第58話 月光城へ
ヴェルザ=トリネ旧宮廷領――
かつてこの地は、神と契約した王たちの住まう聖域だった。
今はその面影を隠すように、森と霧が辺境を覆い、ただ一つ《月光城》だけが、忘れられた栄華の名残として夜の闇に浮かび上がる。
「仮面をご着用ください」
馬車の扉が開かれた瞬間、黒衣の従者が恭しく頭を下げる。
イアはゆっくりと、銀の仮面を頬にあてがった。
目元を隠すその仮面には、いかなる魔力干渉も通さない“中和の祝印”が秘められている。
(やはり、この場所……常の因果構造から逸脱している)
舞踏会の開催地・月光城。
周囲の霧は、物理的なものではなく“記憶の認識層”を曖昧にする。
この場所は、《世界》の許可がなければ“存在できない領域”のはずだった。
――だが、イアは今、それを自ら歩く。
石畳を踏むたび、過去の断片が空間に浮かび上がる。
王たちの誓い、血の契約、滅びの記録――
「歓迎いたします。仮面の“白の使徒”殿」
城門前で、黒銀の仮面をつけた少年が一礼した。
彼の名はリューグ。仮面舞踏会の《執行会》に属する“案内者”の一人。
「あなたが招かれたのは、“真の継承者”のみが立ち入る間――《月影の間》です。どうか、愉しまれますように」
(案内の言葉にしては、妙に“選別”の響きが強い)
イアは何も言わず、そのまま城内へと歩を進めた。
舞踏会のホールは、まるで星の海の中に浮かんでいるかのような美しさだった。
天井から吊るされた無数の光珠、黒曜石の床、旋律のように流れる香気。
そして、仮面をつけた貴族たちの沈黙の社交――
誰もが“何者かを演じる”ことで、真実を隠し、権威を競う。
「“白の使徒”……あなたが、今回の“異物”なのですね?」
突然、現れた黒金の仮面の少女が声をかけてきた。
その言葉に含まれるのは、明らかな敵意でも興味でもなく、“見極め”の視線だった。
「異物とは、何に対して?」
「秩序に対して、です。この舞踏会は、旧神の意志を継ぐ者たちのための場。あなたのような“不確定因子”は、本来は招かれないはずなのに……世界は、あなたをここに通した」
少女の瞳が仮面の奥で光る。
「まさか、あなた――“世界の側”なのですか?」
沈黙。
だがその刹那、舞踏会全体の空気が凍りつくように変わった。
《月影の間》全域に、金色の魔紋が浮かび上がる。
それは、旧神との契約者たちによる《存在認証結界》。
“誰が神に近く、誰が虚構か”を見極める選別の儀式だった。
だが――
「……っ、あの仮面の子……認証が、できない……?」
「どうして……!? どの神系にも分類されない……」
「むしろ……存在構造の階層が“上”……!? 神より上なんて……まさか――」
イアは、静かに仮面を外す。
一瞬、すべての音が止まり、空間が膝をついたように“沈んだ”。
「“私”は……世界そのもの。すべての構造の母体であり、観測主でもある。
あなたたちが“神”と呼ぶものは、私の“後に存在した副次層”」
冷たい声でも、怒りでもない。
それは、ただの“事実”の提示だった。
だが――その“重さ”に、空間全体が耐えきれない。
「……ならば、我らは問う。あなたは敵か。滅びの象徴か。創造の鍵か――!」
叫ぶように放たれた問い。
イアは、仮面を手に取ってこう答えた。
「私は“静かに在る”だけ。敵にも味方にもならない。ただ、調和を保つ」
その言葉とともに、結界が消え、空間は再び安定を取り戻した。
仮面舞踏会の夜は、まだ続く――だが、
すでに《均衡》はイアによって、静かに“書き換えられていた”。
とある魔法使いは異世界を旅する 沙月ルカ@現役中学生 @06018080
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