第2話 花束
その花屋は国道の表通りに面している。こぢんまりとしているけれど、窮屈さを感じさせないすっきりとした店内で、店員のお姉さんはいつものように花に水をやっていた。
彼女は入店してきたわたしを見つけるなり、濡れた手をエプロンで拭いながら駆け寄ってくる。
「あら? レナちゃんじゃない!」
「お久しぶりです」
「最近見ないから少し心配してたのよ。……今日もダリアちゃんのところへ?」
「はい。……これで、最後にしようと思ってます」
わたしは何度も何度もこの花屋に通い、同じ花を買い続けた。ダリアが亡くなって最初の一ヶ月は、数日に一度献花を取り替えていたのだが、それも周りの人に迷惑だろうと辞めてしまっていた。だから、花を添えるのは一ヶ月ぶりだ。
店員さんはいつも変わらない笑顔を向けてくれていた。それは哀れみや気遣いが、逆に人を傷つけると知っている表情だった。
「はい、できたわよ」
赤と白の二種でできた花束。
白の花は季節外れにもかかわらず、店員さんがわたしたちのために取り寄せてくれたのだという。
「ありがとうございます。無理を言います」
「今の時代栽培できないわけじゃないからね、大丈夫よ」
代金を支払い、深々と頭を下げて店を後にした。
その場所に到着した時には、既に日が落ちかけていた。仄かに暗くなっていく空とは裏腹に、気持ちは不思議と穏やかだった。
ダリアに会いに行くのはこれで最後にする。そう決意を新たにして、ついさっき買った花束をしっかり抱え込んであの場所へと向かった。
現場となったのは、国道の二車線道路に架かる歩道橋。まばらに行き交う自動車の上に架かるそれは、元が何色だったのかわからないほど錆びてくたびれている。
通行人の邪魔にならないよう、階段の端にそっと花束を置いた。ゆっくりと目を閉じて、手を合わせる。
今からちょうど二ヶ月前の九月二十二日、早朝。
――花束を抱えた女の子が、頭から血を流して倒れている。
近隣住民の通報を受け、救急車と警察が駆けつけた時には、もう少女の身体は冷たくなっていた。
死因は後頭部の強打、それに伴う大量出血だと断定。
しかし、衣服には強く引っ張られたように繊維が伸びた箇所があり、仰向けに転落したと思われることから、事件の可能性も視野に入れて捜査が開始した。
けれど捜査は難航を極める。
まず一つ、犯行の目撃者がいる可能性が極めて低いこと。
近くに高校はあるものの、最寄り駅とは反対方向な上、生徒が遊べるような店などもないため、通学時間以外の人通りが少ない。事件のあった時間帯、自動車は多少走行してはいたが、運転席から歩道橋は望めないだろう。
そしてもう一つは、ダリアが犯人を庇っている可能性があるということ。
ダリアは階段から落ちた後、数分は息があったのだ。
けれど、彼女は救急車どころか警察にも連絡を取ろうとしなかった。
以上のことに加え、ダリアの両親が遺体を早く返してほしいと頼んだこともあってこの事件は事故として処理されたのだ。
――けれど、わたしは知っている。
『ごめんね、れな、ちゃん』
あなたは誰かに殺された……それをわたしに、教えてはくれなかった。
『ほんとうに、ごめんね』
彼女の最後の言葉は、震えた声で紡がれた謝罪だった。
「……あなたが最後に食べてくれた花が、
ダリアは死の間際、抱えていた花束を食んでいた。それはダリアでもなければましてや百合でもない、今日持ってきた花束に使われている二種の花だ。
どうして彼女がこの花を選んだのか、この花束を買ってどうするつもりだったのか……それを聞く前に彼女は逝ってしまった。わたしを置いて。わたしに何も教えてくれないまま、わたしじゃない花を持って死んでいった。
「ダリア、どうして……」
込み上げる激情が涙となって溢れる直前、頭上からきん、と響く声が聞こえてきた。
「――なあ!」
よく通るその声に、顔を上げずにはいられなかった。
歩道橋の上に立っていたのは男の子だった。肩を上下させ、荒い呼吸のまま物凄い勢いで階段を駆け下りてくる。
突然の出来事に呆然としていたわたしは、彼が目の前にくるまでその場から動けなかった。
「ちょ、ちょお待ってな、おれ、怪しいもんやなく、て」
わたしは呼吸を整え始める男の子をまじまじと見つめた。
ショッキングピンクに青のインナーカラーが入った派手な髪色に、リング型のピアス。制服を着ているから高校生なんだろうけど、近くの星蘭高校の生徒? だとしたら相当校則が緩いんだな……などと考えている間に、男の子は胸を大袈裟に叩いて咳払いした。
「いきなりすんません。おねーさんはその、ここで亡くなったダリアっちゅう人の知り合いですか」
「――え?」
心臓が脈打つ。
……なんで、そのことを。
今日初めて会ったこの子が知ってるの?
明らかな動揺は、彼にとってまさしく答えと成り得ただろう。探し物を見つけ出した時のような笑顔で男の子は詰め寄ってくる。反射的に後退りながら、腹の底から男の子に対する嫌悪感が上がってきていた。
そんなことを知る由もない彼は言葉を続けた。
「そうなんやね? ほんなら、聞きたいことが」
……やめて。
どうして、今なの?
ようやく前を向こうと、ダリアを思い出の中でそっとしておいてあげようって思った時に、そんなことを言うの?
「……誰ですか。なんで、ダリアのことを知りたいんですか」
「あ、すいません。おれはただの高校生で、ちょっと調べたいことがあって――」
彼がどういう理由で何を知りたいのかはわからない。けれどその行為は、犯人を見つけられないどころか、他人のことを土足で踏み荒らしていっただけの警察の捜査と同じだ。
あの時のことを思い出してしまい、カッとなったわたしは叫んでいた。
「……探偵ごっこは、余所でやってください!」
その時、道路を大型のトラックが通過した。突風を浴びたわたしは胸元を押さえながら、少し我に返ってしまった。
……学生相手に、声を荒らげてわたし、大人げない……。
呼吸を整えながら、いたたまれなさにその場を去ろうとした時――男の子がわたしの右腕を掴んできた。
「すみませんでした。いきなりで失礼やったと思います。でも、ほんまに知りたいことがあるんです」
男の子は捕まれた腕をゆっくりと下ろした後、一歩下がって一礼する。
「おれの名前は、ツバキサクラ、っていいます。そんで、おれが聞きたいのは一つだけ……なんで、その花なんかってことで」
男の子は、先ほどわたしが置いた花束を指さした。赤と白に彩られたそれは、赤は勿論のこと、白は季節外れながらも両方立派に咲き誇っている。
「カスミソウとツバキ。あんたが買った花屋で聞いたんや。あんたのためにいつもその花束を作っとったって。なんでその花なんですか?」
その格好とは裏腹な、真剣な瞳が見つめてくる。
気がつけば花弁が地に落ちるように、わたしは素直に答えていた。
「……それが、ダリアが死んだとき持っていた花束だったから」
カスミソウとツバキ――その花は、ダリアが最後に食んだ花だった。
だからわたしは、ダリアでもなく百合でもない、この花を添えた。どこかで嫌だと思いながら。
男の子は納得したように、けれど寂しげに笑った。
「……二ヶ月前の九月二十二日。おれの兄が死んだ。刃物で滅多刺しやった。
――兄の名前は、ツバキカスミ。そいつもおんなじや。おんなじように、ダリアの花を口に加えて死んどってん」
「……え」
「おねーさん。これって、偶然やと思う? おれは違うと思う。おれが知らへん何かがある。そう思えてならへん」
お互いの名の花を抱え、同じ日に亡くなった、交わることのなかったはずの二人。偶然で片付けられるなら、どんなに良かっただろうと……そう思ってしまった。
「知りたいんや。あいつが死んだ理由を」
昏い空の下、カスミソウとツバキの花のひとかけらが、冷たい風に吹かれて散っていった。
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