第21話 世界の核

野伏せりの群れを退けた私たちは、森の奥へと進んでいた。


風の音すら聞こえないほど、静謐な空間。


地図に載っていない古道を辿った先――それは、苔むした石造りの大聖堂だった。


「……聖堂、って……あれ、ずいぶん古くないか」


ロゼの声が、場違いなほど軽かった。


だがその場に立った瞬間、誰もが無言になった。


圧倒的な“何か”が、この場所を守っていた。


歪んだ時間、結界の名残、沈黙の祈り。


そして――扉に刻まれた、見慣れぬ紋章。


「これ……王都の封印紋じゃない。もっと古い……まさか、神代文字……?」


ルナが呟いた瞬間、石扉が軋む音を立てて、勝手に開いた。


誰も触れていない。魔力の干渉もない。


なのに――私は、まっすぐ歩き出した。


「お、おい待て! 何で開いたんだよ!?」


「たぶん、私のせいだよ」


さらっと返したその一言に、ロゼもルナも言葉を失った。


聖堂の中は、廃墟とは思えないほど静かだった。割れたステンドグラスから射す光が、虹のように床を染めている。


中央にあるのは、古びた石の祭壇と、空っぽの玉座。


だが――玉座の背後の壁に、大穴が空いていた。


そして、そこから滲み出る“黒い霧”。


それは、魔瘴とは明らかに違う。


魔法でも、呪いでもない。もっと深く、根源的な“何か”。


「……これは、なんか嗅いだことのある匂い?」


私が呟いたとき、ロゼは冗談かと思って笑いそうになったが、ルナがぴたりと動きを止めた。


「……それ、どこで聞いたの?」


ルナの声が静かに震える。


私は少しだけ首を傾げて、壁の裂け目から漂う“霧”に目を向ける。


「ううん、聞いたことはないの。ただ……なんだか、懐かしい感じがしたの」


「懐かしい……?」


「そう。ここに来たの、初めてのはずなのに……ずっと前にいたような……ね」


言いながら、自分でもその感覚が奇妙だと感じている。


ルナはその言葉に、目を細めた。


「……まさか。いや、でも……」


「ルナ、どうした?」


ロゼの問いかけにも応えず、ルナは私を見つめたまま、心の中で葛藤していた。


――これは、偶然か?


――それとも……記録にあった“あれ”なのか?


だが、確信は持てなかった。ただ、記憶の奥に引っかかる何かがある。


「……まさか、とは思うけど。“核”って言葉、聞いたことある?」


「……ううん。わかんない。でも……それって、“真ん中にあるもの”?」


「そう。何かの、始まりであり、終わりでもある存在。記録にしか残ってない、架空の概念だって言われてるけど……」


「それ、私に似てるの?」


「似てるけど……決定的な証拠はない。ただの偶然かもしれないし」


ロゼが割って入った。


「ちょっと待ってくれ、二人とも。おれには話が飛びすぎてる! “世界の外”とか、“中核”とか……何の話だよ!」


私は小さく笑って、言った。


「ごめんね。私も、ちゃんとはわかってないの。ただ、ここに立ってると……自分がどこから来て、何のためにいるのか、思い出せる気がするだけ」


そのとき、壁の穴の奥――闇の向こうから、“何か”がこちらを見ていた。


一つの“目”。


それは、確かに恐怖すべき存在のはずだった。


だが、“それ”は私を見た瞬間、ほんのわずかに揺らいだ。


そして、霧が引いていく。


それはまるで、“世界が私を認識し直した”かのように――。


「……イア、今のは?」


「わからない。でも、“あれ”も私のことを知ってる気がした。懐かしそうに見てた……そんな感じがしたの」


ロゼとルナは顔を見合わせた。


ルナは深く息をついた。


「……まだ確信は持てない。でも、私の記憶と記録が合っているなら――あなたは、ただの冒険者じゃない」


私は静かに微笑んだ。


「そうなのかな。でも、今の私は“イア”だよ。ここから始まった、たったひとつの私」


その言葉に、ルナはぎゅっと拳を握った。


そして、そっと手を差し出す。


「……まだ全てを信じたわけじゃない。でも、あんたと歩く。その先に、何があるのか確かめたい」


「うん。私も、知りたい」


この日、この場所で、まだ名もなき誓いが生まれた。


運命の歯車が静かに、しかし確かに回り始めた。


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