第26話 封印の鍵
空間が歪み、影が砕けるようにして“神の模造品”は姿を消した。
ゼノが放った黒炎の刃は、世界の裏層にこびりついた記録そのものを焼き尽くす力を持っていた。ルナは思わず目を見張る。彼はただの戦士ではない。あれは――時間そのものに干渉できる“旧時代の番人”の技。
「さあ、今のうちに抜けるぞ」
ゼノが言うと、周囲の“裏層”が不安定に揺れ始めた。空が裂け、灰色の粒子が逆流するように渦を巻く。そこに、微かな“色”が滲み始める。
それは「帰還口」――世界の表側へと戻る唯一の道だ。
しかし――
「待って……これ、開かない」
イアが立ち止まった。
空間の裂け目に手を触れるが、まるで拒絶するように弾かれる。まるで“彼女だけ”が、ここから出ることを許されていないようだった。
「イア……」
ルナの表情が険しくなる。
「“封印”がまだ残ってる。あなたの中にある“鍵”が、反応してないの」
ゼノが顔をしかめる。
「まさか、記憶そのものが暗号になってるってのか……? 中枢型の封印かよ。最悪のパターンだな」
イアは戸惑いながら、胸元に手を当てる。そこには、マーリンの魂の残滓が。
記憶に今、気づき始めていた。
「思い出せってこと……?」
「いいえ」
ルナが静かに首を振る。
「“思い出してはいけない記憶”の可能性もある。中には、思い出した瞬間に発動する“自己破壊型封印”だってあるから」
「じゃあ、どうすれば――」
イアの声が途切れた。その瞬間、イアの紫の目から微かな光が漏れ、彼女の視界に“文字”が浮かび上がった。
――認証コード:未入力。問:ルナは、嘘をついているか?
「え……?」
思わずルナを見る。ルナは驚いたように、一歩退いた。
「イア、それは見ないで――!」
しかし、遅かった。記憶の扉が、ひとつだけ静かに開いた。
《ルナ=開発第七階層監査官。対象観測ユニット:IA(イア)》
「……ユニット? 観測……?」
イアの頭に、雷のような混乱が走る。
ルナの顔から、いつもの微笑が消えていた。
「……ごめん。私、本当はあなたの“守り人”なんかじゃない。“記録者”だったの」
「ルナ……ずっと、知ってたの?」
「思い出したのは最近よ。でも、最初に出会ったとき……何か“大切な対象”だってことは、本能的に感じてた。あなたをずっと見てきた記録が、私の中にも残ってたから」
ゼノが沈黙していた。彼もまた、すべてを知っている者のひとり。
「“神の模造品”があんなにも執着してた理由……ようやく、わかった」
ゼノが言う。
「イア、お前は《再起動因子》であり、世界そのもの。この世界の中枢を書き換えることのできる存在だ。だが、まだそれを自覚していない……それゆえに、世界そのものが“お前に選ばせよう”としている」
「選ばせる……?」
「このまま“鍵”を開き、世界の本質に触れるか――あるいは、“今の自分”のままで逃げ出し、選択の幅を広げるか。この空間は、お前の選択を待っている」
静寂が落ちる。
やがて、イアは一歩前へ出た。
「私は……今はまだ、“全て”を知りたくない。でも、守りたい人がいる。ルナも、ロゼも、みんなも……そのために、戻るって決めたの」
その瞬間、彼女の紫の目が光り、空間の裂け目が大きく開いた。
封印が“許可”したのだ。完全な開放ではなく、選択の保留。だが、それでも「出口」は現れた。
「……やれやれ。とりあえず、選択は後回しか」
ゼノが笑う。
三人は駆けるように、空間の光の中へ飛び込んだ。
背後で、“裏層”が静かに崩れ落ちていく。その最奥――かつて“神”と呼ばれた影が、笑っていた。
≪いずれ、再び会おう。器よ。貴様が“本当の名”を思い出す、その日まで≫
――こうして、イアたちは世界の表層へと帰還した。
だが、“裏層”で得た違和感と、言葉にできない記憶の欠片が、彼女たちに影を落とし続けていた。
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