第3話 喫茶店【オクターブ】
ピンク髪の男の子――ツバキくんに連れられて訪れたのは、歩道橋から二駅離れた町のちょっと寂れた商店街。夕飯時にもかかわらず人通りは少なく、通行人の靴音だけが淋しく響いている。
……立ち話もなんやし、ちょいと店で話そかーという彼にほいほいついてきてしまったが、時間が経つにつれ不安が強くなってきた。
どこに向かっているかぐらいは聞いてもいいだろうか、と口を開きかけた時、ツバキくんは立ち止まってその看板を指差した。
「ここや」
古ぼけた看板には『クターブ』と書かれていた。
「オの部分が禿げ上がってもてんねん。オクターブ。音楽のあれや」
小さく呟いたのを聞かれていたらしい。よく見ると、看板には五線譜らしき五つの線と、足の生えたデフォルメチックな音符が下から上へジャンプする様子が描かれている。可愛らしいオクターブの表し方だ。
看板のすぐ下にある扉には「Closed」の木札が掛かっている。にも関わらずツバキくんは颯爽と扉を開けた。
「赤城さん。おるか?」
喫茶店特有の、扉を開けた時カランコロンと鳴る音が響いた。
「あの、店もう閉まってるんじゃ」
「ええからええから。そこのソファにでも座っとき」
言われるがまま、大きな赤いソファにおずおずと腰を下ろす。
店内はまさにアンティークを体現したかのような、昭和の喫茶店といった感じだった。今はもう見かけない黒電話が置いてあったりして、珍しさに思わず周りを見回してしまう。
「知り合いの店なの?」
「正確に言えば親父の、やね。秘密の会話すんならここがええねん」
……そう言われると、なんか悪いことをしてる気分になってくる。別に聞かれても困るようなことじゃないとは思うけど、かといってファミレスなどで事件の話をするのは気が引けるのも確かだ。
そうしているうちに、カウンターの奥から「はいはい」と言う声が聞こえてきた。
「坊ちゃま、お待たせしました。……おや、そちらの方は?」
現れたのは、すごく綺麗な女の人だった。女優だと言われても驚かないくらいの。キリッとした眉とゆるい垂れ目、切り揃えられた短髪の組み合わせがイケメンさを醸し出している。わたしと同じくらいの身長なのにすごくかっこいい。
わたしはすぐさまソファから立ち上がって一礼した。それに彼女はにこりと微笑みを返してくれる。
「ちょっとな。奥の部屋、借りてくで」
先ほどから赤城さん、という人はずっと朗らかな笑顔を絶やさない。その丁寧な口調や坊ちゃまという呼び方は、マスターというより執事の方がしっくりくる。
「ええ。どうぞごゆっくり」
「おおきに」
まるで我が家のように闊歩するツバキくんを追いかけて、店の奥へと進んでいく。
突き当たりまで来たところで、左手にあった壁がスライドし、小さな個室が現れた。
「すごい。引き戸になってたんだ」
「なんかスパイ映画みたいでワクワクするやろ。おれも親父に初めて連れてこられた時はびっくりしたわ」
……この子のお父さん、一体何者なんだろうか。
「もう晩御飯の時間やし、お腹空いてへんか。話を聞かせてもらうお礼と言ってはなんやけど、何でも頼んでくれてええよ」
「お金ならあるから大丈夫、ありがとうございます」
流石に高校生に奢ってもらうのも申し訳ないので断るが、彼は「さよけ」と言うだけであっけからんとしている。歩道橋では敬語が少々混じっていたけれど、ここに来てからは完全にフランクな感じで話しかけてくるのでちょっと戸惑う。
渡されたメニューの中から一番安いオムライスを選んで、赤城さんにオーダーする。持ってきてくれたお冷やを少し飲んだ後、手持ち無沙汰にしているツバキくんに話しかけた。
「あの……さっきはごめんなさい。いきなり怒鳴ったりして」
「いや、こっちこそすんまへん。人が亡くなっとういうのに不謹慎やった。……やっと見つけた手がかりやったから、つい昂ってもて」
――ダリアが死の間際抱えていたカスミソウとツバキの花束。そして彼の兄の名は、ツバキカスミ。ダリアを持って死んだ男の子。
ツバキくんはきっと、砂漠を彷徨い歩く思いで事件を調査してきたのだろう。そして彼にとってあの花束は、単なる偶然として片付けられなかった。わたしがもし、ただ落ち込むだけではなくて意欲的に動いていたら。きっと彼と同じようにしただろうと思う。
ツバキくんは鞄からメモ帳を取り出し、力強い筆圧でしっかりと名前を書いた。
「改めて自己紹介します。ツバキサクラ。椿は漢字一文字。サクラは咲くに良しで咲良。ちなみにカスミはこう」
椿香澄。どちらも花の名前ではあるが、漢字そのままではないらしい。
「わたしは百合乃レナ。えっと、どうぞよろしく?」
「よろしゅうたのんます」
「……いきなり本題とは逸れるけど。あなたは関西出身なの?」
「生まれも育ちも兵庫やけど、一年前にこっち来たばかりやねん。標準語も話せるけどまあ、アイデンティティやと思って気にせんといて」
適当な雑談をしていると、オムライスが二つ運ばれてきた。スプーンとピッチャーを置いた後、赤城さんは丁寧な礼をして戸を閉ざす。
出来立てのオムライスは見るからに美味しそうだった。ふわふわの半熟卵と、酸味の効いたケチャップライスがよく合っていて、心とお腹に染み渡る。ダリアの料理に勝るとも劣らぬ美味しさだった。久しぶりのまともな食事に感動したわたしは、オムライスをあっという間に平らげてしまった。
「美味いやろ、赤城さんのオムライス。おれもこれが好きやねん」
スプーンを置いたと同時に咲良くんをみると、彼もちょうど食べ終えたところだった。
彼はケチャップを紙ナプキンで拭うと「ほな――本題に入りましょか」と言って腕を組んだ。
「直球に言うけど。ダリアさんは香澄と付き合うてたんやろうか」
「ぶっ……!」
お冷やを吹き出す。
なんでそうなる。いや、普通に考えればそうなるのか……?
「だって香澄の本名知っとるのはただのファンやあらへんよ」
「ファン? ファンクラブとかでもあったの?」
咲良くんは驚いたようにわたしを見た。
「おねーさん、あんまテレビとか見ぃひん人? カスミのニュースで話題は持ちきりやったで」
「……少なくともここ二ヶ月は見てなかったかな。というか、カスミくんって有名人だったんだ」
そんな精神状態ではなかったのが真実だけど。
咲良くんはスマホを操作してわたしに画面を差し出した。
「……『人気アイドル【プリンスリー】のメンバーカスミ、殺害される』……これって」
流石にその顔には見覚えがあった。流行には疎く、最近人気のアイドルグループの小さい子、という認識でしかなかったが。
改めて咲良くんの顔をまじまじと眺める。たしかに、よく見ると二人は似ているかも。
「ついでにいうと椿グループ会長の息子でもある」
「椿製薬とか、椿食品とかやってるあの?」
「せや。……いい忘れとったけど、おれは会長の子やなくてその弟の子。厳密には香澄とは従兄弟になる」
開いた口が塞がらない。つまり、香澄という男の子は今話題のアイドルかつ、家が金持ちの御曹司だってことだ。
そんなすごい人が、一般人のダリアとの接点を持てるものだろうか。
「椿グループの子だっていうのはともかく、アイドルだったのならファンでもおかしくはない、ような」
と自分で言いながら、一緒に住んでいたのだからダリアにそんなアイドルのファンであるような素振りがなかったことは知っていた。ダリアはあの日記のこと以外は非常にあけすけで、寝室にも入れてくれたし宅配便も中身を教えてくれていたのだ。ダリアがカスミのファンだった、ということはない……はずだ。
「ただカスミソウだけやったら疑わへん。けれどあいつが椿の人間やいうことは、ほんまに一部の人間しか知らんかった。
あの花の組み合わせは、重大な秘密の証なんよ」
どうもカスミは両親に芸能界入りを反対されていたらしく、椿グループの跡取りを蹴って縁切りしてまでアイドルを続けていたらしい。
故に椿という苗字は秘匿され、椿香澄という本名を知る人物は限られていた、と。
そして――その秘密をダリアは知っていた?
「ダリアさんは香澄と何かしらの関係があった。その可能性が高い思てる。二人が殺された理由もそこにあるんやないか」
同日に死んだ二人は、お互いが犯人になり得ない。
けれどそこに原因があると考える方が自然だ。
「……あなたはどこでダリアのことを知ったの?」
わたしが問うと咲良くんは肩を竦めた。
「あいつが死んでから二ヶ月。警察は捜査を続けてるみたいやけど、遺族いうても一般人に情報は教えてくれへん。正直手詰まりやった。やから最終手段、ここら辺の花屋を手当たり次第に回っててんけど……まあ何もなくて。諦めて帰ろか〜て時に、折角やからあいつとおんなじ名前の花買って供えたろおもて。したら店員さんが言うたんよ。『あなたもダリアちゃんの所に行くの』ってな」
わたしのほんの少し後に咲良くんは店に来た。それで彼は店員からダリアのことを聞き出し、歩道橋に辿り着いたというわけか。
それはまさしく青天の霹靂だった、と咲良くんは言った。
「やっぱあれや、刑事ドラマとかでよく聞くやん? 調べもんする時は足で探すっちゅうのが大事なんやって。おれもそれを実感したわ」
考えてばかりよりも、実際に行動してみる。それが思わぬ糸を引き当てて、知りたいものに辿り着けるのかもしれない。
わたしは一気にお冷やを飲み干した。
「咲良くん。香澄くんが亡くなった場所はどこかな」
わたしも知りたい。辿り着きたい。
――ダリアの死の向こう側に。
咲良くんは待ってました、と言わんばかりに勘定札を手に取った。
「ほんなら、行ってみよか。――蜜の宮公園に」
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