第12話 番外編No1「エルの王国調査Part4」
王都の北、機密研究区画ノーデン廟(びょう)――
かつてエル自身が、魔道書を封じた“最深層”に隣接するこの地下施設は、今や王国上層部が直接監視下に置く軍用研究所と化していた。
エルは夜陰に紛れ、施設の外縁にある通気管理棟へと忍び込んだ。
(ここまで侵入に気づかれないとは……情報局の緩みか、それとも“誰か”がわざと空けているのか)
通気口を抜け、金属階段を静かに下る。
途中、施設内部の会話が微かに聞こえてきた。
「……“起動”は可能か? 旧記録の制御呪式で動くかどうか、それだけでいい」
「可能です。ただし、“人格干渉領域”が不安定で、使用者の精神に悪影響が――」
「構わん。どうせ捨て駒だ」
(……! もう試作段階に入っているのか)
エルは歯を食いしばった。
“魔道書”の人格領域に接続するということは――すでに誰かが“読まされた”ということだ。
そのときだった。
「やっぱり来てたか、エル」
背後に、声。
振り向くと、壁の陰から現れたのは――
「……ソティア」
かつての師。
王国魔術研究機関「灰の塔」の元上席研究員。
エルの魔術理論の礎を築いた人物であり、封印の正当性を最後まで信じてくれた唯一の大人。
だが、彼女は今――王国軍直属の“戦略魔術開発室”の総監督となっていた。
「また、お前が一人で全部背負うつもりなのか」
「……背負わなきゃいけないことなんだ。俺が封じたんだから」
ソティアは深くため息をつくと、手に持っていた端末を投げてよこした。
「内部計画書。最新版。
“魔道書”の使用対象は、北辺の実験部隊――つまり、“最前線”に送る気よ」
エルはファイルを開き、内容を確認する。
「……なぜ、俺にこれを渡す」
「王国は“魔術の本質”を誤った。
知識を道具に変えたとき、代償を支払うのはいつも“人”の側」
彼女は、一瞬だけ昔のように優しい目でエルを見た。
「止めるなら今よ。でも……手を出すなら、私も敵になる」
エルはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「わかってる。でも俺は……“イア”を信じてる。彼女だけは、この世界の本質を曲げられる。
だからこそ、彼女が知る前に、俺がやらなきゃいけない」
その名を聞いて、ソティアの目が少しだけ見開かれる。
「……なるほど、そういうことか」
「イアは、“正しい力の使い方”を知ろうとしてる。
なら俺は、“正しくない力の在り方”を止める。それが俺の、戦い方だ」
そして、エルは通気口を抜け、再び闇に紛れた。
遠く、夜の空に、雷鳴のような鼓動が響いていた。
それは、来るべき嵐の前触れ――
イアとエル、二人の運命が再び交差し、決定的な瞬間へと向かっていく音だった。
地下施設ノーデン廟を後にし、エルは王都郊外にある旧灰の塔跡地へと向かった。
そこは、かつて彼が“魔道書”を封じた、いわばすべての原点。
封印結界の最終鍵――それはエルの“魔素構造そのもの”だった。
彼の術式、思考回路、生命反応すべてが封印機構と連動している。
つまり、王国が再利用を目論むなら、最終的に“エル自身”の情報が必要になる。
(だからこそ、俺を泳がせている。だがもう、これで終わりだ)
エルは、跡地の地下にある最終結界室に足を踏み入れた。
そこに眠るのは、闇の知識と呼ばれた三冊の魔道書。
「コーザの記憶」「第一語界の記録」「残響の書環」。
それぞれが独立した自我を持ち、知識の探究者を堕落させる禁忌の書。
エルは結界の前に立ち、そっと手をかざした。
その瞬間、低い音を立てて結界が震えた。
「再封印ではない。……これは、“削除”だ」
彼は懐から、一枚の呪式刻印札を取り出す。
それは、自身の魔素構造を物理的に“破壊”するための一回限りの禁断術。
これを使えば、エルと魔道書の連結情報は断ち切られ、二度と誰にもアクセスできなくなる。
「知識は道具じゃない。
知識を人に繋げるのは、“責任”と“限界”を知る者の意志だけだ」
術式を発動すると、空間が軋んだ。
結界が音を立てて崩れ始め、魔道書たちの“声”が、断末魔のように空間を満たした。
《コトワリに抗う者よ――》
《……我等の言葉は未だ終わらず――》
《しばし、我を読め――》
そのすべてを、エルは黙って見つめていた。
ゆっくりと、その声が消えていく。
やがて、跡地にはただ静寂だけが残った。
封印は終わり、魔道書は世界から完全に消滅した。
そして、エルはその場にゆっくりと座り込んだ。
刻印術式の影響で、彼の魔素構造は崩壊寸前。もはや、術も使えない。
それでも――その表情は、どこか満足げだった。
「これで……誰も、あれを“使い道”にしようとは思わない」
朝が来る前に、彼は再び立ち上がり、旧塔を後にした。
誰に知られることもなく。
誰に称賛されることもなく。
ただ、世界のどこかで、静かに知を守った者として。
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