15話 コンコ「裸の付き合い」前編

「この吹きつけた洗剤の泡を、こう、塗りながらっ、擦る、ように」

「ふんふん……、わたしも実際にやってみていい?」


 先ずは、お湯の抜かれた浴槽の掃除。泡をシュッシュ、内側ごしごし。用具を受け取ったわたしは、タマちゃんがやっていた通りに模倣する。


「最後はシャワー……これですね。ここのレバーをひねると……こうやって お湯が出ます。こっちを回して温度を変えられますが、慣れないうちはまあ、触らない方が無難かと。火傷するくらい熱い温度になったりしますから。……これを使って、浴槽の泡を綺麗に流し終えるまでがお掃除です。」

「ればぁー……ええと……」


 ざあ、と勢いよくお湯を出す『シャワー』を使って流して掃除の仕上げ。


「流し終えたら、最後は栓をするのを忘れないように。お風呂を沸かすときに栓が抜けていたら、お湯が貯まらず流れていってしまいます。栓をしたことをちゃんと確認したら、このボタン……『自動』と書いてある、このボタンを押す。これでお風呂のお湯が貯まっていきます」

「『じどう』……ええと、わたし、まだ文字が読めなくて…………」

「ああ……でしたら、色で。この赤いボタンです。ここを一度、指で押すだけ。」

「これだね? じゃあ……押しますっ」


 ピッ。『お風呂を沸かします』。機械的な音声と共に、浴槽にお湯が張られはじめた。現代のお風呂って喋るんだ、すごい。


「普段ならここまでは服を着たまま済ませて、お湯が貯まってから改めてお風呂に入るのですが……今日は沸かしている間、こちらでシャワーを浴びることにします。頭や体は湯船に浸かる前に洗って、綺麗にしてから入るようにしましょう。この椅子に座ってください」

「はいっ」


 本当にひとつひとつを丁寧に説明してくれるタマちゃん。言われるがままタマちゃんに背を向けて椅子に座った。正面の大きな鏡にわたしとタマちゃんの姿が映っている。

 (やっぱり、細いなあ)

 鏡に映るタマちゃんの体を眺めるとやはり、お肉があまり付いて無いようで、肋骨や筋などもかなり浮いて見えてる。その儚げな痩躯は、ぎりぎりで病的とまでは言わないくらいかな……といった塩梅。

「あのう、耳と……尻尾は? ケモノ……的な、方の。 いつの間に」

「へ? うん、引っ込めてるよ。なるべく人間姿こっちの状態でいる癖をつけなくちゃだから……!うっかり他人に見られたりしない為にもっ」

「…………そう、ですか。  ……………………手触り、感触……(ぽそり)」

「えっ、いま何て?」

「いえ、何も。……さて、いきなり自分でやれと言われても、勝手もわからないでしょうから……今日は私が洗ってあげます。泡が目に入ると痛いので、目は閉じていてくださいね」

「あっはいっ」

 言われ すかさず目を閉じる。そうだ、鏡越しとはいえ 体をじろじろ見てたのも失礼だったかも……。というか、そういえば自分自身の姿はあまり見ていないな? 鏡……ちゃんと鏡で自分を見る機会なんていうのも、今まではあんまりなかったなあ。うーん……。わたしの顔……?

「さあて……ここが1番てこずりそうです。普段から毎日お風呂で洗髪していれば、本来は一度で済むのですけど。あたま、触りますよ?多めに取って………………ああ、やっぱり全然泡立ちませんね……。一旦お湯で流しますので、目は閉じたままで。そして、もう一度……」

 

 わしわし、もぎもぎ、こしゅこしゅ。指先で頭皮をこねるように「シャンプー」というのをしてもらう。なんだか、きもちい……そしてこころもち、さわやかになってゆくような……。今わたし、清潔になっていってるんだぁ……!(嬉)。

 その心地よい感覚を肌で学びながら堪能する。わたしの頭をお湯で流しては捏ね回し、それが何度か繰り返されて。動きを止めたタマちゃんが、ふうううう、と、疲れを滲ませる大きな息を吐いた事で、ハッと我に返ることができた。いけない、任せきりの脱力しっぱなしになるところだった!

「あっえっと、ありがとうね!?次っは……自分でやってみるから!」

「そう、ですか……ふう。では……頭を洗うためのシャンプーはこれです。他にも似たような、コンディショナー……ボディソープ等も色々あって、どれも一応それと書いてはあるのですが……文字が読めないのでは、判別、難しいでしょうか」

「いま読めなくても、憶えるよ!これだよね?どれが、どこにシャンプーって書いてある?」

「ここです。この、1番下に小さく……」

「えっ本当にちいさい。じゃあこの真ん中に大っきく書いてある文字は?」

「会社……いえ商品名ですね」

 

 ぴろろろろろろん♪

 

 わたしには未だ読めるはずもないパンテーンなどと書かれたボトルを指差しあって、タマちゃんとニャイニャイ話しているうちに、浴室内で優雅なメロディとともに機械的な音声が流れ出した。『お風呂が沸きました』。ちゃんと教えてくれるんだ、すごい。

 

「それでは、頭と洗顔と……からだ、背中の方を私がやってあげますから、その間に顔をご自分で。最後に全身洗ってしまったら、先に湯舟に浸かってください。貴女が洗い終えてから私も続きます。 浴槽に2人……まあ私たちの体躯なら入りきらないこともないかと。」

「了解のじゃっ」


 

 ・


 ・


 ・



 ちゃぷん。


「その長さですと髪も入浴時そのままは……ヘアゴムって、わかりますか?」

「へ、へあごむ?」

「……まあ、一先ひとまずは、いいですかね。なんだか少し、疲れました……。」

「ごっ、ごめんね。わたしのせいで……」

「別に、謝る必要は…………ふう、流石に窮屈な感じです」


 ひとつの浴槽にふたり、向かい合って湯舟に浸かる。膝を曲げて抱えていても、ときおり互いの足先が触れ合ってしまう。


「………………。」

「………………。」


 会話が途切れてしまった。色々教えてもらっているうちは自然と話せていたものの、今は…………ええと、なにか。


「この、お風呂……は、あとどのくらい、こうしていればいいのかな」

「それは………………自分が満足するまで、でしょうか。特に決まり等はありませんが、体が……温まる、まで?」

「そ、そっか。自由な感じなんだ。お湯……きもちいいから。ずっと入っていたくなっちゃうな、こうして……なんて、んへへ……」


 ……というのは、ちょっとだけ嘘。今の空気は気まずいし、逃げ出すように早く出てしまいたい、みたいな気持ちが少しある。お湯がきもちいいのは本当だけど、タマちゃんとこうして向き合っている今、そんな のほほんとした気持ちにはなれそうもない。

 

「ですが、あまり長湯しすぎるのも……のぼせたり、とか。ああいや、かといって短すぎるのも。…………なんでしょう、説明……難しい、です、ふうう……。」


 だけど。だからと言って逃げ出すわけにはいかない。むしろ今。これは、この状況は、わたしにとってきっと、願ってもない機会だとも思うから。今のわたしは、逃げ出すよりも。


「タマちゃんっ、」


 ざぷり。お湯に波が立つ。

 わたし、ちゃんと、話がしたい。

 裸で向き合う、今にこそ。

 そう他でもない。あなたと、ちゃんと。


「わたし───」「先程、は……」「ぃえぇっ??」

 かぶせるように。タマちゃんの言葉が、わたしの台詞を遮った。

「…………先程は。あなたに強い言葉をぶつけてしまって……申し訳、ありませんでした。言い過ぎてしまいました、ごめんなさい。」

「あっえっっ!?いやそんな、えっ全然っ!!?」

 言いながら小さく頭を下げたタマちゃん。そして動揺するわたし。ここで……まさか謝られるとは思ってなくて。

「気にしないでのじゃ、本当にっ……! 言わせちゃったわたしが悪いんだよ、だって確かに、確かにわたしは……何も、なんにも知らないんだからっ」

 頭を下げたままのタマちゃんに向けて、わたしは更に捲し立てる。

「会えなかった間の みぃ君のことも、妹である あなたのことも。知らない、何も…………。それに、あなたの大切なお兄さんを苦しめたことだって間違いじゃない。コンは確かにあの時、間違いなく、幼かった彼の事……深く、深く、傷つけてしまった……。」

「………………それでも。私も同じです。貴女のこと……兄さんと貴女の関係、私は知らない、何も知らない…………知らなかった、のに。」


 ああ、やっぱり好きだな……この子のこと。


「好き勝手に言う資格がないのは、私も同じだったんです。それなのに、あんな……」

「…………うん、本当にわたし、大丈夫だよ。ありがとうのじゃ、タマちゃんっ」

「感謝なんて……しないで、ください。確かに言い過ぎた事は認めましたし、こうして話した限りでは、貴女がきっと悪い人…………ひと?……まあ、悪い『ひと』ではないであろうことも……理解は、しましたが。……だからといって、何もかもを撤回するつもりではありません、今の所は。 未だに私、信用なんてしてません」

「っ…………」

「私は弛んだ訳じゃない。今こうしているのだって、それは兄さんが貴女をもう……すでに、受け入れてしまったから。だから私はただ、それに反対しないだけ。兄さんが拒絶しないから、私はそれに倣うだけ。私は……兄さんを否定、しないだけ。」

 出てくる言葉は辛口だけど、まっすぐはっきり言って貰えて、わたしとしては有り難い。気を遣われたり、我慢させて、話して貰えないよりは。ずっとずうっと、ありがたい。


  

「そう、だよね。……知らないもんね、お互いに。 だから、その…………よかったら。 教えてほしいな。話してほしい……」


  

 顔が上がり、向けられたそのまだ少しだけツンとした雰囲気の残る眼差しを真正面から受け止めて。


  

「あなたのことも、わたしの知らない みぃ君のことも。そしてさっきは、わたしの何が、どんな言葉が、よくなかったんだろうって…………きかせてほしい、教えてほしい。知りたいんだ、わたしは。ぜんぶぜんぶ、なんだって知りたいよ。君たち兄妹、ふたりのことが。」

「………………………………。」


 

 41℃のお湯の中。

 胸襟を開いてもらうんだ。一糸纏わぬむき出しのお腹だって、さらけ出してが始まりだ。

 きいて話して乗り越えて。

 知らないことを、埋めていくんだ。

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