第35話 空白の神名と第三の月

夜空に浮かぶはずのない“第三の月”が現れた瞬間、世界は静かに、だが確実に狂い始めた。


魔力の流れがねじれ、大地は軋み、時間の層がわずかに歪む。

それはただの天文現象ではなかった。

それは――「忘れられた神の復活の兆し」。


ギルド中枢の予言観測塔では、結界球が一つずつ砕け散っていた。


「これは……記録にない。第三の月など、歴史のどこにも存在しないはずだ!」


「いや……一つだけある。“世界創世以前に記された神名”、その一柱の象徴が、“第三の月”と呼ばれていたという……」


それは《空白の神名》。神々ですら存在を認識することが禁じられた“存在そのものが忘却されている存在”。

そして今、それが――目覚めかけている。


だが、その力の“核”は、すでに目の前にあった。


イア。


彼女の刻印が、新たな構造を組み上げるように拡張を始めていた。

それはもはや古代言語でも、魔術式でもない。

世界そのものの「設計図」に干渉する“最初の文字列”――原初のコード。


「どうして……わたし、こんなことが……」


彼女の呟きが風に溶ける。


立っているだけで、空気が震える。

意識を集中すれば、数十キロ先の“時の揺らぎ”が感じられる。

視界の片隅で、時空の裂け目が“向こう側”と交信を始める。


ルナが駆け寄ってくる。


「イア!あなた、さっきから――」


だが、言葉を止めた。


イアの背後に浮かぶ、三つの光輪。

それは、ただの魔力圧ではない。空間そのものが“跪いている”。


「……あなた、本当に……何者なの……?」


イアは答えられなかった。

わからない。けれど、胸の奥に確かにある。


――わたしは、“この世界の正規情報”ではない。


まるで、世界そのものが彼女の帰還を拒みながらも従おうとしている。

まるで、主神さえも触れられなかった“設計権限”を、彼女が持っているかのように。


そして――


その瞬間、大気が裂けた。


天より降る光の柱。


地に眠っていた“神々の骨”が揺れ出す。


数千年前、世界の土台を築いた“最初の神々”――その封印が、無条件で“自動解除”される。


「神格位、干渉不能。存在優先度、再定義中――」


それは世界意思による自動報告。


「……存在優先順位、更新完了」


《優先順位No.0:イア》


ルナも、ゼノも、ロゼも……ギルド上層部も、そして神々の残滓すらも、

その一言に息をのんだ。


主神ですら持たない“存在優先順位ゼロ”――それは、世界における“起点”の証。


イアはただ、静かに目を閉じた。


「誰かが決めた秩序なんて……もうどうでもいい」


「わたしが壊して、わたしが創る」


――この世界を、“わたしのもの”にする。


その宣言が届いた瞬間、

天の第三の月が微かに笑ったように、ゆっくりと傾いた。

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