第25話 友だちに降格
黒いロングコートとヘリンボーンのコートはすぐに仲良くなった。
ふたりは手を繋いで、或いは腕を絡めて歩くようになり、月丘の姿はさながら傘さえあればフレッド・アステアのようだった。
あれからわたしは度々月丘の部屋にお邪魔して、古い映画を何本か観せてもらった。当たりもあったし、ハズレもあった。でもどちらにしてもミニマリストの月丘が厳選したコレクションなんだから、彼の趣味に合うことは間違いないし。
『月丘の予習』をするために、わたしはお茶を飲みながら映画を観続けた。
映画を観ない日は、ふたりで三角公園で待ち合わせして、そこからずっと学校まで散歩をした。
月丘は聞き役で、わたしが話すくだらないTV番組の話や、夜中に見つけた動画の話、今ハマってるアーティストの話を相槌を打ちながら聞いてくれた。
その相槌はベルベットを叩くハンマーのようで、弦があったらピアノのように美しい旋律を奏でそうだった。
不思議なことに今までとは話題が微妙に変わっていた。お互いをよく知りたいという気持ちが深まっていったのかもしれない。
ふたりの手は離れない、心も離れない、とてもいい時間が流れているのを肌で感じていた。
◇
学校が始まり、日常が流れ出す。
月丘はいつも授業前に部屋まで迎えに来てくれて、わたしは慌ててコートを着て表に出た。
わたしたちはほぼ同じ講義を取っていたし、お昼休みにさ迷うこともなかった。毎日がまるで一緒に生活しているようだった。
あの時間割が本当の意味で役に立った。
慧人からはたまにメッセージが届いた。
『元気にしてるか?』とか『喧嘩してないか?』とか。わたしはそれに『元気だよ』とか『残念ながら仲はいいよ』と返した。そのどれにも彼の返事は『そっか。それならいいんだ』で結ばれていた。
心のベクトルがお互いまだ離れすぎてはいないと思うと、胸が軋んだ。
ひとりが寂しい夜に来る真夜中のメッセージには心震えるものもあった。
相変わらず月丘はプラトニック重視で、『ローマの休日』の観すぎなんじゃないかと思わせた。わたしは王女じゃないし、月丘は新聞記者じゃない。
「ねぇ、月丘?」
「どうかしたかい?」
「ひとりの夜は寂しい」
「⋯⋯その件に関してはまた今度」と気のない返事が返ってくる。本当はそれ程、わたしのことなんかすきじゃないのかなと自信をなくす。
学校のフェンス沿いの山茶花が、こんなに寒いのに鮮やかな白い花を咲かせていて、ハッと目を奪われる。こんな風にわたしもたくさんの女の子の中から月丘に選ばれたいなぁと思う。
『もう選ばれてるじゃん』
『あんまりそう思えない。今までとあんまり変わらないもん』
『そうか? 十分目立つカップルだけどな』
『心が離れてたら意味ないじゃん』
『身体の間違いじゃなくて?』
『慧ちゃんの意地悪』
友達のいないわたしの友達は慧人だけになった。恋人からの降格だけどいいポジション、と彼は笑った。わたしたちが仲良くしていると知ったら、月丘は鬼のように怒るだろう。嫉妬深いらしいから。
◇
ところがある日、学内で慧人とすれ違ってしまった。まさにバッタリだ。
慧人は親指を立ててグッドサインなんかしていくものだから、余計にハラハラする。ハラハラして見送ったものだから、すべてオジャンになる。
「時にニコ、まだ彼に未練があるの?」
嫉妬というより、悲しそうな顔をした。わたしは大慌てで否定する。
「ない。ないよ」
わたしたちが揉めてる様子を見て慧人が寄ってきてしまう。最悪だ。
でも彼にしてみたら困ってるわたしを助けに来たつもりなんだろう。罪は無い。
「どうしたの?」
「なんでもないの、ほら、慧ちゃんを見かけたものだから 」
「僕の彼女にあまり近づかないでくれ」
慧人はわたしの肩をポンと叩いた。
「俺たち、友達になったんだ。降格処分。この間までのお前のポジだよな」と言った。
これには月丘も黙ってられなくて、ムッとした表情になる。
「ニコの親友兼恋人は僕だけでいいはずだけど」
「ニコだってお前に言えないこともあるさ」
「そんなこと、あるわけないだろう?」
「じゃあニコを泊めてやれよ。恋人なんだろう?」
「うわぁ、慧ちゃん、それは言わないで!」
くるっと踵を返すと、月丘は行ってしまう。かなりの早足だ。ついてくるなと言わんばかりに。
「ダメだな、あれは。落とすのは難しい。ほかの女の子の気持ちがわかるよ」
「慧ちゃんてば!」
「聞く耳持たないものなぁ」
それから二日間、わたしたちは口をきかなかった。講義の席も離れて座り、いよいよもうダメかと思った頃だ。
同じクラスの女の子たちは教室の隅でこそこそとなにかを囁きあっていた。その中から有珠がぴょこんと出て、月丘のところに近づいていく。
わたしは気が気じゃなかった。この前のことを忘れてはいない。
「月丘くん、放課後、カラオケに行かない? 男の子も一緒に何人かで行くんだけど。月丘くんてクラスのそういう付き合いにあんまり来ないじゃない?」
あんまり、じゃなく、全然だ。
どうやら月丘は極度の人見知りのようだった。
「カラオケ⋯⋯」
「歌わなくていいんだよ。みんなでお喋りしたり、歌いたい子は歌うけど」
そろっと月丘の視線を感じる。わたしは当然ガン見だ。
「たまには」
「やったー! じゃあ放課後」
女の子たちは塊になってまたひそひそ話していた。わたしの方を見ながら。
ムカムカが止まらない。
有珠が月丘の友達になったとは聞いてない。報告義務はどこに行ったんだろう?
⋯⋯わたしも内緒で慧人とやり取りしていたっけ。反省する。
人見知りな月丘が、楽しんでこられるとは思えない。せめて嫌な目に遭わないといいけど。
いや、そんなこと考える必要もない。
冷えるなぁ、とストーブの前でしゃがみ込む。やかんはシュンシュン言っている。畳の部屋って暖かいイメージがあるけど、意外と冷えることをひしひしと足先から知る。
勝手知ったる、とまではまだ行かないけど、合鍵は交換した。なにかかけるものが欲しくて、月丘の匂いがする毛布にくるまる。変態みたいだ。
お茶をいれてみても、月丘みたいに上手くいかない。仕方が無いのでごろごろ転がりながら動画を見てる。動画、意味の無いヤツ。
結局わたしは月丘がいないと、ただのつまらない女になる。なにひとつ楽しめない。慧人と付き合ってる時はどうだったかなぁと思い返す。本上さん出現までは放課後、会わないことはなかった。高校の部活帰りのようなノリで一緒に過ごした。
⋯⋯わたし、月丘じゃダメなのかな? それともその逆の可能性も。
ブーッ!
その時、旧式のブザーが鳴って飛び起きる。恐るおそる「はーい」と言ってドアに近づく。
「有珠だけど!」
バタン、と勢いでドアを開ける。
「ちょっとアンタなんとかしてよ! 月丘くん、酔っちゃって全然ダメな人になっちゃったんだから」
「有珠ひとりで連れてきたの!?」
「仕方ないじゃない。みんなはまだ盛り上がってるし、ここ知ってるのわたししかいないし、アンタの連絡先知らないし」
あーねー、と思うと月丘が顔を上げて「ニコ⋯⋯なんでここにいる?」と問いかけてきた。わたしは有珠にとりあえず酔っ払いを部屋に入れるように言い、布団を敷いた。
酔っ払いは都合のいいことにコートは自分で脱いで、きちんとハンガーにかけた。そこを布団に突っ込む。
「アンタたち、上手く行ってないの? わたしはいつでも準備、できてるから」と言い残すと有珠は出ていった。大変な目に遭ったのかもしれない。
「月丘、水」
ごくごくと彼は水を飲むとふぅと言った。そして頭が痛いんだ、と呟いた。
「もう、まだハタチになってないのに!」
「そうかもしれない」
「飲酒はハタチからって知ってるでしょう?」
「⋯⋯でも」
月丘のテンションがさらにぐぐっと下がるのを感じる。
「三年には到底勝てない。物質の質量がゼロを下回らないとタイムリープできないとアインシュタインは言ってる。僕はどんなに頑張っても、中学生のニコには会えないんだよ」
「月丘⋯⋯」
そんなところに引っかかりを持っているなんて知らなかった。月丘の嫉妬の中心はそこにあったのか。
「ニコ⋯⋯こっちに来て」
十分近くにいたので、膝で床を擦るようにちょっとの距離を前進する。月丘の腕は伸びて、アルコール臭いキスをした。
「僕のニコだと思ったのに、元に戻る方がニコにとっては都合がいいんだね」
「はぁ? 月丘は知らないの? わたしは大学に友だちがほかにいないんだってば。月丘と慧ちゃん以外に親しい人はいないんだよ。月丘のことは誰に相談するの?」
「ニコ、大きな声は⋯⋯」
「友達から恋人に昇格したからこそ、言えないことがあるんじゃない!」
「直接言えばいいじゃないか」
「言えるわけないじゃん! 独り寝は寂しいなんて!」
言ってしまってハッとする。月丘の顔は険しい。
「高田くんにそれを言ったのか?」
「言った」
ここまで来たら隠し通せまい。
「『抱いてください』なんてストレートに言えるわけないじゃない!」
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