第10話 番外編No1「エルの王国調査part2」

エルは王立魔導図書庫の裏口に立っていた。

かつて人間に偽装して研究員として日夜を過ごした場所。だが今、その扉は重く、冷たく感じられた。


「身分証の提示を」

門番の言葉に、エルはゆっくりと白銀の魔導印章を差し出した。

それは王国における最上位クラスの認可証――本来、疑われるようなものではない。


「……確認します」

門番はしばし黙り込み、魔導印章を持って奥へと消えた。


(時間を稼いでいるな……)

その様子から、エルは既に何かが動き出していると悟った。


数分後、現れたのはかつての同僚――

王立魔導図書庫の管理責任者、グレイス・アーデン。


「久しいな、エル。まさか、こんな形でまた会うとは思わなかったよ」


「……あの“書”は、まだ封じたままだよな?」


「もちろん――そう答えておけば、君は納得するのか?」


グレイスの口元が、わずかに歪んだ。

それは、かつての誠実な彼ではない、冷たく硬い表情だった。


「……やはりか」

エルは低く息を吐いた。

「“再利用”という言葉を聞いた。信じたくなかったが、やはり――」


「国は変わった。いや、君が止まったままなんだよ。

人の手には余るからといって、すべてを封じておくわけにはいかない。

それは“進歩”を拒絶する行為だ」


「その進歩の先に何がある? あの本が何を呼び出したか、忘れたのか?」


「忘れてなどいない。だが今は、支配できる理がある」

グレイスの眼が静かに光を帯びる。

「君に伝えておこう。魔道書ルヴァル・ネクロノムは、すでに第Ⅰ層から転送済みだ。

……王国評議会の許可を得てね」


沈黙。風が白外套の裾を揺らす。


「本当に……狂ったのは、どちらなんだろうな」

エルは、静かに踵を返した。


このまま引き下がるつもりはない。

だが、今ここで無理に動けば、証拠も掴めず警戒を高められるだけ。

一度離れて、別の手段で――


(せめて、イアにはこんな世界を見せたくない……)


王都の空は、どこまでも蒼く、どこまでも鈍かった。


* * *


そのころ――

イアは、夜の焚き火の前で静かに独りごちた。


「エル……元気でいてくれてるといいな」


火が、ぱちり、と音を立ててはぜた。


数日後。

王都から外れた裏通りの古書店。昼間でも薄暗く、人通りも少ない。


カラン……

扉の鈴が鳴り、エルが静かに中へ入った。


「……あの時の君が、まさか戻ってくるとは思わなかった」

カウンターにいたのは、灰色のローブを纏った初老の男。

王国魔法研究庁の元主任技術官――シド・エルネスト。


「“書”の再利用について、知っていることを話してほしい」

エルは単刀直入に言った。


「……あの書は、本来ならば永久封印されて然るべきものだった。

だがな、エル。王国は、君が離れた後に変わったんだ。

“兵器としての魔術”――それが王の肝いりで進められている」


「王が……?」


「いや。実際に動いているのは、王ではなく“魔導諮問会”だ。

政治と軍事が結びついて……奴らは“書”を、次代の切り札にしようとしている」


エルの眉がわずかに動いた。

「――もう、封印は破られているのか?」


「完全には。だが、すでに“序文”は解読され、実験が始まっている。

南部の研究施設、《エルフリーデの地下区画》でな」


「……」


シドは懐から一枚の古びた鍵を取り出した。

「これは、その区画への抜け道だ。地下水路を経由して、古い通用口から入れる。

ただし――入るなら、覚悟していけ。今の君は、王国にとって“過去の亡霊”だ。

見つかれば、抹消されるぞ」


エルは鍵を受け取り、静かに頷いた。

「ありがとう。君の記憶と良心に、感謝する」


背を向けて、エルはまた夜の路地に消えていった。


* * *


その夜――


イアは寝床で月を見上げていた。


「……エル、どうしてるかな」


(なんだろう……少しだけ、胸騒ぎがする)


風が静かに森を渡る。

不穏な空気を運びながら。

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