜日だよ。学校は?」

「普通に授業やけど」

「じゃあ土曜日にしようか」

「え、別に休んでもええよ」


 あっけからんと言う咲良くんに流されそうになったけど、はっとして首を振った。

 やっと動き始めた兄の死の真相を早く追いたい気持ちはよくわかる。けど、蜜の宮公園に行くのは咲良くんのためというより、カスミの事件を知らないわたしのための方が大きい。何かを得られる確証もない調査に学生生活を奪われてはいけないだろう。


「よくないでしょ……そういえば、あなた何年生?」


 腕をつきだして「三!」と笑顔で言うので「余計にだめじゃない」と突っ込んでしまう。


「大丈夫やて。指定校決まってんねん」

「指定校なら尚更。教師にはまだ良い顔しておいた方がいいと思う」


 万が一不祥事を起こせば指定校は取り消される。わたしの学年にも一人いたし、彼女はショックで退学までしてしまった。

 頑として譲らない態度に折れたらしい咲良くんは「……へーい」とだけ呟き、少し不貞腐れつつも駅まで送ってくれた。

 階段を登る前に振り返り、頭で腕を組んでいた彼に告げる。


「じゃあ土曜日の朝に。それまでわたしも、カスミくんの事件を調べておくから」


 咲良くんは目を見開き、腕を下ろして姿勢を正すと、人混みの中綺麗な礼をした。階段を登りきって見下ろした時も、彼はまだ頭を下げ続けていた。



 家に着いたのは九時よりも少し前だった。かじかむ手で鍵を開けて中に入る。

 どっと疲れが押し寄せてくる。へたり込みそうになるのを耐えながら明かりをつけた。

 部屋には誰もいない。

 いや、もう誰もいなくなった、というべきか。


『おかえり、レナちゃん』


 人が一番初めに忘れるのは声だというけれど、二ヶ月経てども彼女の声は色褪せない。それはいつでも鮮明にわたしの鼓膜に蘇る。


          *


 ダリアは決して夜のシフトを入れなかった。わたしがバイトから帰ってくると出迎えてくれて、温かなご飯を用意してくれた。


「私がやりたいことだからいいんだよ。レナちゃんのただいまに、おかえりって返してあげたいの」


 ダリアの両親は共働きで、遅くまで帰ってこなかったため、彼女と弟は自分たちで家事をしていたという。


「カルロはね、いつも私のご飯が美味しい、美味しいって言ってくれて。それが嬉しくて、食事はずっと私が作ってたの」


 実際、ダリアの料理は唸るほど美味しかった。一緒に暮らし始めてからも彼女の厚意に甘えて、家事などは大分任せきりになっていたと思う。


「弟さんのこと大好きだったんだね。ちょっと妬けちゃうかも」


 これを幼い頃から食べていたであろう弟が羨ましい、と言うとダリアは微笑した。


「……うん。大好きだったよ。イタリアに帰ったらまた、食べさせてあげようと思ってるの」


 ……ああ、今にして思えば。

 ダリアの料理を――ううん、それだけじゃない。彼女の存在全てを。

 もっとよく見つめて、もっと深く愛していれば……こんな思い出に浸るような、辛い思いをしなくて済んだのだろうか。


          *


 夕食は摂ったつもりだったけど、どうにもお腹が空いた。以前は水すら受け付けなかった身体が、喫茶店でのオムライスを皮切りに食の優先順位を上げたらしく、せっせと腹の音を鳴らしてくる。

 けれど、自分のために料理をする気にはなれない。帰りに寄ったスーパーの惣菜を食べ終えると、ごみ袋が散乱するリビングを見回した。

 散らかしたのは自分だが、中々の荒れっぷりに困惑を抑えきれない。


「……片付けよう」


 本当は帰ってすぐにパソコンを触りたかったけど、どうせ心の準備に時間がかかるだろうから、その間に片付けを済ませることにした。



 粗方綺麗になったところで、机の上にノートパソコンを置いた。

 久々に電源を入れられたパソコンの起動は遅い。募る気持ちが抑えきれず、視線は右往左往する。ヴォン、という音ともにそれが立ち上がると、すぐさまインターネットを起動する。


『カスミ アイドル』


 短いワードで記事がヒットした。

 トップは予想通り、彼が殺害されたという事件だった。下につけられた関連動画にはニュース番組が発信しているものがいくつもあり、当然ながら地上波でも大々的に取り上げたのだろうと窺われる。


「人気急上昇中のアイドル、無念の死……」


 何かの映画の舞台挨拶用に撮られたとおぼしき写真に写るカスミは、髪色は違うけどやはり咲良くんに少し似ていた。

 小一時間調べてわかったのは次の通り。

 カスミが所属していたのは【プリンスリー】というグループで、メンバーはリオウ、ミカゲ、カスミの三人。三人の王子様というコンセプトで、それぞれ○○プリンスという二つ名を持っている。

 カスミは【オネスティプリンス】……誠実な王子様。その名に相応しく、常に礼儀正しく、何事にも一生懸命な男の子だった。最年少の十九歳で、他の二人には後輩として大層可愛がられていたようだ。

 マイクをしっかり握り締め、観客に向かって手を伸ばして微笑む写真の中のカスミ。真剣な眼差しがカメラを、そしてファンを射抜いた。

 その可愛さとかっこよさ、凛々しさのギャップが、多くの者の心を掴んだのだろう。

 ツブヤキッターやエンスタでは彼の死を惜しむ声が多く上がっていた。カスミを失ったプリンスリーは、彼が亡くなってから一ヶ月後に解散を発表したようだ。

 記者たちの前で頭を下げる、残りのメンバー二人の動画を再生しようとして、やめた。その二人の様子はあまりにも、見ていられないほど憔悴していると思ったから。ダリアを失くしたあの日のわたしのように。


 ネットを閉じてエクスプローラーを開く。

 そしてわたしは、あのデータにマウスを持っていった。

 名前は【Diario】……ダリアの秘密の日記。更新日は彼女が亡くなる前日だった。


『これは誰も見ちゃだめなの。私と私の交換日記だから。家族も書いてることは知ってるけど、見せたことはないの』

『……でも、その時が来たら、レナちゃんだけは見ていいよ』

『パスワードは……いずれわかるわ。恥ずかしいけど、貴女には私のことを知っていてほしいから』


 いずれわかると言われたパスワードは、未だわからずじまいだ。


「……ダリア。日記、勝手に見てごめん」


 他人の秘密に触れることへの抵抗感。それが親しい人間ならば尚更だ。けれどもダリアはわたしに「見てもいい」と言ってくれたのだから……と自分に言い聞かせてキーボードに指を置く。


『パスワードを入力してください。※数字四桁』

「安直に、誕生日とか」


 ダリアの誕生日である「0522」を試す。開かない。


「……なんか恥ずかしいけど、わたしのか……?」


 わたしの誕生日「0207」でも、残念ながらうんともすんとも言わない。


「いや、知ってたけどね別に。日記までわたしのことを想ってパスワードをつけてくれてるとか自意識過剰すぎるし、無いとは思ってたけど一応ね?」


 こうなったら手当たり次第にいくしかない、と意気込んで様々な数字を試してみる。

 それでもやはり、電子の扉は一向に開く気配がない。


「ダリア、いずれわかるんじゃなかったの」


 誰かに自分のことを知ってもらいたい――そう思っていたのなら、本当に自分だけにしかわからないパスワードはつけないはずだ。加えて今ではなく、いずれわかると彼女は言っていた。

 ならば、いずれとはいつなのか。それは、ダリアが日記をつけられなくなった、今ではないのだろうか。

 つまりは……【日記を見てもいい時】が【彼女が死んだ時】を指すのではないだろうか。


「……まさか」


 嫌な想像が頭に入り込んでくる。

 それはあまりにも結論ありきの憶測で、そしてあまりにも悪趣味な妄想だ。


『なんでその花なん?』


 たとえば。

 ダリアが自らの死を予期していて。

 いずれわたしが【答え】に辿り着くことを、ダリアが願っていたとしたら?

 そのために、カスミソウとツバキの花を持って死んだ――?

 ……そんなわけない、カスミの本名がわかったのは咲良くんと出会ったからで、それも偶然にすぎない。いくらなんでも考えすぎだ。

 ――なのに、何故。


『ごめんね、レナちゃん』


 今、あの言葉が浮かんでくるの。


「……」

『パスワードを入力してください』


 カスミの誕生日は、六月九日。

 少しの葛藤があった。呼吸が速くなる、速くなる、心臓が重く脈打つ。


「……でも、わたしは……知りたいの」


 ダリアの最期を、誰が彼女を殺したのかを。

 意を決して、先ほど調べたばかりの0609を打ち込んだ。



『パスワードが違います。あと5回でロックされます』



 無意識に息を止めていたらしい。再びパスワード入力画面に戻ったディスプレイを見て、脱力し背中から倒れ込んだ。

 ――考えすぎだよね。

 咲良くんは、花の名を持つ二人の死は偶然ではないと言っていたが、まだ彼らに何らかの関係があったと決まったわけではないのだ。

 安堵したのも束の間、結局のところパスワードはわからずじまいであり、しかもあと五回間違えたら開けられなくなってしまう。これ以上の無闇矢鱈な入力はできない。

 時計は零時を回ろうとしていた。

 ともかく、明後日咲良くんと共に、カスミの事件現場に向かえば、何かわかるかもしれない。

 ベッドに潜り込んだわたしの脳裏には、やはりダリアの声が過っていた。


『ごめんね、レナちゃん。――でも、これだけは信じて。

 私は本当に、貴女を愛していたよ』

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