第16話 血の匂いのする村
森に朝霧が立ちこめる。
湿った土の匂いと、草葉の滴る水音が、静かに旅路を包んでいた。
イアは黙って歩いていた。肩には革の小さなバッグ、右手にはマーリンの杖。
そして、彼女の隣には――
「なぁ、イア。歩きすぎだ。いい加減、朝ごはんにしないか?」
ふわりと肩に飛び乗ってきたのは、従魔のエル。白銀の毛並みと猫のような姿に、紫の瞳が光っている。
「あと、もうちょっとだけ。……この森を抜けたら、たぶん村があるはずだから」
「……マーリンの杖、ちゃんと入ってるよね?」
「もう十回目だ。抜けてたら今頃呪い飛ばしてるぞ」
私は優しく笑った。けれどその目には、迷いがなかった。
昨日、マーリンの家を出てから一夜。もう振り返る気はなかった。
エルがぽつりとつぶやく。
【私は知ってるぞ。お前は『困ってる人がいたら助けなきゃ』って、すぐ動く。無理する。そういう奴だ】
「わたし、変わらなきゃって思ってる。守る力も、選ぶ覚悟も、もう迷わないって決めたの」
空を見上げながら、私は静かに言った。
その言葉の奥には、師マーリンとの別れ、そして託された想いがあった。
その時――風が変わった。
エルの耳がぴくりと動き、私の鼻が微かに動く。
「……この匂い……」
「血の匂いがする」
鉄のような、刺すような生臭さ。風に乗って森の奥から漂ってくる。
イアは立ち止まり、右手を前に出した。指先に魔力を集中させ、魔力察知を発動する。
「……村がある。だけど、魔物の気配も強い。しかも、生き残りが……!」
イアの顔から笑みが消えた。次の瞬間、彼女は駆け出していた。
【ちょ、イア!? 待て! 単独突入とか、そういうのやめようって言ったじゃ――】
「後で叱って! 助けなきゃ、間に合わない!」
森を裂くように走り抜け、霧を突き破ると――
視界の先に、村が現れた。
けれどそこには、平和な生活の痕跡はほとんど残っていなかった。
畑は踏み荒らされ、家屋は焼け落ち、一部は崩れている。
地面には赤黒い染み。村の中心部には、血を滴らせた魔物たち――オーガのような影が数体、村人たちを囲んでいた。
「……これが、現実か」
イアは震える手で杖を構えた。けれどその足は、止まらなかった。
空気がざわめき、杖先に雷光が集まる。
ランク2雷属性魔法「雷撃(ボルト)!」
一条の雷が走り、魔物の一体を焼き払う。轟音とともに煙が舞い、他の魔物たちがイアに気づいて吠えた。
【……ほら見ろ、こっちに来るぞ!】
エルが空中に飛び上がり、私の周囲に反射結界を展開する。
「ありがと、エル!」
【命張らせすぎだバカ!】
次の一瞬、私は地を蹴った。
魔物が突進してくる。けれど、杖を振ると同時に風の刃が生まれ、次々にその脚を削ぎ落としていく。
雷、風、反射結界――イアの魔法は、確かに命を守る力を持っていた。
数分後――
村に再び静けさが戻る。息を呑んでいた村人たちが、ようやく顔を出し始めた。
「……た、助かった……のか……?」
震える声で近づく老人に、イアは小さく笑って言った。
「大丈夫。……これ以上、誰も傷つけさせないから」
エルがふと気配を察し、森の奥へ視線を向けた。
そこには、一台の馬車。そして、それにもたれかかるように立つ、旅姿の男。
「へぇ……おもしれぇ。今の魔法、独学にしちゃ出来すぎだろ」
イアが警戒しつつ視線を向けると、男は軽く手を振った。
「行商人さ。偶然通りかかっただけ。お嬢ちゃん、名前は?」
「……イア。魔法使い見習い、です」
「いい名前だ。だったら、この先の街を目指してみな。お前みたいなのが必要とされる、ちょっと壊れた街がある」
イアは迷わず頷いた。
“力を持つなら、使い道を選べ”
マーリンの最後の言葉が、心に響いていた。
――こうして、イアの旅は始まった。
一つの村を救い、初めて人に感謝され、自分の力が「意味を持った」と感じた日。
けれどこれは、ほんの序章にすぎない。
まだ、世界は広く、闇は深い。
少女と従魔の物語は、ゆっくりとその幕を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます