第57話 神秘の舞踏会の予兆
学園の空気は、どこか軽やかだった。
春を思わせる陽光が降り注ぎ、生徒たちは昼休みに中庭で談笑している。
だが、その穏やかな時間の中に、一枚の封筒が静かに届いた。
「これ……なんだろう?」
ロゼが拾い上げたそれは、漆黒の封筒に銀糸で封が施された美しいものだった。
イアの名が、見慣れぬ古式筆記体で記されている。
「イア宛て……?」
イアは微かに視線を動かしただけで、答える。
「開けてみて」
中から現れたのは、艶やかな仮面と共に、銀の文字で記された招待状。
《神秘の夜会へようこそ。
選ばれし“表の貴族”と“裏の継承者”たちが交わる舞台にて、
真の地位を知る者だけが、次なる扉を開ける》
開催地:ヴェルザ=トリネ旧宮廷領・月光城
招待者:仮面の執行会
ロゼが絶句する。
「これ……《神秘舞踏会》!? 王家直属の“裏貴族会”じゃない……! なんでイアに……?」
その名は、学園でも一部の上層階級だけが知る秘密の舞踏会だった。
表の貴族たちでは触れることのできない、歴史の裏側に連なる継承者たち。
そこに呼ばれるということは、“ただ者ではない”ことの証明だ。
「ま、当然かもね……。イアは、普通じゃないもの」
ロゼはやや複雑な表情を浮かべるが、同時にどこか誇らしげだった。
その夜、学園の談話室では生徒たちが“噂”で盛り上がっていた。
「聞いた? 今期、招待された生徒がいるって!」「まさか、うちの学園から?」
「どうせ王都の第三学府とかでしょ。うちみたいな田舎校じゃ無理無理~」
――その時。
扉が静かに開かれた。
「ごめん、ちょっと通して」
通り過ぎるイアの気配に、生徒たちの空気が一瞬止まる。
あまりに“透明”で、同時に“ただ者ではない”存在感。
まるで、そこにあるだけで世界の音が変わるようだった。
「……あの子、やっぱ変だよね」「うん、でも綺麗すぎて、なんか怖い」
そうささやかれる声すら、イアには届かない。
いや、彼女は“気にしていない”だけだった。
(舞踏会……ね。裏側の貴族、そして“次なる継承”)
その言葉に、胸の奥がほんの少しだけ騒いでいた。
かつて滅びた“旧王家”に関する記憶。
そこに刻まれた一節が、記録界層の片隅に残っていた。
――《月光城の間で選ばれし者こそ、真なる後継とならん》
(どうやら……面白くなってきた)
イアの口元が、ほんのわずかに綻んだ。
その夜、ロゼの部屋。
「で、どうするの? 行くの?」
「もちろん」
「やっぱり……まあ、止めても無理だって分かってるけど。仮面、どうする? あんた、顔立ちが整いすぎて目立つでしょ。逆に隠しても目立つし」
イアは、手のひらに乗った仮面を眺める。
それは、半面だけを覆う銀の仮面。
どこか冷たく、美しく、そして――静かな力を宿していた。
「正体は隠す。でも、力は……封じない」
「……へぇ? ついに本気出す気?」
「出さない。ただ、備えておく。もし、仮面の下に“旧神”の残響がいるのなら――」
イアの瞳が、夜の闇を見据える。
「……世界そのものが、再び目を覚ます」
こうして、イアは仮面舞踏会への参加を決める。
それは、“ただの夜会”では終わらない。
陰で動く旧世界の継承者たち。
姿を変えて潜む神の残滓。
そして、“世界の意思”を持つ少女が舞台に降りるとき――
再び、“世界の運命”が静かに動き出す。
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