第39話 識別者
禁書の間――そこに眠っていたのは、ただの記録ではなかった。
奥の石碑に封じられていた“旧世界の守護者”――**〈識別者アルザレイド〉**が、イアの接近によって目覚める。
その姿は、無数の目と歯車の光を纏い、人間の意識すら記録の断片として処理する、“記録と監視”の存在。
「照合開始……《世界核》の接近を確認。危険レベル:最大値」
淡々とした音声が響く。次の瞬間、石碑から展開されたのは、数百に及ぶ魔力刃の群れ。
――イアに、警告も躊躇もない。世界を脅かす存在と認識したが最後、〈識別者〉は無慈悲に破壊する。
「強制排除、開始」
ロゼが反射的に結界を張るが、その一層目は瞬時に破られた。
「ま、待って――イア……!」
ロゼの呼びかけに、イアは静かに手を挙げた。
「下がってて、ロゼ。これは……わたしがやる」
その声音に、怒りも、焦りもなかった。ただ、澄んだ水面のような冷静さと、深い哀しみだけがあった。
(これは、“わたしの世界”の一部。けれど今は……調和を壊すなら、止めなくちゃ)
イアの右手がわずかに動く。空気が震え、地下の魔力流が静かに“従い始める”。
「識別、再確認。魔力構成……解析不能。存在階層:錯乱……錯乱……」
〈識別者〉の眼が一斉に赤く染まる。
「再照合失敗。最終指令発動――“世界改変排除プロトコル”起動」
その瞬間、地下空間が歪んだ。時の流れすら凍るような、異質な魔法陣が天井から広がる。
けれど――
「――もういいよ。それ、止めて」
イアの声は、囁きに似ていた。
それだけで、魔法陣は崩れ、封印呪文が解体されていく。
〈識別者〉が揺れた。反応できなかった。なぜなら“命令系統”そのものが、書き換えられたからだ。
(これは……上位概念の干渉……!)
「あなたは、まだ残っていたんだね。“旧世界の守護者”。でも、もうその役目は終わったはず」
「……否。世界の危機が迫るとき、私は目覚め……」
「うん。だから、こうして来てくれた。でも、世界はまだ壊れちゃいないよ。今のところはね」
イアはそっと微笑んだ。
「だから今は、眠ってて。わたしが見ているから。ちゃんと、全部」
〈識別者〉の全身が静かに光へと変わっていく。エラー音は止み、最終ログだけが残された。
《再定義:世界核イア――観測対象に変更。敵対解除。記録、終了》
崩れるように、存在は消えた。
ロゼは呆然と見つめる。
「い、今の……あなた、いったい……」
「ロゼ」
イアは振り返った。まるで、友だちに声をかけるような自然な仕草で。
「この世界は、まだ優しいところもある。だから、わたしはもうちょっとだけ、この目で見ていたいの」
「……え?」
「本当の名も、力も。ぜんぶ、隠したままでいい。ただ、旅して、笑って、怒って、泣ける世界なら……それだけで、いい」
ロゼはなぜか、涙が出そうになった。
それが世界の核心の言葉だと、誰が気づけるだろう。
その夜、学院の魔力波測定器は一斉に異常値を記録したが、その理由は誰にもわからなかった。
ただ一人だけ――“静かに自分の世界を調停する者”だけが、その意味を知っていた。
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