第11話 番外編No1「エルの王国調査Part3」

王都・南部区画 深夜


エルは黒のフードを深く被り、誰にも気づかれぬよう地下水路の格子扉を開ける。

シドから受け取った古い鍵は、まだ錆びついたままだったが、しっかりと役目を果たした。


ゴォ……ゴォ……


地下は湿気に満ち、魔力の干渉を避けるためか、抑圧されたような静寂が漂っていた。


(この空気……昔の研究棟に似ている。だが、違う。これは……)


すでに「何か」が動き始めている。エルはそう確信した。


やがて、地下通路の先に重厚な魔力結界が張られた鉄扉を発見する。

指先で結界の構成式を読み解くと、それは明らかに“旧式”の封印式だった。


「こんな簡単な結界で……抑え込めると思ったのか」


呟きながら、エルは指を一本立て、静かに詠唱した。


霊視解除サーベイ


淡い紫光が彼の指先から漏れ、扉の魔術構造が浮かび上がる。

封印式の隙間を突き、エルは結界を最小限の衝撃で解除した。


ギィィィ……


扉の奥に広がっていたのは、魔素が濃縮された異常空間。

空間全体が“魔道書”の魔力に染められていた。


そして――そこには、


魔法陣の中心に固定された“書物”が、静かに脈動していた。


(……やはり、ここにあった)


エルはゆっくりと歩み寄る。

書の周囲には、多数の魔術具、そして試験記録と思しき文書が乱雑に広がっていた。


「“第十三頁、再現実験、失敗”……“被験体、第六号、崩壊”……?」


その時だった。


ズズッ……ズッ……


何かが“這う”ような音が、背後から聞こえた。


エルは反射的に振り返り、瞬時に詠唱を始めた。


雷槍ヴォルトレイ!」


雷の槍が放たれ、通路の影に潜んでいた何かに直撃する。


グチャッ――


肉の潰れるような音。

そしてそこには、人間のようでいて、明らかに“人でなくなった存在”が倒れていた。


「……魔道書の影響を受けた被験体か。

こんな危険なものを、制御もできないのに……」


エルは震える拳を握りしめ、書に向き直る。


「今なら、まだ封印し直せる。だが……」


彼の視線は、魔道書の“次に開かれようとしている頁”に向いた。


――“災厄の章・第一節『精神干渉と人格改変』”――


そのとき、突然。


書の頁が、自らの意志を持つかのようにひとりでに開いた。


「……いずれ戻ると、思っていた」


男のような、女のような、不明瞭な声が、書から響いた。


エルの目が細くなる。


(まさか……)


「お前は、まだ……意識を保っているのか、“書”」


「我は記録なれど、意志を持つ。人の欲望と対を成す、魔そのもの」


魔道書が“語りかけてくる”――それは、かつてエルが封じた“知性ある魔道書”の覚醒だった。



「――我は記録なれど、意志を持つ。人の欲望と対を成す、魔そのもの」


その声は低く、滑るように耳へ入り込んでくる。

魔道書は頁を自ら捲りながら、確かに“エルの目”を見つめていた。


「くだらない。お前はただの情報の塊だ。感情など持てるはずが――」


「だが、かつてお前は私に祈った。“誰かを救いたい”と。あのときの純粋な叫びを、我は今も記している」


「……っ」


エルの胸が、一瞬、痛む。


(あれは……まだ俺が“魔法使い”になったばかりの頃――)


彼が“魔道書”に頼らざるを得なかった、忌まわしき記憶。


命を救うために手を伸ばし、結果として「人格を失った少女」が生まれてしまった、あの記録。


「それを語る資格があると思っているのか。あれは――俺の過ちだ」


「違う。“お前たち”の中に芽生えた希望こそが、我にとって新たな頁。

封じられたのは、力ではなく、お前自身の恐れ」


「黙れ!!」


叫ぶと同時に、エルは魔術を展開する。

“雷の封鎖陣”――あらゆる精神的干渉を断つための禁術級術式。


バチィィィン!


稲妻が魔道書の周囲に網のように張り巡らされ、頁の動きを封じる。


「お前が封じたときと、何も変わっていない」


「違う。今の俺は、“誰かのために力を使うこと”を、恐れたりはしない」


その言葉と共に、エルの背後で“気配”が動いた。


キィ……


金属製の扉が、誰かの手によって開かれる音。


(来たか……誰かが、この“異変”に気づいたな)


エルは振り返らず、最後の呪詛を口にする。


封魔鎖ダミュア・エラクト!」


魔道書を中心に結界が収束し、深紅の魔方陣が浮かび上がる。

書は静かに沈黙し、強制的に“眠り”へと戻される。


足音が近づく。


(一人……いや、二人か。装備音が軽い。騎士じゃない、情報局か?)


「侵入者、手を上げろ!」


やはり。王国情報局の私設調査隊――“セクター七”。


エルはフードを脱ぎ、静かに手を上げる。


「……懐かしい顔が見えた気がしてな」


その声に、足を止める者がいた。


「……まさか……エル?」


かつての仲間、“ライン・フェルディア”。

現在は王国魔術監査官。

そして、エルが封印を選んだあの日――共にいた者。


ラインの目に、わずかな動揺が走る。


「お前……どうして、今さらこんな場所に……」


「“魔道書”が呼んだんだよ。……お前たちが、再利用を始めたからな」


沈黙。


重い空気が満ちる。


ラインは何も答えず、ただ肩を落とすように息を吐いた。


「……一度、話をしよう。逃げずに」


「逃げる気はない。けど、これは警告だ」


エルは静かに、目を細める。


「魔道書はまだ、意志を保ってる。

そして……王国がそれを本気で使おうとしているなら――俺は、“敵”になる」


ラインの眼差しが鋭くなる。


「……本当に、来るなよ。エル。

お前が立ち塞がるとき、俺たちは――もう、お前を庇えない」


「知ってるさ。だから来たんだ」


エルは振り返り、静かに歩き去った。


その背中には、“過去”と“警告”と、そして“未来への決意”が重くのしかかっていた。

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