第54話 世界の傍観者たち

夜明けとともに、学園都市の空に清冽な風が吹き抜けた。

昨晩の舞踏会の余韻は、まだ人々の記憶に残っていたが、イアにとってはすでに過去の一幕だった。


仮面舞踏会、地下の神の遺構、《アル=ゼクト》との対話戦――。

すべてを終えたイアは、まるで何事もなかったかのように、朝食のパンをちぎっていた。


「イア、昨日どこ行ってたのよ。ロゼがずっと探してたんだから」


口を尖らせてルナが言う。隣ではゼノが肩をすくめていた。


「まあ、イアだし。どうせまた変なところに迷い込んでたんだろ」


「正解、半分かな」

イアは小さく笑い、蜂蜜を紅茶に溶かした。


(誰にも言えない。いや、言わない。私は、“見守るだけ”の存在でいたい)


そんな彼女の姿を、少し離れた席から鋭く見つめる者がいた。


貴族生徒の中でも一際目立つ、白銀の髪を揺らす少年――名前は〈レオ=フィルミア〉。

表向きは王都直系の名門家の次期当主だが、その正体は“観測者”と呼ばれる勢力のひとりだった。


(あの少女……やはり“揺らぎ”だ。世界の根源を覆う“ノイズ”)


レオはスプーンをそっと置いた。


(だが、ノイズは時に“再定義”を引き起こす。もし、あれが旧世界の“理”すら打ち消す存在なら――)


(観測せねばならない)


その夜、学園内の旧書庫で。

レオは手袋を外し、封印された魔導結晶に手を触れた。


「コード:識別。権限:観測階位三号、レオ=フィルミア」


バチリ、と空間が軋む音。

書庫の奥に隠されていた魔導回路が起動し、宙に情報の投影が走った。


《特異存在:記録名【イア=ノール】》


《属性:未定義/力の位階:世界基準外/記憶封鎖:解除進行中》


《判定:人類種による観測不能。構造介入権を持つ可能性あり》


(……やはり、そうか)


レオは無意識に息を飲む。


(この存在は“神”ではない。だが、“神”以上の意味を持つ。

それはつまり――この世界の、あらゆる運命の“傍観者”でありながら、“調停者”でもあるということ)


(ならば、我々“観測者”の使命は――)


「干渉を開始する。対象:イア=ノール。優先度、最上位に変更」


その決定は、静かに世界の裏側に波紋を走らせた。


その翌日。

イアの教室に、新任教師としてひとりの男が赴任してくる。


若く、理知的な雰囲気を纏いながらも、どこか“異質”な空気を醸す男――その名は、《ゼクリア》。

そして、彼の背後に揺れる微かな“神格の影”を、イアだけが感じ取った。


(ああ、また……この世界は、静かには進ませてくれないらしい)


けれど、イアはただ、微笑むだけだった。

たとえ世界が何度でも揺らごうと、彼女は――その中心に静かに立つ覚悟を持っていたから。

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